三章 2
ハシェドはエミールのことを、不良になりかけた弟のようで、ほっとけないと言ったことがある。
そのときも、ハシェドがエミールを好きなのだと、勘違いして妬いたものだ。
(ハシェドは、おれに気があるらしいが……)
本人の口から聞いたわけではないので、どうもワレスは自信が持てない。反応を見て判断するしかないのだが、聞きたくても聞けない、もどかしさがつのる。
ワレスは嘆息して話をそらした。
「昨夜、例の変死体の件に遭遇した。男が壁にとりこまれるところは見なかったが、女の霊を見た」
ハシェドはあんぐり口をあけた。
「なっ……ほんとに? なんでそう、もめごとに巻きこまれるんですか? やっぱり、隊長を一人で行かせるんじゃなかった」
「そう言うな。無事だったんだし」
「無事ならいいってもんじゃありませんよ。今夜から一人では出しませんよ?」
「そんな毎晩、出かけるものか。とにかく、それで少し気になることがあるんだ」
「なんですか?」
「食事のあとで文書室へ行こう」
「ロンドが大喜びしますね」
「…………」
それは喜ぶだろうが、しかたない。そのロンドに用があるのだから。
昨夜のカナリーとの密会も知らないで、エミールはジャマ者がいなくなって上機嫌だった。おかげで、食事は平穏に終わる。
文書室へむかう途中、ワレスは昨夜の事件の現場を観察した。ぼんやりと光っていた壁には、階段付近で見たのと同じ、丸い模様ができている。
「ハシェド。どう思う?」
「どうとは? 相手が霊だと剣がきかないんじゃないかとは思いますが」
「この丸いあと。まわりの石より新しい気がしないか?」
「つまり、劣化が少ないという意味ですか?」
「切りだされてきたばかりのように見える」
「たしかに。でも、それって、どういうことなんでしょう?」
「それがわからないから悩んでる」
「まあ、そうですよね」
ワレスは三階の文書室へ行った。
ドアをあけると同時に、灰色の物体が覆いかぶさって、まきついてくる。もちろん、ロンドだ。
「離れろ!」
「なんでですかぁ?」
「なんで? 気持ち悪いからに決まってるだろ?」
「そんなの理由になりません……」
「ふつうはなるだろ? 誰が好きこのんで、毛布のオバケに精気を吸われたいと思うか?」
「毛布のオバケ……」
「毛布が不満なら、ゴミすて場のボロ切れだ!」
「怒ってるときのワレスさんって、す、て、き」
ワレスはロンドをはりたおした。べチャリとボロ切れが床に倒れこむ。
ハシェドが笑った。
「隊長はロンドが苦手ですね」
「苦手も何も、こいつに抱きつかれてみろ」
「それは遠慮します」
「まったく……いちいち気色悪い思いをする、おれの身になってくれ」
両腕で肩をさすりながら、床に倒れたままイモムシみたいにモゾモゾしているロンドの前に、ワレスは立った。
「おい。きさま。これは変死にかかわる重要なことだ。よもや報酬をよこせとは言わないだろうな? まがりなりにも魔術師のおまえに話がある」
すると、さらりと想定外の答えが返ってきた。
「わたくしは司書です。文書の管理とケガ人の手当てなどが仕事です。そのほかのことは契約外となりますので」
「なっ……」
「契約外のことには、それ相応の報酬をいただきたいものです」
「こんなときだけ理詰めになるな!」
「わたくし、いつでも理性的ですよ?」
ワレスは再度、ボロ雑巾をはりたおした。
「もういい! 本題に入る。おまえ、交霊というやつはできるか?」
嬉しげにウネウネしていたロンドが、急にシャッキリする。灰色のフードにあいた穴からのぞく双眸にも光がもどった。
「まあ、できなくはないですね。相手にもよりますが。変死にかかわる霊を呼びたいわけですね。せめて、生前の名前がわかっていないと条件が厳しいですが」
「それはわかっている」
「おすすめはできません。相手は何人も人間をとり殺した亡者だ。呼びだしたものの、逆に襲われるかもしれません」
「そうかもしれない。しかし、以前は会話が成り立った。彼女にはまだ人間性があった。彼女が水底にさそったのは、失った恋に未練を残し、生きることに疲れていた男たちだ。たぶん、彼女自身が、もう一度、恋をしたかったのだと思う。かわいそうな女だが、ひどい女ではなかった。昨夜のことが、どうしても納得できない」
「昨夜、何があったのですか?」
ワレスはリリアのことを打ちあけた。壁に吸われていったのが、リリアだったと。
あごのさきに指をあてて、ロンドは考えている。
「身投げの井戸の女ですか。あれは昇天したはずですがね」
「そうだ。リリアはあきらめがついたからこそ、
「ふうん。しかたないですね。魔術師としての興味に負けました。今夜、交霊をおこないましょう」
「なぜ、夜だ?」
「夜のほうが、ふんいき出るじゃないですか!」
ワレスは脱力した。
「……ほんとに大丈夫なのか?」
「あなたのためなら、なんだっていたしますぅー」
すがりついてくるのを、けりたおす。
「わかった。夜だな!」
イマイチたよりにならないが、ここは魔術師の力が必要だ。
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