第22話 戦の狼煙


 秋の風が吹きすさぶ頃、ジルハズサ平原は物々しい蹄音が響き渡っていた。この先を進めばサングリル公国領。大軍で攻め込むには、ここを通らねば辿り着くことはできない。


「騎兵隊一万5千、魔法隊一万5千揃いました」


「そうか……敵軍兵力は?」


 魔将ニーヴェルトの問いに、副官のセーセールスタンが答える。


「現状推察できる隊ですと、騎兵隊5千、魔法隊は3千になります」


「目に見える戦力差はあるが……他にも伏兵がいる可能性は高いな」


 デルシャ国の進軍が開始されるのに、呼応しサングリル公国軍の展開も完了している。だが、数ポイント目に見えぬ箇所がある。索敵自体は怠っていないが、魔法の罠によって隠されている可能性は否定できない。


「こちらも一、二部隊は奇襲をかけてもよかったのでは?」


 デルシャ国軍副将のセーセルスタンが尋ねる。


「戦力的に有利であれば、そんなもの無くても勝つことができる。むしろ、戦力を分散させることで伴うリスクの方が多い」


 ニーヴェルトはそれ以上は言わなかったが、サングリル公国の民をいたずらに傷つけないためでもある。この戦場で大半の軍を潰せば、首都アルマナでの市街戦に戦力を割かなくても済む。


「全軍……前進!」


 激しい檄が戦場に響き渡る。その力強さは、肉体が虚弱とされる魔法使いには似つかわしくないほど威風堂々としていた。その号令が波紋のごとく広がっていき、次々と兵たちが前進していく。


 騎馬部隊のザイル、ガゼル隊を先発に。魔法隊のラグレース、べヤルが左右に展開。ニーヴェルトが動き出すと同時に、四部隊が動き出す。一矢乱れぬその指揮は、英雄と呼ばれるに足るカリスマを十分に示していた。


 まずは、機動に優れた騎馬同士が激突し合い、互いに壮絶な剣撃戦が繰り広げられる。魔法隊が主流と言われるが、騎馬隊は戦争の核と言える存在である。そこでの勢いが、戦の隆盛を決める。


「互角か……敵方もかなり鍛えられているな」


 多勢のおかげで敵方を防戦に追い込んではいるが、うまくいなされて、勢いに任せて押し込むことができない。


「さすがは総隊長のデリクールですね」


 遠目にセーセルスタンがつぶやく。サングリオ公国のデリクールと言えば、大陸にも轟く猛将である。その騎馬と剣の実力もさることながら、魔法使いとしての実力も相当なものだ。若い頃ほどの勢いはないが、その老獪な戦い方はデルシャ国騎馬隊ですら手を焼く。


「しかし……所詮は一部隊を押さえることが精一杯だろう」


 ここで、魔将ニーヴェルトは手を大きく動かし、魔法隊のラグレースの前方に動かす。敵の魔法隊と対峙させて、そこから崩すことを試みる。もし、その隊に仮面の悪魔がいなければ、それでよし。いれば、そこに全戦力を投入する。


 ラグレース隊は、予想通りの働きをした。デルシャ王国の魔法隊は統率された動きで順番に魔法を放っていく。波打つように滑らかなそれは、個人では決して崩せないような自信に漲っている。


 しかし、突如としてセングリル公国から巨大な闇が放たれる。


<<漆黒よ 果てなき闇よ 深淵の魂よ 集いて死の絶望を示せ>>ーー煉獄の冥府ゼノ・ベルセルク


「う、うわああああああああああっ!」


 その一撃で。


 数十人の魔法使いが地に沈む。放たれた先には、仮面を被った魔法使いがいた。極大魔法を撃てる魔法使いは限られている。威力も申し分ないレベルだ。あくまで、推察の域ではあるが部隊長レベルはゆうに超えている。


