26|脱出計画〈3〉

 メイン通路で合流したふたりは、監視カメラと人の気配に細心の注意をはらいながら、審査ルームのほうへ歩をすすめた。

 〈保管庫〉は、審査ルームの裏口から入って、すぐのところにある。


 いまや、懐かしさすら感じる〈23ゲート〉を通りすぎ、ふたりは急ぎ足で審査ルームへと向かう。

 その横にある、路地裏のような狭い通路を20メートルほど歩いてゆくと、行き止まりの壁の横に、裏口のドアがあった。


 だが、当然、そのドアは閉まっていた。


「うそ…これ、どうやって開けるの?」


 独房の鍵は、何年も前から準備して合鍵をつくることもできただろうが、ここへ来ることは予想外だったはずで、当然、合鍵はない。


 するとツトムは、ジーンズの尻ポケットから、長さ15cmセンチほどの針金を取り出し「これで開けるんだ」と、サクラに見せた。


「え?」

「僕は〈鍵開け〉の名人だからね」


 ツトムは得意げにそういって、鍵穴をじっと見つめること数十秒――おもむろに針金を曲げはじめ…たったの1分で、簡易的な〈鍵〉をつくってしまったのだ。


「えええ…す、すごい…」

 サクラは横で、ただひたすら感心するばかりである。

「なにしろ、僕は〈視える〉からね」

「へぇぇぇ…」


 ツトムは、アナログ式の鍵なら、よほど複雑な構造をしていないかぎり、数分であけることができるのだといった。


 サクラは、思う。


 もし――ツトムの能力が、いまだ健在であることを、ラボの人間…あるいは、その周辺の人々に知れたら、きっと彼は、今ごろ無事ではなかったはずだ、と。


〈ゴースターとの共鳴率〉という点では低いレベルなのかもしれず、『アルファ・プロジェクト』に使える能力ではないのかもしれないが、ツトムの能力を欲しがる人間は多いはずだ。


 L=6エル・シックスが鼻で笑う「お金儲け」のために莫大な資金を投資して、ツトムを手に入れようと必死になる人間もいるだろう。


 もし――ツトムの心の中に大いなる闇が存在していたなら、自分自身が率先して「お金儲け」に加担し、彼らを利用し、欲望のままに、闇の支配者へと変貌してゆく未来もあったかもしれない。可能性としては、ありうる話だ。


 だが――ツトムは、そうしなかった。


 ひたすら能力を隠し、ただ「自由に生きたい」という希望をいだきながら、ひっそりと生きてきた。


 過去――いじめに合い、心無いクラスメイトたちをうらんだ時期もあったかもしれない。そのことをきっかけにして「どうして自分だけ?」と、世の中をうらみ、憎しみを増幅させてゆく人間もいる中――ツトムは闇をはねのけ、自分を守った。


 闇に屈しなかったツトムの勇気、選択、決断…ツトムの中にある〈優しさ〉や〈芯の強さ〉を、サクラは心からとうといものだと思った。


(ツトムで、よかった…)


 サクラは思う。


(独房で出会ったのが、ツトムでよかった…)


 サクラは、あらためて、ふたりの出会いに感謝した。



          ***



「よし、行こう。とにかく、急がなきゃ…」

「うん…」


 なんなく鍵をあけたツトムは、ドアをあけ審査ルームの中へ入っていった。

 サクラもそれにつづく。


 左へ数メートルほど歩くと、〈保管庫〉と書かれたドアにつきあたる。

 そこも同じ要領で鍵をあけ、室内へ侵入することに成功した。


「この施設の4階から下は、ほとんど、すべてが〈アナログ〉なんだ。助かるよ…」


 だから鍵もアナログ形式で、わかりやすい構造なのだとツトムはいった。


 この研究施設は、もともと地上4階、地下4階の8階建ての軍事施設だった。それを20年前に『ノアズ・アーク社』が買取り、エムズがあらわれる〈ゲート〉と軍事施設だけを残して〈増築〉したものが、いまの研究施設だった。


 5年の歳月をついやし、最新設備がととのった巨大高層ビルに姿をかえたが、土台部分は、古き良き時代のアンティークがそのまま残されているという構図だ。


 それには、なにか理由があるのだろうが――サクラたち、脱走者(ここを去る者)にとっては、まるで関係のない話だ。ただ、アナログであるということだけが、ありがたかった。


「急いで、スマホを探そう…」


 ツトムは、部屋の内部に監視カメラがついていないことを確かめると、部屋の明かりをつける――とたん、室内は真昼のように明るくなり、ずらりと並んだロッカーがサクラの目に飛びこんできた。銀行の貸金庫のような銀色の小さな扉が、碁盤の目のように壁にびっしりとはりついている。


