44|4Cの覚悟〈3〉
「い、いまなんて…? サクラを逃がすっていったッ!?」
思わず口をひらいたのは、ずっとかたわらで、ふたりの様子を見守っていたツトムだった。
「そうだ。俺は、そのためにここへ来た。ま、ここに至るまでにはいろいろあったが…」
「でも、まぁ…とにかく『終わりよければすべてよし』だ。俺ができることはすべてやった。逃走するためのボートもある」
「え…ボ、ボートがあるのッ!?」
ツトムは声をうらがえして叫び、身を乗りだす。
「そう、ボートがある。それで、ふたりは逃げてくれ」
(ボート…)
その言葉に、サクラの心もゆれる。
ツトムは、「ボートがある」という言葉にすっかり心を奪われ――〈透視〉すれば見えるはずの距離だったが――10数メートル先の水路のへりまで走ってゆき船着場をのぞく、と。
「ほんとだ、サクラ、ボートがあるよッ! バスターズの軍用ボートだッ!」
興奮して報告するツトムへ、サクラは叫ぶ。
「ツトム、それは
「だ、だけど…」
「私は、ぜったい信じない…」
サクラは、けして警戒心をゆるめようとはしなかった。サクラの心の奥にわだかまる憎しみの感情は、そう簡単に消えはしない。
〈怒り〉〈憎しみ〉〈疑惑〉――それらの黒い感情は、ボートがあるという現実をつきつけられても、なお、サクラの中で渦巻き〈混乱〉というかたちで居すわり続けた。
***
そう――サクラは、混乱していた。
「サクラ、たのむ。もう時間がないんだ」
4Cは、降参のポーズのまま、懇願するようにサクラをみつめる。
「本当は、すべて説明してやりたいが、きっと、もうすぐ俺の相棒がここを見つけてやって来る。それまでに、きみたちは離れていてくれないと…」
「そうだよ、サクラ。4Cのいうとおり、僕たちには時間がない!」
ボートを確認し、サクラのそばまでもどってきたツトムはいう。
「ざっと見たところ、ボートに仕掛けなんかなさそうだし…それに、僕は、4Cが嘘をついてるとは思えないんだ」
「どうしてわかるのッ?」
「そ、それは…」
ツトムは、ひと呼吸おいて「じつは、僕には、4Cを信じるに足る根拠がある」と明かした。
「それは〈G-ウィルス〉に関することとか、保管庫に移した〈スマホ〉のこととか、さ…」
「G-ウィルスに、スマホ…?」
「そう――でも、いまは、とにかく逃げることが先だよ、サクラ。いまこそ『当たってくだけろ』だッ」
(当たってくだけろ…)
サクラは、その言葉が心に刺さり、ぎゅっと唇をかむ。
『 当たってくだけろ! がむしゃらに〈前〉へ進め――! 』
それは、その通りなのだ…と、サクラも思う。ツトムにどんな根拠があるのか知らないが、彼に言われるまでもなく、この状況でボートに乗らない選択肢などないことは、サクラにもわかっていた。
それに、きっと4Cなら、このくらいの〈大芝居〉は打つ。23ゲートで出会ったときから、彼の言葉の
「やりかねない…」と、思う。
「ほんとうなの…? ほんとうに、私のために…」
眉根をよせ、ふるえる声で、サクラは4Cに問いかける。
4Cは、まっすぐサクラを見つめ、言葉のかわりにゆっくりと目を閉じてうなずいた。
「で、でも…どうして…?」
サクラの中に、ふと、わきあがる疑問。
「どうして、ここまでして私を助けるの?」
「それは、きみと約束したからだ」
4Cは、あいかわらず、目の奥に強い〈意志〉を宿したまま、そういった。
「約束しただろ? 困ったときは、必ず俺がたすけに行くって。どんなときも、きみの味方だって」
「………」
サクラの脳裏に、4Cの言葉がよみがえる。
『 とにかく、困ったときは、必ず俺がたすけにいくから… 』
『 メイドちゃん…忘れないで。俺は、このさき、どんなことがあっても、きみの味方だ。それだけは覚えといて… 』
「俺は、その約束を守りたいだけだ」
「………」
それから4Cは、ゆっくりとサクラの方へ歩きはじめる。
「だ、だめ、来ないで…!」
反射的に否定するサクラだったが、その声は弱々しく、地下水路の壁に吸い込まれてゆき…一歩、また一歩と4Cが近づくたびに、サクラの鼓動が早まっていった。
〈トモヒロ〉にそっくりな、弾むような足取りで近づくごとに、サクラの中の怒りや憎しみは影をひそめ、心の底にひそんでいた甘やかな感情がわきあがる。
ついに、サクラが突きつけている銃口が、4Cの胸元に
「……!」
そのまま手をのばせば触れられるほどの距離に、4Cの精悍な顔があった。
‘トクトク’と、サクラの心臓が鼓動する。
「銃を、おろすよ…」
4Cは、サクラにしか聞こえないほどの小さな声でささやき、ゆっくりと手をさしのべる。その手が、銃と、そして銃を握るサクラの手をそっと包み込み、そのままゆっくりとおろしてゆく。
そのぬくもりは、独房のまえで柵をつかむサクラの手を、上からやさしく包んでくれた…そのときと同じあたたかさだった。
4Cの体温は、サクラを
「ごめんな。こんな方法しか思いつかなくて…」
そのとき――4Cの目から、ひとすじの涙がほほをつたって落ちてゆくのを、サクラは驚きとともに見つめた。
(4C…)
ふいに、目の奥が熱くなる。
涙とともに、あふれだす思い。
自分は、こんなにも4Cを〈愛して〉いたのかと――そのときサクラは、はじめて気づいたのだ。
思えば、23ゲートで出会った瞬間から、サクラは4Cを〈特別〉に思い、慕い、彼の存在に救われてきた。
この研究施設が、どんなに殺伐とした場所で、叫びだしそうになるほど恐怖に満ちた場所でも、自分は笑っていた。それは、なにがあっても4Cが見守ってくれていると思えたからだ。
4Cに裏切られたと思ったときも――悲しみ、憎しみ、怒り…それらの〈負〉の感情が、自分の中でことさら大きく膨れ上がったのは、それだけ彼を想う気持ちが深かったせいだと、サクラはやっと自覚し、4Cの存在の大きさを思い知るのだった。
(そうだったんだ…)
(私は…ずっと4Cを…)
その涙は、とどまることを知らず、あふれつづける。
あとからあとからあふれて止まらず、それは嗚咽へと変わってゆく。
「サクラ…」
4Cは、サクラを見つめた。
「俺は――モニター室で、23ゲートにあらわれたきみを見たときから、なにがあってもきみを守ると心に誓った。その理由を話しても、きっときみは信じないし、それは、どうでもいい。ただ、俺は…」
(4C…)
サクラも、4Cを見つめた。
「俺は、ずっときみを…」
サクラの心臓が‘ トクン… ’と波打つ。
その瞬間、時がとまった。
その言葉の先にあるものを、サクラは待つ。
だが――
「 4Cィーー…! 」
とつぜん――螺旋階段の下から男性の叫ぶ声が聞こえ、その瞬間…ふたりの間で止まっていた
ついに、その時はきた。
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