「現れたか……」


 ニーヴェルトは、ベヤル隊を投入する。狙いとしては、波状攻撃。耐えきれなくなったところに、トドメをさす。


 そんな中、一人の戦場分析官が急ぎ足でやってくる。


「に、西に仮面の悪魔が現れました」


「……撹乱か」


 目の前の仮面の男も相当な魔法使いだ。屈強なラグレース隊がその闇魔法でドンドン蹂躙されていく。しかし、まだこちらの戦力は十分にある。


「ベヤル隊を西に派遣して援護にまわれ」


「そ、それでは戦力の均衡が」


 定石で言えば、東のザイル隊、中央のラグレース隊に援護を投入すべきだ。それをせずに、ニーヴェルとは見知らぬ仮面の魔法使いに2隊も増援するという。


「今のところは互角だ。耐えさせればいいさ。それよりも、勝利の鍵は仮面の悪魔だ。よく観察し、どの程度の強さかを確認しろ」


 前方にいる仮面の魔法使いの実力はすぐに対処可能だが、西の仮面の魔法使いの実力は未知数である。その点での対処が遅れれば、戦略的に大幅に出遅れるという判断をした。


「はっ」


 急ぎ足で去っていく戦場分析官をセーセルスタンが眺める。


「どちらが本物か……見ものですね」


「そうではない。あるいはどちらも本物か……偽物か。それとも、まだいるのか。戦術の幅は限定的になればなるほどそれに囚われる」


「……はい」


 副官として側につくと、司令官としての器の違いに落胆の情が湧いてくる。もともと、セーセルシスタンは野心家であった。デルシャ国の魔法学校では首席で卒業し、軍に入っても同期の中では誰よりも優秀だった。しかし、世の中は同期だけが出世を争うものではない。自分より歳上の怪物も、自分より年下の天才も同じ盤面で争わなければならない。その意味では、セーセルスタンは非凡の域を出ない魔法使いだった。


 ニーヴェルトを尊敬しているが、同時に叶わない存在だとも思う。


 戦はすべてを見通すことはできない。前方には仮面の魔法使いがいるのは確認できるが、他は各部隊の報告によって成り立っている。もう一人の魔法使いもまた、極大の炎熱魔法でベヤル隊を圧倒しているという。しかし、それが『仮面の悪魔』かと噂されるほどの実力だとは思えない。それが、隠されたものであるのか。それとも、そこまでの魔法使いだということか。


「……セーセルスタン。少しの間、指揮を頼む」


「はっ!?」


「前方に進軍する」


「ニーヴェルト様自らですか?」


「ああ……敵の魔法使いを観察したい」


「そ、それならば自分が……」


「君が離れれば戦列が崩壊する。ここで私の代わりをしてくれ」


「しかし、もしも『仮面の悪魔』が他の隊にいたら」


「セーセルスタン。それを知るために、目の前の敵をまず叩くのだよ」


 そう言い残し、ニーヴェルトは騎馬を走らせる。


<<哀しき愚者に 裁きの業火を 下せ>>ーー神威の烈炎オド・バルバス


 火・光の二属性魔法。疾走しながら放たれた極大魔法は、サングリル公国の兵を数十人を殲滅する。馬に乗りながら器用に魔法を放てるのは、ニーヴェルトが格闘戦すらも大陸有数の実力であることの証明でもある。


「……離れていろ」


 仮面の魔法使いもすぐさま反応して、返し刀で魔法を放つ。中途半端な魔法使いではまるで歯が立たない。周囲に距離をとらせて、一人で対峙する。


「お前が……仮面の悪魔……か」


 弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾弾だだだだだだだだだっ!


 ニーヴェルトの親衛隊たちが魔法の矢マジック・エンブレムで距離を詰める。人的資本という点において、デルシャ国はサングリル公国を圧倒している。魔将の側を守るのは、屈指の精鋭の魔法使いである。


「くっ……」


<<絶氷よ 幾重にも重り 味方を護れ>>氷陣の護りレイド・タリスマン


 無数の魔法の矢マジック・エンブレムを一気に防ぐために、上位魔法壁で対抗する。


 しかし。


<<果てなき業火よ 幾千と 敵を滅せ>>ーー漆黒の大炎パラ・バルバス


 ニーヴェルトが放つ火の極大魔法は、いとも簡単にそれを溶かす。


「これで終わりか? 仮面の悪魔よ」


 騎馬から降りて、不敵に微笑む。一対一ならあるいは。しかし、この強さならば、恐るるに足らない。


「はぁ……はぁ……驚いたな」


「それは、こちらのセリフだ。貴様のような強さの魔法使いがこの小国にいるとは。しかし、相手が悪かった」


 ニーヴェルトと親衛隊は仮面の魔法使いに向かって手をかざす。


「ここまで、すべてあの戦場分析官の読み通りとはな」


 そうつぶやいた先には、


 黒髪の魔法使いが立っていた。

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