第43話 受取人は警報ベルを鳴らす


 最初に案内されたのは、食事会が催される大広間だった。普段、車内かトレーラーハウスでしか食事を摂らない俺にとって、名士たちとの会食など想像するだけで窒息しそうだった。


「ここで会食を催している最中に、警報を鳴らします。私がエイブラムス氏から『万能キー』を受け取ってビル内の様子を見に行ったら、少し時間を置いて抜けだして下さい」


 波多野はそう言うといったん広間を出て、同じ一階にある厨房に俺を案内した。


「ここに電気で加熱する窯があります。扉を解放して千度近くまで温度を上げれば、室内の空気も高温になるので火災が発生した時と似た状態になります」


 波多野は厨房の奥にある冷蔵庫を大きくしたような箱を指で示しながら言った。


「つまり火災報知器が鳴ったので行ってみたら、窯の扉が開けっぱなしだった――そう言うシナリオを予定しているってことか」


「その通りです。それだけだと距離が短すぎて時間が稼げないので、エイブラムス氏には「スイッチを切るため窯に近づこうとしたが、床が熱せられていて時間がかかった」と説明することにします」


「……で、実際には俺を食糧庫に案内するというわけだ」


「そうです。私がエイブラムス氏から『万能キー』を預かったとして、ビル内を見回るのに要する時間はせいぜい十五分です。その間に食糧庫のロックを外し、さらにその奥にある外部に繋がる出口――確かシャッターがあるはずです――のロックも同時に外します」


「食糧庫に隠されている車がそのまま外に出られるように……だな?」


「ええ。会食の間に建物を運河の川べりに寄せておきます。うまく行けば水面に触れずに脱出できるはずです」


「至れり尽くせりだな。……ガフには一応、浮き輪を出す機能があるから、万一の時はみんなで川べりまで漕いで行くよ」


「お願いします。……では食糧庫に行ってみましょう」


 波多野は俺の冗談に真顔で答えると、同じ階の角部屋に当たる位置へと俺を案内した。


「この扉の向こうが食糧庫です。……今は開けられないので、お探しの方が中にいらっしゃるかどうかは確かめられませんが……」


 波多野がそう言って扉を透かし見るように見つめると、姑娘が「でも微かに聞こえるよ、ガフの寝言が」と言った。


「寝言?」


「うん。「ぼくはここ」って繰り返し言ってる気がする。……早く助けてあげて、ボス」


「わかった。ジーナも一緒だといいな。必ず爺さんのところに連れて帰ってやるぜ」


「明日、ビルの見取り図とあなたの仮の名前、こちらで用意した肩書と経歴をファイルにしてお送りします」


 俺は波多野が差し出した手帳に自分の連絡先を記すと、「よろしく頼む」と手渡した。


「私との関係や出会った時のエピソードなども付け加えておきますので、咄嗟に話を振られても動揺せずに話を合わせてください」


 俺は頷くと「頑張ってせいぜい名士らしく振る舞わせてもらうよ」と返した。


「ではこれから建物を当日の集合場所でもある、川べりの遊歩道にご案内します。土手へと続く階段があるので、すみませんが自力で道路までお戻りください」


 波多野は玄関らしき扉の前に俺を案内すると、なにやら端末の操作を始めた。やがてごおんという音がして床が揺れる気配があった。


「到着です。扉を開ければ元の川べりに戻れます。……ピートさん。この次は来賓としていらしてください。お待ちしています」


 俺は波多野に「色々ありがとう」と軽く頭を下げると、扉を開けて戸外へと移動した。


「……キャサリン、俺だ。無事に届け物を終えて、川べりの遊歩道にいる。これから階段を上り、道路脇のガードレールに腰かけて待っている。悪いが迎えに来てくれないか」


 俺は少し肌寒い風を頬に感じながら、キャサリンに呼びかけた。


「わかったわ。探すのに少し時間がかかるかもしれないけど、見つけるまで待っていて」


 俺はオーケー、と返すと前方右手に見える階段に向かって遊歩道を歩き始めた。階段の下に到着し、ふと道路の方を見上げた時だった。階段を上り切ったあたりに黒く人影のようなものが見え、俺は思わず目を凝らした。


「……誰だ?」


 ――ピートさん。あなたに運びの仕事を依頼したい。


 人影は黒いコートのような物に身を包み、人とも機械ともつかない声で言った。


「誰だ?夜叉にしては背が高すぎるし、声と髪型も違うな」


 俺が訝ると、人影はさらに言葉を継いだ。


 ――届け先は『サンクチュアリ』だ。そこであなたは全てを知って生まれ変わるだろう。


「いったい何のことだ。俺は立った今、仕事を一つ片付けたばかりなんだ。それに明後日も大事な用事が控えている。第一『サンクチュアリ』と聞いただけで論外だ。あんな恐ろしい場所に足を踏み入れるのは金輪際、ごめんだ。悪いがお断りさせてもらうよ」


 ――それでもあなたはこの仕事を引き受けるだろう。いずれ正式に依頼させていただく。


 人物はそう言うと、闇に溶けるように姿を消した。階段を駆けあがり、上の道路に辿りついた俺はコートの人物を探して周囲を見回した。だが、車両の行き交う往来に、歩行者らしき姿は見受けられなかった。


「くそっ、いったい何者なんだ」


 俺が歯噛みしながら人物が口にした奇妙な依頼を反芻していると、クラクションの音と共に見慣れた黄色い車が目の前に滑りこんできた。


「遅くなってごめんなさい。……どうしたのピート。仕事が片付いたのに難しい顔をして」


 キャサリンがドアを開けながら、怪訝そうに尋ねた。俺は運転席のシートに収まると、思わず安堵の溜息を漏らした。


「なに、なんでもないさ。パーティに着ていけるような一張羅があったかな、と思ってさ」


 俺は問いを重ねたそうなキャサリンに「後で話すよ」と告げ、シートの上で目を閉じた。


             〈第四十四回に続く〉

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