第49話 勝敗
黒髪の魔法使いは、腰を抜かして震えているトーマスの下に近づいて、手をかざす。
「……ば、ば、バカな。そんな、バカな……バカな……バカな」
ヘーゼンのことなど視界にすら入らぬほど呆然として、愚弟は何度もひとりでつぶやく。
「そんなこと言ってる場合か?」
<<闇の存在を 敵に 示せ>>ーー
黒髪の魔法使いは、容赦なく
「ぎゃああああああああああああああっ!」
激しい闇を喰らいながら。
トーマスは胸を抑えて咆哮をあげるて転げ回る。闇を浴びると、外部ではなく内部が傷つく。その激しい動悸と痛みで、思わず胸を激しく握る。
「戦場の敗者には、そうやってボーッと自分に酔ってる暇はない。お前にできることは、そうやって地面にのたうちまわって、這いつくばることだけだ」
<<闇の存在を 敵に 示せ>>ーー
加減しながら、何発も
「ぎゃああああああああああああああ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいっ!」
「……」
血しぶきが舞って、無様に転げ回る様子を見ながら、ヘーゼンにはなんの気持ちも湧かないことに気づく。そこには、憎しみも、憐れみも、怒りも、哀しみもない。ただ、目の前の男をただ、痛ぶっている。
「……ぐううううう、もうやめろ!」
「なにを言っている。お前は殺す気だったんだろう? そんなお前に上から目線で『やめろ』なんて言われてやめるバカがいるか」
<<水の存在を 敵に 示せ>>ーー
<<木の存在を 敵に 示せ>>ーー
「ぎゃああああああああああああ、やめてくれ……たのむ、たのむー!」
「やめてと懇願すれば、やめてもらえるとでも思っている……そんな甘ったれに育てられ方をしたから、お前みたいに歪んだやつが育つ」
<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ、もう俺の負けだ……です。負けです。お願いします。もう、やめてください!」
「負けを認めればやめてもらえるとでも思っている世間知らずだから、簡単に人を貶めようとできる。命をかけた決闘で自分が負ければ、死ぬということをお前はまったく考えてない。にもかかわらず、お前は人を殺そうとした。その罪は、こんな痛みぐらいで済むものじゃない」
<<闇の存在を 敵に 示せ>>ーー
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛っ、え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛っ、え゛え゛っ、え゛え゛っ、え゛え゛ーーーーーっ」
「……」
トーマスが号泣したときに初めて、ヘーゼンの手が止まった。
「え゛え゛え゛っ、え゛え゛え゛っ、え゛え゛っ、え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え……ヒック……ヒック……」
あまりにも無様に、人目を憚らずに泣きじゃくっている愚弟を見て、ヘーゼンは大きなため息をついて歩き出す。
随分と遅くなってしまった。しかし、翼悪魔を召喚して飛ばせば、予定より少し遅れた時間でアルマナにーー
そのとき、一瞬ではあるが周囲を暗闇が支配した。この昼間にあり得ないほどの黒があたりを包み、やがて晴れた。
「……なんだ?」
つぶやきながら、ドクンとヘーゼンの心臓が高鳴る。
「ヒック……ヒック……お、お前の大事に……してる……もの……もう、遅い」
「なにを言っている?」
泣きながらつぶやくトーマスの胸ぐらをつかむが、本人は精一杯強がって「もうすでに遅い……サングリア公国はもう終わりだ」とつぶやく。
「貴様……なにをした!?」
「フフフ…‥さて。サングリル公国はもう終わりだ」
「……今すぐここで、殺されたいか?」
「ひっ……俺はなにもしていない。ただ、『お父様がサングリル公国はもう終わりだから、学術都市ザグレブに行く』と」
「……」
「父さんが……俺は悪くない……だから、許してください」
あの男……
「くっ」
ヘーゼンはすぐに翼悪魔を召喚して、首都アルマナに向かった。
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