第7話 招かれた噂のコ

───脚が、引き寄せられるように動かされていた。両目は見開かれ、ただ目の前だけを、その一点のみを見据えている。ストップの効かない全身は風を裂いて突き進むだけ。ただそれだけの機械的な運動は、いつしか心すら壊していた。


「……はぁっ、はぁっ!っ、はっ───」


掠れた息切れが、風に混ざってどこかへ消える。それはきっと、消えても消えても拭えない、この胸の内に巣食う痛みのようであった。


周りさえ見えなくなった単調な頭は、ただひたすらに、あいつのもとへ向かえと命令をする。それを通る神経は、沸騰した水のように熱かった───。


やがて病院が見えてくる。速まる鼓動は、それだけを目指す目的の意志の表れだった。そして、道路から逸れてドアから入り、慌ただしく受付まで駆け寄った。


「……っ、あ、あの!藤枝!藤枝 架瑠の病室はどちらですか!?」


「藤枝様ですか?───、はい。三階の三〇三号室です」


「ありがとうございます……!」


手短に聞き終えると、俺はじんじんと痛む脚を再び動かし、無理やりに働かせその部屋を目指す。途中何度か他の患者や一般人とぶつかりそうになったが、今は落ち着いていられる状況ではない。───急ぐしか、ない。


階段を駆け昇り、三階へ辿り着く。そして廊下を突き進みその部屋を見つけ当てると、俺は間髪入れずに彼の待つ病室のドアを強引に開けた。



「───藤枝ッ!」



───ガラララ!、と開かれたドアをそのままに、俺は病室に足を踏み入れる。そして、見た。そこで見たものを、俺は脳裏にしっかりと焼き付けられてしまった───。それほどまでに、彼の眠る姿は痛々しく、最悪のものだったのだ。


包帯は頭に巻き付けられ、頬にも手当がされている。患者服を来ているせいで上からはわからないが、その全身にも痣があるだろうことは理解できる。意識不明の重体……そんな言葉が、今の彼には酷く似合っていた。


「……ぁ、」


それを見て、何を感じたのだろうか。何を思い、何を掴み、何を考えたのかさえ……自分でもわからなかった。ただ、一つ言えることがあるなら───、



「あ……ああああああッ!!───うぁああああああッ!!」



───ここで叫ばずには、いられなかった。




2

「お……お邪魔します!」


振り絞るように桐崎が声を出しているのを見て、白川は微笑んでいた。


「そこまで怯えなくても大丈夫ですよ。ここにお世話になっている皆さんは全員、優しい方ばかりですから」


「でもまあ、騒がしさの程度は学校と同じだよ。場所が変わっただけって考えをするなら、緊張もそこまではしなくていいかもだけど」


俺が補足のように付け足すと、桐崎はなおも藤枝の背中に隠れて片目だけを覗かせていた。ちなみに言うまでもないが、頼られている藤枝は天国に昇天しているほど喜んでいる。キモイ。


「こ、ここが幻想郷か……。ああ、主イエス・キリストよ───」


「無宗教が何言ってんだか……」


呆れるように俺が藤枝を窘めるが、まあ聞こえてはいないだろう。それほど今のこいつは楽園を心ゆくまで堪能していた。だからキモイんだってば。


そんなメンツで、この学校付属の男子寮に来たわけなのだが……ではここで、なぜ俺と藤枝と桐崎と白川の四人がここに訪れたのか、その説明をしておきたいと思う。


まず、事の発端は、文化祭の係決めの終わった放課後に発した、白川の言葉だった。


───『ぜひ、僕達の男子寮に遊びに来てほしい』。


それを受けた桐崎は最初、やはり当然のように戸惑っていた。しかし話を進めていく内に、どうも男子寮の管理人、そしてその住民達の希望により、一度顔を見てみたいという意見がまとまったらしい。男子寮の住民の中にはもちろんうちのクラスの生徒もいるわけなのだが、一方で学校の生徒なおかつ桐崎のことをよく知らない連中もいるのだ。そういう類の連中の懇願を、白川は彼女に伝えたという話である。


