第41話 料理長を探せ


 俺はキャサリンの「身体」をトランクに収めると、救命胴衣を身につけた。泳ぎたくなったわけではないが、そうなる可能性だってなくはないのだ。


 身体にハーネスをつけてキャサリンにロープを緩めるよう指示を出すと、黒い物体がリュックに飛び込んだ。姑娘だ。


「あたしも行くよ。どんなところか見てパパに教えてあげるんだ」


「失敗したら盛大に水浴びだぜ。いいのか?」


 俺は背中の「にゃっ」という返答を確かめると、ガードレールを乗り越えた。


「そんじゃキャサリン、ちょっくら川遊びに行ってくるぜ」


 俺はキャサリンの「いつまで経っても子どもなんだから」という言葉を合図に、河岸の斜面を降り始めた。


 ガードレールから五メートルほど下の斜面で降下を止め、斜面に貼りついた俺は首をねじ曲げ川面に目をやった。するとほどなく水面からわずかに背を覗かせた箱型の物体が、巨大な水棲生物のようにゆっくりと眼下に滑りこんできた。


「キャサリン、ロープを緩めてくれ」


 俺が指示を出すと身体が静かに降下を始めた。何とか足元を通り過ぎる前に、あの上に降り立たなければ。屋上まで二メートルほどの距離になった時、おれは再びキャサリンに指示を出した。


「よし、止めてくれ。ロープを外して飛び降りる」


「気をつけてね」


 俺はは意を決するとベルトから金具を外し、黒いシートで覆われた怪物の背――屋上に飛び降りた。どうやら黒いシートの下はコンクリートらしく、俺は足の裏に軽い衝撃を感じた。だだっぴろい屋上はフラットで、どこに入り口があるのかもわからなかった。


 このままじゃ埒が開かない。そう思った俺は水滴に足を取られないよう気をつけながら、シートの上を歩き始めた。


 ――どこかにカメラがあるはずだ。


 歩き出して間もなく、俺は屋上の一角に奇妙な物を見つけた。シートに穿たれた穴から、首長竜のような黒く細長い突起が顔を覗かせているのが見えたのだ。


 あれだな、偵察用のカメラは。俺はそう確信すると、突起に歩み寄った。突起の先端部にはレンズらしき物がはめ込まれており、俺はその前に立ちはだかると両手を広げた。


「おおい見えるか、波多野料理長。大埜建友氏のレシピを届けにきた者だ。中に入れてくれないか」


 俺が叫ぶと、しばしの沈黙の後「建友氏のレシピだと?」と男性の声が響き渡った。


「いったい何者だ。返答によっては無事では済まないぞ」


 男性の声が威嚇するように響いたかと思うと、シートからサーチライトのような物が顔を出し、強い光で俺を照らした。


「……うっ、やめてくれ。俺は『ファイブギア』という運び屋だ。大埜氏の娘の沙羅から、あんたにこのレシピを届けるよう依頼を受けたんだ」


「……本当に建友氏の娘から依頼を受けたのか」


「本当だ。俺は嘘はつかない。この仕事は信用が第一なんだ」


「……了解した。職員用通用口を開放する。施錠はしていないから入ってきたまえ」


 声がそう告げると同時にシートの一点に裂け目が現れ、二メートル四方ほどの箱型の突起がせり出すのが見えた。俺が歩み寄ると認証用と思われるカメラが動き、ピンという音がして正面の壁が左右に開いた。


 中に足を踏み入れるとドアが閉まり、箱全体が下降を始めた。やがて箱の動きが止まり、入った時と反対側の壁が開いた。


「……あっ」


 予想外の風景に俺は絶句した。目の前に現れたのはレストランのフロアでもなければ巨大な冷蔵庫のある調理室でもなく、モニターが壁を埋め尽くす管制室のような部屋だった。


「ようこそ『美趣仁庵』へ」


 部屋の奥に立っていた料理人らしき服装の男性が、俺を認めるとうやうやしく一礼した。


             〈第四十二回に続く〉

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