05|23ゲート
その青年の名前は《
〈ノアズ・アーク社〉という製薬会社が建てた、この研究施設の職員だった。
「3年前から、この研究施設で働いててね。いまは、こうして、あっちの世界からやって来る〈エムズ〉を保護する任務についてるんだ」
紺色の作業服にショートブーツ、そしてミリタリーカットのヘアスタイル。
どこか軍人めいたきびきびとした歩き方にくわえて、彼のくせなのか、弾むように歩く姿は、どこをとっても健康的でアクティブな印象をサクラにあたえた。
「この場所を、24時間体制で監視してるモニタールームがあってさ。ふだんはそこで、四六時中モニター画面とにらめっこさ」
「たいへんな仕事なのね…」
「ああ、根気のいる仕事だよ。でも、まぁ…
4Cは、自虐的なセリフで大げさに泣くまねをしてみせ、サクラの笑いをさそった。
「うそばっかり! あなた、根暗にみえないよ」
「そうかな?」
「そうよ。ぜったい、部屋にこもってゲームするタイプじゃない」
「じゃあ、どんなタイプ?」
「うーん、そうだな…」
サクラは、つめたいコンクリートの床を4Cと歩きながら、彼の顔をしみじみとながめる。
ふたりでならんで歩くと、彼の身長は小柄なサクラより20センチほど高い。必然的にサクラが見上げるカタチになる。
「4C、あなたはね。家でじっとしていられないタイプよ」
「ほぉ…そーですか?」
「そう。あなたは、アウトドア派。山にでかけて、お日様いっぱいあびて、川原で昼寝するタイプね」
すると、4Cはまじまじとサクラの顔をみていった。
「へぇ…すごいなメイドちゃん。俺の趣味をいい当てたね! キャンプは大好きなんだ。なんでわかった?」
「そんなの簡単。だって、あなた
「たしかにッ」
殺風景なコンクリートの通路に、ふたりの笑い声が反響してひろがった。
その通路は、サクラがあらわれた場所から研究施設内までをつなぐ通路で、ところどころに防火扉が設置され、低い天井に網をかぶせただけの蛍光ランプが、チカチカとふたりを照らす。
この殺風景で色のないモノクロームな景色と、それにくわえ、たえまなく聞こえる‘ ブォ…ン ’という不気味な機械音――本来なら、そこを歩くだけで気が滅入りそうな空間だったが、ふたりは、なぜか、テーマパークではしゃぐカップルのように笑っていた。
「ねぇ、4C。ひとつ聞いてもいい?」
「いいよ、なに?」
「あなた、さっきから私のこと〈メイドちゃん〉って呼ぶけど…それはどうして?」
4Cは、モンスターと戦ってるときから、サクラのことを〈メイドちゃん〉と呼んでいた。
「え? どうしてって…」
4Cは、意外そうな顔で、まばたきをくりかえす。
「だって、きみは〈メイド〉だろ? そのグリーンの制服。ホテルのメイドか、そうじゃなかったらカフェのメイドだ」
「…制服?」
サクラは、そのとき、はじめて自分が着ている服をみた。
「あ…」
それは、サクラが働いているホテルの制服だった。
通称〈ハイジ服〉と呼ばれる、アルプスの少女が着ていそうな、白のポロシャツにモスグリーンのギャザーのよったジャンパースカート、その上に同系色のエプロンをつけるかたちのユニフォームだった。
「これって、私の職場の…」
「やっぱり、ホテルかな?」
4Cがきく。
「そう、ホテルよ。私、ホテルの客室課っていうところで働いてるの。ベッドメイクしたり、お客さまにアイロンや加湿器を届けたりね…」
サクラはこの制服を着て、毎日、ホテル内を忙しくかけまわっていた。
その記憶は、数分前に起きたフラッシュバックとはちがう、自然に、自分の中に存在している記憶だった。
(よかった…)
(ちゃんと覚えてる…)
(ベッドにシーツを広げてベッドメイクをしている記憶…)
(お客様に呼ばれて接客している記憶…)
(休憩時間に、職場仲間とおしゃべりしている記憶…)
(職場仲間の顔も名前も、ひとりひとり、みんな覚えてる…)
(忘れるはずがない…)
(だって、いまもそこで働いてるんだから…)
(明日、また、働きにいく場所なんだから…)
(そう――そして、ホテルに行けば、きっとすべて思い出す…)
(上司の顔も、名前も…すべて…)
(忘れるはずがない…)
(大好きな職場…大好きな仲間たち…)
(大好きな…)
だが――やはり、上司のことは、顔も、名前も、小さなエピソードさえも思い出せなかった。
記憶の欠落は、誰にでもある。誰もが「顔はわかるのに名前が思い出せない」という現象におちいった経験はあるだろう。
だが、それと、今回の記憶障害とはなにかがちがっていた。
それは、もちろん、4Cのいう「こっちの世界に転移してくるときの弊害」なのかもしれなかったが――いま、サクラの中にある言い知れぬ不安は、サクラの中で大きくなってゆくばかりだった。
(いずれ、すべて思い出す…)
(でも…それは…)
(ほんとうに、思い出していい記憶…?)
