第42話 招かれざる招待客


 「この街で運び屋をしているピート・ギアだ。……やれやれ、店の場所を見つけるまで丸三日かかっちまった。秘密主義にもほどがあるぜ、波多野料理長」


 俺はリュックを下ろすと、どこか緊張した面持ちの波多野にレシピを記したノートを手渡した。一応、これで依頼は終了だが、俺には聞きたいことが山ほどあった。


「どうだい、それで間違いないかな。職務上、荷物の中身を見ることはご法度なんでね。ご本人からお墨付きをいただかないと依頼が完了しないんだ」


 まず本物だろう、そう思いつつ問いを投げかけると、ノートの中身に黙って視線を落としていた波多野の目が潤み始めた。


「本物です。これは間違いなく建友氏の字です。……懐かしい。まさかこのレシピを見られる日が来るとは思わなかった。ありがとうございます、ピートさん」


 波多野は屋上で問答を交わしていた時とは打って変わって紳士的な口調になると、深々と頭を下げた。


「それにしてもこの部屋は何だい?鯨の胃袋にしちゃ、嫌に人工的じゃないか」


「ここは『IDインダストリー』が造った水中ビルの管制室です。会員の一人である『IDインダストリー』の社長が、今回は完成したばかりのビルのお披露目もかねて、ここで『美趣仁庵』を開店して欲しいと要求してきたのです」


「なるほど水中ビルか、そういう可能性は考えなかった。道理で見つからないわけだぜ」


 俺は腕組みをして唸ると、モニターだらけの壁面を睨みつけた。『IDインダストリー』とはこの街で最も大きな企業だ。元々は小さなメーカーで、APの原型を造ったとも言われている。街に運河をめぐらせ、サンクチュアリのビル群をこしらえたのもこの会社だ。


「私は元々、このような派手な場所での開店には及び腰でした。『美趣仁庵』はもっと質素な造りであるべきだし、閑静な立地で開催することが絶対の条件だと思っていましたから」


 波多野はノートと俺の顔を交互に見ながら、きっぱりとした口調で言った。どうやらそれなりの誇りと主張を持った料理人らしい。


「しかしこの街の現状を考えるとそうも言っていられないというのが本音です。『IDインダストリー』の経営権は事実上『サンクチュアリ』に握られていて、こちら側にある本社の代表には事業の決定権がないと言われています」


「つまりこのビルでの開催を命じたのは、社長の意志というより……」


「ええ、『サンクチュアリ』の意志でしょう。『IDインダストリー』にこの水中ビルの開発を発注したのも『サンクチュアリ』ではないかと思われます」


「何のためにこんな怪物を……」


 俺が独り言のように問いを口にすると、波多野は「わかりません」と頭を振った。


「明後日の食事会も、もしかしたら『サンクチュアリ』が極秘裏に進めている計画の一端かもしれません」


「そう言えば会員の一人でハロルドという男が死んだそうだが、そいつが「今回のパーティーには秘密のゲストが来る」と言い残したらしい」


「ええ、私もその「秘密のゲスト」の話は耳にしております。……が、それ以上のことはわかりません。『美趣仁庵』の料理長といえど、『サンクチュアリ』の内情に踏みこんだら命の保証はありませんからね」


 波多野はそう言い放つと「私の仕事は料理で会員をもてなすことです」と付け加えた。


「なるほど、色々と興味深い話が聞けて良かったよ。これで胸を張って報酬を受け取れる」


 俺が冗談めかして言うと、波多野が「報酬は私がお支払いしたいくらいです」と言った。


「このノートが手元にあることで私がどれほど心強いか、あなたにはおわかりにならないでしょう。本来ならあなたにも『美趣仁庵』のメニューを味わって頂きたいところです」


 波多野がまんざらサービスとも思えぬ言葉を口にした、その時だった。背中のリュックが大きく動いた。俺がリュックを床に降ろして中をあらためると、黒い子猫が焦れたように飛びだしてきた。


「……ピート、大変。この下にガフがいるわ」


「なんだって?いったいどういうことだ」


 思いもよらぬ報告に、俺は言葉を失った。


「エンジンは止まってるけど、寝息が聞こえるの」


「寝息?寝息とは何だ、姑娘」


「事故に遭って自分では動けなくなった時、居場所を知らせる救難信号を出す装置をジーナのお爺ちゃんがガフに取りつけたの。その信号が寝息ってわけ」


「……波多野さん、この部屋の下は何だい?」


「私もこのビルの全ての構造を把握しているわけではありませんが、たぶん食糧庫だと思います。私が使用しているのはほんの一部で、それ以外のスペースは『IDインダストリー』が管理しています」


「どうやったら中に入れる?……どうやら行方不明になった俺の友達が閉じ込められているみたいなんだ」


「なんですって?……倉庫に入るには、社員と一緒に入るか『万能キー』と呼ばれる認証カードが必要です。しかし『万能キー』を持っているのは社長のエイブラムス氏一人だけです」


「じゃあ、お手上げってわけか。……畜生、これほど近くまで来てるってのに」


「……ピートさん、実は方法がないわけではありません」


「本当か?……どんな方法でもいい、教えてくれないか」


「建物が災害のような不測の事態に見舞われた場合、私が社長のエイブラムス氏から一時的に『万能キー』を預かることができるのです。それをあなたにお貸しします」


「貸すといっても、災害が起こらなければどうしようもない」


「起こったことにするのです。……いいですか、ピートさん。『美趣仁庵』の食事会には料理長の権限で一人だけ招待客を呼べるという決まりがあります。私があなたを招待します」


「だが、権限を利用して外部の人間に『万能キー』を貸したと知れたらあんたは馘首くびだ」


「そうなったらその時はその時です。本来の招待客を装った別人が、私を欺くために紛れ込んだことにしましょう。不祥事が起きたことで水中ビルがふさわしくないということになれば今後、このような特殊な立地での開催は見送られる可能性が高い。どうせ一度きりのゲストなのですから、鮮やかな手口で私を騙してくれればいいのです」


 波多野はそう言うと、足元をぐるぐる回っている子猫に目をやった。


「さあ、今のうちにビルの見られる場所だけでも確かめておきましょう。私が案内します」


 波多野はそう言うと、俺と姑娘に背を向けて管制室の奥にある扉に向かって歩き出した。


             〈第四十三回に続く〉

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