が、桐崎は優しい性格のため、やはりその要求を飲むことに。しかしまだ一人で行くには心細いというわけで、白川を含めて親交のある俺と榎並を連れていくことにしたのだ。榎並もここの住民ではあるため、一般の家に住んでいる俺だけは、実質的に初めてここへ訪れた形となる。


「宮原さん、彼女を連れてきましたよ。……留守ではないと思いますが───」


と、そこへ早歩きでやってくる足音が響く。それが管理人の彼女のものであるとわかると、全員がそちらの方を向いた。


「───お、これはこれは……賑やかになりそうなメンツだねー。君が、噂のコってわけか。桐崎ちゃん、よろしくね」


「あ、はい!よろしくお願いします」


ぺこりと一礼すると、白川が彼女の自己紹介を代弁する。


「こちらは、この寮の管理人の宮原さんです。世話好きな、面倒見のいいお姉さんですので、この場所では人気者の引っ張りだこ───そこは、あなたと似ていますね」


白川の言葉を受けて、宮原が「お姉さんはよせ」と撤回させる。しかし、年齢はそれでも二十代後半辺りらしく、まだまだそう言われてもおかしくはないだろう。彼女の謙虚な性格が目立つ。


「さ、とりあえず上がっていってくれ。……もうすぐ夕飯の時間だから、なんなら一緒に食べていってほしい」


「よ、よろしいんですか?ご迷惑を───」


そこまでを言いかけた桐崎に、俺は「待った」と言って彼女を止める。


「あのな、桐崎。ここにいる連中も、宮原さんも、俺や藤枝だって……誰もがお前のことを歓迎してるんだよ。だからさ、上手くはいえないけど───そう、あんまり自分のことを迷惑扱いなんてするなよ」


「え、榎並くん……」


つい言ってしまった。しかし、それは前々から思っていたことである。俺と藤枝でクレープを食べにいったあの日だって、彼女はそんな風に自分のことを『迷惑をかける人間』と評価しているのが垣間見えていた。だから、そんな彼女に自信を持ってほしくて、俺はそう言いのけていたのだ。すると彼女は、数秒を置いて口を開く。


「───はい。わかりました、榎並くん。もうそんなこと、言いません。私も皆さんとお食事したいです。だから、喜んでご一緒したいです!」


「ああ、それでいいさ」


はにかんでやると、桐崎も負けないくらい笑っていた。それを見届けて、宮原は「そうだそうだ」と頷く。


「君が来てから、ここの連中も変わったんだ。前々よりも倍うるさくなってね。賑やかにさせてくれたのは、間違いなく君なんだから、もっと前向きにいかなきゃだよ」


「ですね。宮原さんが倍疲れているのにも、頷けますよ」


白川も付け足す。するとそれに反応したかのように、廊下の奥からドカドカと数十人の足音が轟音となって響き渡った。


「「来たぁぁぁ!花ちゃんだぁぁぁッ!!」」


初対面の連中だろう。噂の転入生の情報を聞き、たった今その本人に出逢ったのだから無理はない。あの、例のハイテンションがここでも見えるとは───さすが花に飢えた男子校の連中だ。その喜びは歓喜という二文字では当てはまらないくらいに大きく、壮絶である。


「……な?この通りってわけ」


肩を竦めて宮原が笑うと、手を叩いた彼女は押し寄せてきた連中をまとめるために声を張った。


「ほらほらみんな!今日は賓客が来たからね、桐崎ちゃんを入れて夕食としゃれ込むよ!」


「「っおおおおおお!!最高ぉぉぉ!!」」


なんてうるさいことか。……だが、この祭りのような空気は嫌いじゃない、かもしれないな……。苦笑した俺は、そんなことをぼんやりと考えていた。



───おそらく今日は、男子寮の歴史に残るほど騒がしい夜になりそうだった。



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