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 第二ターミナルを越えた先、立体駐車場の三階にクルマは停まっていた。そこにつくまで何度となくキャリーケースが突っかかって、もう腕がちぎれるかと思った。

「荷物はうしろへ。大丈夫、事情はミズ・マクスウェルから聞いている。手を貸すよ」

 古ぼけたワーゲンのポロ。後ろのハッチをあけると、彼は代わりにケースを持ち上げてくれた。

 身軽になったわたしは助手席へ。彼が続いて乗り込むと、すぐにエンジンスタート。でも、アクセルは開けなかった。ギアはパーキングに入れられたまま。ブレーキランプがコンクリの柱を赤く照らした。

「自己紹介がまだだったね。俺は相川、相川トオル。君の依頼人だ」

 言って、彼はわたしに握手を求めた。だけど、わたしにはその差し出された右手の意図がよくわからなくって。結局、コンクリの向こうの虚空を見つめていただけだった。

「すまない、時差ボケでつらいだろう。詳しい事情は明日の朝話す。それまでは眠っていていい」

「べつに気遣いは無用です。わたしは〈M2〉。偽名は牧志ミヒロ。好きに呼んでください」

「わかった、ミヒロちゃんだね。とりあえずクルマを出すよ。詳しくは移動しながら話そう」

 相川はギアをパークからドライヴへ。クルマはクリープ現象でゆっくりと前に進み出す。コンクリの床をタイヤが咬んで、キュルキュルとイルカみたく鳴いた。


 駐車場を出ると、クルマは一路東京方面を目指した。

 しかし真夜中だというのに、この街の道路には人があふれていた。酔っぱらいの群がタクシーになだれ込み、停車場は数珠繋ぎのように回っていく。この国に夜はないみたいだった。

「まず聞きたいんですけど」

 ガラスの向こうを過ぎ去る夜景を見ながら、わたしは言った。

「これ、どこへ向かってるんです?」

「さいたま市大宮区……って言ってもわからないか。東京のすぐ隣の街なんだが」

「埼玉ぐらいわかりますよ。わたし、前にも日本にきたことあるので」

「なるほど、どおりで日本語に堪能なわけだ。じゃあ問題ないな。しばらく高速に乗っていく。二時間もあれば着くよ」

 彼は宣言通り、それからすぐに高速に乗り入れた。さっきまでのタクシーの群は消えて、今度はトラックの大群がやってきた。雄叫びのようなエキゾーストノートをあげて、身をぶるんと振るわせて、わたしたちのすぐ隣を過ぎ去っていく。

「それで、わたしの仕事っての護衛って聞いたんですけど」

「ああ。まあ、あながち間違ってはいないな。手元に資料はあるかい?」

「ここに」

 わたしはカバンの中からタブレットを拾い上げた。キャリーケースのポケットに投げ入れておいたやつで、そこにはこの仕事に関する資料がすべてPDFで保存されていた。でも、正直なところわたしは三割ぐらいしか読んでなかった。大した仕事じゃないだろうって、そう思ってたから。

 ホームボタンを押してバックライトをつけると、途端に文書ファイルが展開する。

「護衛対象の名前は相川ラン……って」

「俺の娘だ。年は先月十九歳になったばかり。いまは大学生だ。休学中だけどな」

「つまりわたしは、あなたの娘の護衛をすればいいってわけ?」

「いや、少しだけ違う」

 カーナビが車線変更を命じる。

 ウィンカーの音。心音に近いBPMで、クルマが左へ揺れる。そして彼の視線も左へ――つまりわたしのほうへ――行った。

「君には、娘と友達になってもらいたいんだ」

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