三章

三章 1



 翌日。

 ワレスは身投げの井戸のかたわらで、小さな石碑にむきあった。


 リリアの石碑。

 死んだ恋人のあとを追って、井戸に身をなげた哀れな女。

 井戸の底でさみしいのか、次々、男を水底に呼んで、とり殺していた。


 ワレスが砦へ来てもまもないころに、この事件を解決していたので、こうして石碑も建てられ、さわぎはおさまったように見えたのだが……。


(なぜ、今になってまた、おれの前に現れる? まだ満たされないのか?)


 リリアが身をなげた井戸から水をくんで、ワレスは石碑にそそぎかけてやった。

 そこへ内塔から足音と話し声が近づいてくる。ブラゴール語だ。


「——そうだろ? 悪い話じゃないと思うのさ。ここにいたって、どうせ、いつ死ぬか知れたもんじゃないし、それなら、いっそ……」

「しかし、たとえばの話。ここにいるブラゴール人が全員、たばになったとしてもだ。たかが知れてるぜ。太刀打ちできるもんかねぇ。おれたちなんて、したっぱの寄せ集めだ」

「そりゃそうだがね」


 二人のブラゴール人が話しながら井戸のほうへやってくる。ワレスの隊の部下ではない。


 砦には数少ないが、ブラゴール人の傭兵もいる。ブラゴール人は貧富の差の激しい国なので、高給につられて出稼ぎに来ているのである。


 それにしても、きなくさい話をしていた。反乱の計画でも企てているかのような?


 ブラゴール人二人はワレスを見ても、警戒するようすはない。

 まさか、砦にブラゴール語を理解できるユイラ人がいるとは考えもしないのだろう。

 ワレスは騎士学校で、第二外国語として習得した。

 もちろん、ブラゴール人たちはそんなこと知らないから、話を続ける。


「でも、魅力だよな。王宮隊の地位は」

「うまく…………ならな」


 よく聞きとれない。

 すると、とつぜん、背後から声がした。


「隊長。おはようございます」


 塔からハシェドがやってくる。

 ブラゴールたちは、ピタッと口をつぐむ。

 ハシェドはそれに気づいていないのか、ブラゴール人たちにも、朝のあいさつをした。


「おはよう。アブドゥル。イブン」


 二人はあわてたようすで、早口にムグムグ言って、塔のなかへ入っていった。


「知りあいだったのか?」

 ワレスはたずねた。


「第五小隊のやつらです。同じ中隊のブラゴール人は全員、知っています。彼らのほうで、おれをブラゴール人だと思って話しかけてきますので。でも、今日はようすが変だったな。いつもなら、あいさつを返してくれるんですが。隊長がいるから遠慮したのかな?」


 ハシェドは彼らがしていた不穏な話を知らないようだ。


(ブラゴール人の反乱? まさかな。こんな辺境の砦を占拠したところで、なんの価値もない。ブラゴールからユイラを攻撃する要としたいなら、ボイクド砦では位置的におかしい。もっと南のブラゴールに近い砦でなければ)


 ブラゴールはユイラから、かなり南にある砂漠の国だ。

 そして、ブラゴールとユイラとのあいだには、ユイラの友好国である六海州が存在する。

 ブラゴールの軍隊が侵攻してくれば、ユイラへ入るまでに、六海州からの知らせでわかる。


 それを阻止するために、人跡未踏の森から行軍しようというのなら、ブラゴールにもっと近い、九番めの森を守るベレン砦を手に入れようとするだろう。

 魔物が跳梁ちょうりょうする死をもたらす森を進軍しようなどという奇策じたい、自殺行為でしかないと思うが、森の脅威を知らない者なら、そんなことを考えるかもしれない。


 しかし、それも、あくまで、ベレン砦なら——だ。

 ボイクド砦は六番めの森。

 緯度で言えば、ユイラの国土のまんなかあたりだ。

 ブラゴールからは遠すぎる。どう考えても、ブラゴール皇帝のほしがりそうな砦じゃない。


 かといって、砦の待遇に不満を持ったブラゴール人が、ただ自分たちの自由のためだけに反旗をひるがえすなんて、ありえない話だ。


 砦の兵士の総数にくらべて、ブラゴール人は、ほんのひとにぎりでしかないのだから。最初から勝ちめがないことなど、どんなに愚かな人間にだってわかることだ。


 それに、王宮隊と言っていた。ユイラで言う皇帝の近衛隊のことだろう。

 やはり、何かあるとしたら、裏でブラゴール皇帝の意思が働いている。


 ワレスが思慮にふけっていると、ハシェドが問いかけてきた。


「隊長? どうかしましたか?」


 ワレスはハシェドに相談しようとした。

 日ごろから親しいハシェドに、それとなくようすをさぐってもらうほうが、ブラゴール人も気をゆるすだろう。

 だが、そのとき、塔から数人の兵士がおりてきたので、ひらきかけた口をとざす。


「あとでな。食事に行こうか」

「ええ。カナリーはまだ寝てましたよ」

「自分で帰るだろう」

「ジョルジュは喜んで寝顔をスケッチしてましたけどね。エミールが見たら怒るでしょうね」


「気に入らないのか?」

「それは……まあ、そう言われると、そうかもしれません。あれでエミールは真剣みたいだし、ちょっと、かわいそうな気はします」

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