第61話 マイノリティ・サポート
『救世主』に誘われる形で辿りついたのは、百階建てのタワーに似つかわしくない殺風景なエレベーターホールだった。
「この搬入用エレベーターはAPがまだ単なる『機械』にすぎなかった頃に建造された物です。積載量もごくわずかですが、あなたと私が地下に降りてゆくには絶好の乗り物です」
『救世主』はそういうと、小さな金属の箱の中に足を踏みいれた。
――来る時は魔法のような最新型エレベーター、帰りは最古のエレベーターか。
俺はすぐにでもキャサリンの消息を追いたい衝動を抑え、箱が地下に着くのを待った。
やがて行きとは真逆のずしんという重たい衝撃が下半身に伝わり、箱が長旅を終えた。
「お疲れさまでした。地下の『街』まではここから列車で移動します」
「列車?」
俺は開いたドアの向こうに現れた光景に、今度は地下の旅かと思わず項垂れた。エレベーターの終点にあったのは長い横穴と奥の暗闇に吸い込まれている二本のレール、そしてその上に無造作に乗せられている錆びまみれのコンテナだった。
「この荷物運搬用コンテナで『街』に向かいます。乗ってください」
俺が言われるまま金属のコンテナに乗り込むと、『救世主』は内側に設けられたパネルを操作し始めた。
「自走式なので後は眠っていても到着します。十分くらいでしょうか」
『救世主』がそう言ってボタンの一つを押すと、がくんという反動につづいて金属の箱がゆっくりと動き始めた。進むにつれて減ってゆく頭上の照明に不安を覚えつつ、俺は半ばやけ気味に「着いたら起こしてくれ、車掌さん」と言って目を閉じた。
やがて出発時と同様にがくんという反動が箱を揺さぶり、正面の壁が左右に開いた。
「到着しました。……どうです、この風景に見覚えはありますか?」
箱から降りた俺は『救世主』の問いかけに間髪を入れず頷いていた。終点の駅から見えた風景は、俺が前回『サンクチュアリ』を訪れた時に見た『市場』そのものだった。
「私はいつもこの先の地下礼拝堂で、午後四時から集会を開いています。よかったらいらして下さい」
「ああ、気が向いたらね。助けてくれてありがとう」
「どういいたしまして。あなたを助けたことは私にとってあらかじめ定められた『使命』なのです。お礼には及びません」
『救世主』は事もなげに言うと、俺をその場に残し立ち去っていった。ゲートが開いたのが正午で今が三時過ぎとすると、キャサリンと別れて二時間以上が経っている事になる。
……とにかくキャサリンを見つけだし付喪の手から『ディスク』を取り戻さなきゃいけない。『救世主』には申し訳ないが、機械と人間の神様になんて構っちゃいられないぜ。
俺はジェイコブにでも会えば相談できるんだが、と淡い期待を抱きながら歩き始めた。
地下生活者たちが行き交う市場はそれなりに活気があり、俺は前回、ジェイコブと入った定食屋の近くに屋台を見つけると、あたかも地下の住人のような顔でもぐり込んだ。
「ええと……この『卵・ヌードル入りコナモンケーキ』ってやつを頼む」
俺が鉢巻をした店員に言うと、店員は「自分で焼くかね?」と俺の顔も見ずに尋ねた。
「いや、正直、焼き方がよくわからない。作ってもらえないかな」
俺が頼むと店員は無言で目の前の鉄板に生地を薄く広げ、その上に卵を割り落とした。
「お客さん『コナモンケーキ』は初めてかい?」
俺が頷くと店員は「ヌードル入りは結構、ヴォリュームがあるよ。シーフード入りの『ボールケーキ』もあるけど、これでいいんだね?」と念を押してきた。
「ああ、これから戦いに行くかもしれないんでね。スタミナをつけておくに越したことはないよ」
「戦いとはまた、穏やかじゃないね」
店員はヌードルを軽やかな手つきで炒めつつ、雲った眼鏡の上の眉をひそめた。俺はでき上った『コナモンケーキ』にソースを塗りながら、これ以上のおしゃべりは慎んだ方が賢明だと判断した。
「なああんた、あまり見ない顔だな」
いきなり背後から呼びかけられ、カツオフレークをつまんだまま振り変えると、背の低い中年男がこちらを物珍し気に眺めているのが見えた。
「ちょっと、遠い場所から来たもんで」
土地勘がない風を装ってそう答えると、男は失礼するとも言わず、ずけずけと隣に座りこんだ。
「ふうん……俺にはなんだか『外の街』の臭いがするように感じられるんだが。……ひょっとしてあんたが『ハンコック』とかいう『猿回し』の仲間か?」
唐突にハンコックの名を出され動揺しながらも、俺は下手に取り繕わないことを決めた。
「違う。ハンコックはこの間『上級AP』に殺された。『猿回し』もだ」
「ほう、よく知ってるな。あんたはおまわりか何かか?こんなところをうろついてるってことは、外の街から追いだされて『サンクチュアリ』のAPに泣きついたのか?」
男の口調は明らかに挑発を目的としていて、俺はできるだけ素っ気なく応じる事にした。
「あいにくとおまわりでもやくざでもない。アルバイトでその日をしのいでる寺の息子だ」
「寺だと……この間、突然現れてこの辺をうろついてた『弥勒』とかいう奴の仲間か」
「『弥勒』だと……?『弥勒』がここにいるのか?」
俺が驚いて聞き返すと、男はやっと食いついたかと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
「もういない。やって来て一日か二日でいなくなっちまった。どこに行ったかは知らねえ」
男は吐き捨てるように言うと、俺の方を見た。
「あんた、あいつの知りあいか?変なキモノを着て、どうもうさん臭い奴だったが……んっ?なんだそれは」
男がそう言って向けた視線の先に、俺が波多野から貰って付けた『ある物』があった。
「何故それをつけている?お前はタワーのAPか?」
俺が服に付けていたのは、生体認証無しで『スメール・ビル』に入るためのアイテム『識別タグ』だった。
「……ちょっとそいつをよこせ」
男が手を伸ばした瞬間、俺は反射的にマヨネーズのチューブを潰した。
「ぎゃっ」
顔をマヨネ―ズだらけにして呻いている男を尻目に屋台を飛びだすと、俺は市場の人ごみを縫って走り始めた。
「……畜生、
俺は市場のあちこちで人が身じろぎする気配を感じながら、なんとか俺の無実を証明してくれる人間が現れないかと必死であたりを見回した。が、期待に反し背後からだけでなく前方からも人影が現れ、俺はつるし上げられることを覚悟した。
「――こっちに来な、人間」
俺が立ち止まって躊躇していると、ふいに誰かがズボンの裾を掴んだ。視線を落とすと屋台と屋台の隙間から、手足の生えた小さな機械が俺を見上げているのが見えた。
「お前さんは……」
俺に話しかけたのは以前、セルゲイ・ホドロフという男の作業場で見た武骨なスピーカーだった。スピーカーは「背を低くしてついてきな」と言いつつ細い隙間へと俺を誘った。
「あ……ああ」
俺は事態をよく呑み込めないまま身を屈めると、中腰のまま屋台の隙間へと潜りこんだ。
〈第六十二回に続く〉
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