サクラは、ふと、そう思ったのだ。
ひとは、あまりにつらい経験をすると、一時的に記憶を封印することがあると、いつか、なにかで聞いたことがあったからだ。
ホテルのことや仕事仲間のことは思い出せるのに、上司のことだけ思い出せないのは、サクラ自身が思い出したくない記憶だからなのではないか、と――。
(なんか、嫌な感じがする…)
(もう、彼のことを考えるのはよそう…)
(それが、いい…)
(考えるな…)
サクラの中に生まれた負の感情が黒い煙となってたちのぼり、サクラの心にふわふわとまとわりついた、そのとき――サクラのななめ上から声がふってきた。
「メイドちゃん。これで、きみの働く場所は決まりだな」
4Cの声が、サクラの思考をさえぎる。
「きみは、ホテルのメイドだ。こっちの世界にもホテルはたくさんある。〈入国審査〉のときに希望をいえば働かせてもらえるはずさ」
「入国…しんさ…?」
「あ、そうか。まだ説明してなかったな」
肩からずれ落ちそうになる火炎放射器を、なんども背負いなおしながら、4Cはつづけた。
「きみは、このあと〈審査ルーム〉で入国の手続きをすることになってる。そっちの世界でも〈外国〉にいったら入国の手続きをするだろ? それと同じことだ。年齢、性別、住んでいたところ…いろいろ審査官が質問して、きみの適正を判断してくれる。もちろん、本当のことなんてたしかめようがないから、これはあくまでも形式的な手続きだ。だいじょうぶ、すぐに終わるよ」
4Cはそういって、不安そうな表情を浮かべてるサクラに軽くウインクをした。
「その審査が通ったら、外に出られるの?」
「そうだよ。ま…手続き中になにかあったら、俺を呼べばいい。秒速でたすけにいくからさ」
「ほんと?」
「ああ、約束だ」
4Cの言葉は、自信にみちあふれていて力強かった。
「ありがと…4C…」
サクラは、はにかむようにほほえみ、
「あなたに『大丈夫』っていわれたら、本当に大丈夫って気がしてきた」
「そうだろ? 俺の言葉には魔力があるからな。『空をとべ!』っていったら、みんな飛んじゃうんだぜ? すごいだろ?」
4Cは、お決まりのジョークでサクラを笑わせ、その笑顔をみて4Cも笑った。
そうして、また、テーマパークでデートしているような空気が流れたとき、
「さぁ、やっと着いた。ここが、23ゲートだ」
みると、サクラの目の前に『23
***
4Cは、かかえてた作業バッグと火炎放射器を壁際に置き、ハッチについてるハンドル型のドアノブをまわす。
’ギィ…’
’ギィ…’
’ギィ…’
4Cがまわすハンドルの軋む音は、まるで子鬼がのどを鳴らして笑っているよう
にサクラにはきこえた。
「ゲートは、1ゲートから42ゲートまであって、その42箇所の、どこかからきみたちエムズはやってくる」
「42箇所もあるの?」
「そうさ、この施設はバカでかいんだぜ!」
自慢げに4Cはいう。
「じゃあ…その42箇所にあの大きな穴があいてるってこと?」
そうサクラが質問すると、「まさか!」と4Cは笑い、
「
「そういわれても、ぜんぜんうれしくないんですけど…」
「だよな!」
4Cは、白い歯をみせて豪快に笑った。
23ゲートのハッチが開いて、4Cは、ゆっくりとこちら側へその鉄扉をひらいてゆく。
’キィィ…’
「ようこそ、アナザーワールドへ…!」
4Cは、片手をすっと広げ、サーカスの団長がステージで挨拶するように、サクラにむかって、うやうやしく
「エムズ、確保ッ!!!」
いきなり――ゲートの扉が、こちら側に勢いよくあいたかと思うと、扉のむこうから、数人の武装した男たちがあらわれ、すばやい動作でサクラの両腕を拘束した。
「な、なに…!?」
あっけにとられたまま動けずにいるサクラのひたいに、ライフル銃の冷たい銃口がすばやく押しあてられる。
「……!」
サクラはわけがわからないまま、石のように固まることしかできなかった。
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