「これ…全部、エムズの持ち物…?」

「そうだよ。ま…たいていは、この施設を出るときに返してもらえるみたいだけど。でも、危険物や、希少性の高いモノは没収されてしまうんだ…」

 ツトムは、そう説明しながら、背負ってたバックパックを肩からおろす。


「それより、そのヘッドフォン、僕があずかるよ」

「あ、そうか…」


 役目の終わったヘッドフォンを、ツトムはサクラから受け取ると、小さくたたんでバックパックの中へ押し込む。


 そのとき、サクラは、見るともなしに、ツトムのバックパックの中身をのぞいた。そこには、機械工学の本や、ドライバーなどの工具一式、着替え、携帯食料など、もろもろの私物がはいっていた。


 それらの物は、ラボの人間の信用を勝ちとって、いただいたものか――どちらにしても、ツトムは11年ものあいだ、ここで〈生活〉していたのだ。どうしても手放せないもの、思い入れのあるもの、このバックパックに収まりきらず、苦渋の決断で残してきたものもあっただろう。


 〈物〉には、魂がやどる。

 長い間、一緒に生活していた物との別れは、自分の分身との別れでもある。


(寂しさも、あるのかな…?)


 サクラは、ふと、そんなことを思った。


「ところで、サクラ。きみの〈市民ナンバー〉は?」

「え?」

 とつぜん聞かれて、サクラは固まる。


「市民ナンバー…?」

「エムズが、それぞれに持ってるナンバーだよ。エムズ・アルファも〈エムズ〉である以上、市民ナンバーを持たされるんだ。それがわからないと、きみのスマホも探せない…」

「ど、どういうこと?」

 みると、たしかに、ロッカーのひとつひとつにナンバーがついていた。


「ちょ、ちょっと、まって。私…そんなの知らない!」

 サクラの心臓が‘どきどき’と暴れ出す。

 自分のナンバーなど、つけられた記憶もなければ、教えられた記憶もなかった。だからといって、ひとつひとつロッカーの中を〈透視〉して探す時間もないはずだった。


「サクラ、落ち着いて」

 動揺するサクラに、ツトムはいった。


「大丈夫。ただ、きみの右腕を見せてくれればいいんだ」

「み、右腕…?」

 サクラは、いわれたとおり、ポロシャツの右袖をめくってみると、そこには小さく〈10078〉と、黒い数字がタトゥのように掘りこまれていた。


「こ、これって…」

「大丈夫、ただの刻印だよ」

「いつの間に…」

「きっと、ラボで気を失ったときに、入れられたんじゃないかな」

 ツトムはいたって冷静に「たいした問題じゃない」とサクラに説明した。


「………」

 それは痛くもかゆくもなかったが、簡単にとれるものでもなさそうだった。


「これ…ツトムの腕にもあるの?」

「ああ…もちろんあるよ。でも、いまはそんなことより、急がないと…」

「そ、そうだね…」

 ツトムは、数秒でナンバーを探し、針ガネを器用にあやつり、テキパキと作業を進める。


 ツトムの頭の中には、分刻ふんきざみの完ぺきな脱出スケジュールが組み込まれているのだ。「無駄な会話に時間をついやしている場合ではない」と、真剣な表情で作業をしているツトムの横顔は語っていた。


「あった。私のスマホ…!」


 ロッカーをあけると、その中には、4Cフォーシーに盗まれた〈私物〉がビニール袋にいれられ保管されていた。


 思わずサクラは、ビニール袋ごと、それらをぎゅっと抱きしめる。そのビニール袋には、スマホ以外にホテルの備品も入っていたのだ。


 ふと、サクラの中に疑問がよぎる。

 

 そもそも4Cは、スマホを盗むとき、なぜ他のモノもまとめて盗んだのだろうと。それは「なぜ、保管庫へ入れたのか?」という疑問とともに、サクラの中に残る謎ではあった。


 だが――それも、サクラにはどうでもいい事だ。いまは、もう。

 

(どうでもいい…)


(もう、本当に、彼のことは、どうでもいい…)


(忘れるんだ…)


(マイナスなことは忘れて、前へ進む…)


(ぜったいに、ここを脱出するんだ…)


(ぜったいに…)


「サクラ、それも、僕が持つよ」

 ツトムは、それらをバックパックのすみに詰めこみ、腕時計をみる。


「よし…いま、2時15分だ」

「予定通りね?」

「うん。このままメイン通路のところにある、非常階段までもどるよ」


 ふたりは、何事もなかったかのようにドアを閉め、メイン通路へともどってゆく。


「急ごう、サクラ!」

「うん!」


 ふたりの脱出計画は、はじまったばかりだった。




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