第34話 闇


 『気が向いたら、私の館に来なさい』、そう言い残したゼノスは夜の闇へと消えて行った。


「調子に乗るなよ。お前なんてーー」


「……」


 トーマスの罵倒など、耳に通らないほど走っていく馬車を見つめていた。


「……あの方が気になるかい?」


 ダナン大臣がヘーゼンに問いかける。


「どんな方なんですか?」


「大陸の全てを知る方だよ」


「……なんですかそれは?」


「信じられないかい? しかし、それは事実であり必然なんだ」


「……」


「人は彼のことを『死の王』と呼ぶ」


「……」


 普段ならば、鼻で笑うであろう大言は、酷く現実味を帯びて聞こえる。それだけの雰囲気を持つ魔法使いだった。


「君は彼に選ばれた。君が真に彼を欲するならば、彼もそれに応えるだろう」


「……」


 ダリル大臣の陶酔の激しい言葉は酷く大仰で気に入らないが、彼がいかにゼノスを買っているかがよくわかる。


「それよりも、私の娘はどうだい?」


 ゼーナから少し離れた場所で、ダリル大臣がヘーゼンに耳打ちする。


「非常に素晴らしいお嬢様かと思いますが」


「どうだね? 君の妻に」


「……若輩の僕にはもったいなさすぎます」


 その提案に驚きがなかったとは言わないが、極力平静を装ってヘーゼンは答える。


「そんなことはないだろう。君は私がこれまで見た中で一番有能な魔法使いだ」


「……」


 政略結婚は貴族社会における最もポピュラーな婚姻方法である。魔法使いは、血であるというのが世間一般の見解だ。より強力な子孫を残すために、どの貴族も優秀な魔法使いの配偶者を求める。


「すでに、ガーラル殿の了解は取り付けている。君さえよければ明日にでも……」


「やめましょう。僕にはそもそもそんな気はない」


「まぁ、聞け。私には潤沢な資金がある。そしてここハイム家には研究において最先端の設備が。君も戦場で駆け回るのに不毛さを感じているはずじゃないのかい……仮面の悪魔殿?」


「……なぜ、それを」


「魔将ニーヴェルトを倒すほどの魔法使いだ。正直度胆を抜かれたよ。どんな者なのか、興味が出てゼノス様に調査を依頼したんだ。結果、4年前に私と会っていたなんて。正直言って震えたよ」


「……」


 自身の正体を見破られることは、徹底的に注意してきた。それを、見破られるとは正直思ってなかった。


「前向きに考えておいてくれ……あまり時間はないからね」


「……どういうことだ?」


 ヘーゼンが殺気をもった瞳で見つめる。場合によっては、この場で殺害するほどの算段をしながら。


「デルシャ王国は、今回二人の魔将を投入することを検討している」


「……嘘だ」


 それは、あり得ないとヘーゼンは即座に答える。そもそも、サングリル公国のような小国に魔将を投入するほどの価値はない。だからこそ、ニーヴェルトの戦死は大陸に衝撃を与えたのだ。


「嘘ではない。魔将ニーヴェルトは、英雄だ。弔い合戦をしなければ国民が納得しない」


「……」


「デリクールも頭を抱えているはずだよ。あの知者は、この期に各国がデルシャ王国に侵攻させるよう策を練っていたのだから。しかし、全て抑えさせてもらった。わかるだろう? ゼノス様だよ」


 あの黒髪の魔法使い。ダリル大臣は、彼の協力を背景に権力を拡大していったのだろう。実際、目の前の男は有能だ。そして、狡猾で、卑怯だ。


「……なぜ、それを僕に?」


「私とゼノス様が興味を持ったのは君だ。それに比べれば、あんな小国にも、国民の誇りの価値などゴミだ。しかし……君には違うのだろう?」


「……」


「人の価値観はそれぞれだ。否定はしないよ。しかし、君が大事なものはあの小国の中の全てだ」


「……」


 含みを持たせたセリフ。しかし、この場面ではヘーゼンに有効だった。自らを犠牲にしてまで守りたかったもの。あの教会にあるものの全て。あの教会にいる者の全て。


 


「悪い話ではないはずだ。君は、自分のしたいことができる。そして、君の守りたいものを守ることができる」


「僕のしたいことなど……」


「だから、ゼノス様の元へ行くといい。はっきり言って、彼と君は同類だ。そこで君は気づくだろう……君が本当に望んでいることに」


「……」


「まぁ、考えてみてくれ」


 そう言い残して。


 ダリル大臣はガーラルの元へと雑談に行った。






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