第26話 機械たちの巣の中で
「うーん、まるで夜みたいに静かな場所だねえ。こんな時はムードたっぷりのスゥイートラブソングはいかがかな」
「……しっ、頼むから少しヴォリュームを下げてくれ、レディオマン」
俺は口の動きを悟られぬよう、押し殺した声でぼそぼそと言った。キャサリンの居場所を探るにはレディオマンの情報が不可欠だが、イヤホンを怪しまれたらおしまいだ。
「これは失礼。でも愛しのマドモアゼルにはぐっと近づいてる気がするねえ」
俺は気休めであっても胸が高鳴るのを覚えた。だが今はクリスたちの仕事が一段落するのを待つしかない。慎重に事を運ばなければ、せっかくのチャンスがふいになってしまう。
「ピート君」
「なんです?」
「この中では『飼育係』という言葉を使わないように。あれは我々のスラングで、APたちは人間のことを『奉仕者』と呼んでいる。些細なことだが、怪しまれないことが重要だ」
俺は囁くようなクリスの助言に、黙って頷いた。危険な芝居はすでに始まっているのだ。
俺たちは長い廊下をクリスを先頭に進んでいった。驚いたことにAPたちのこしらえた医療機関は、サンクチュアリの外の病院と何ら変わるところがなかった。
行き交う利用者の姿も、明らかに機械とわかる外見のものは別として、医師や患者の姿をしたものたちがAPなのか『奉仕者』なのか、しかとは見極められなかった。
――APのヒューマノイドボディが人間と見分けがつかぬ性能になったのか?それともAPと人間が完全に調和して対等な生活を営んでいるのか?
俺は車椅子の男性とすれ違う刹那、車いすを押している白衣の女性と患者らしき男性を素早く盗み見た。ヒューマノイド型APを人間がケアしているのか、病んだ人間を看護職に特化したAPがケアしているのか。
もしAPが人間と見分けがつかぬ存在にまで進化しているとすれば両方とも人間ではなく、APがAPをケアしている可能性もある。
「……こんにちは、クリス先生」
採血室の窓から呼びかけてきたのは、年配の女性看護師だった。
「ああどうも、ご無沙汰しています。ナターシャさん。……ちなみにBブロックのF2にいる患者さんから往診の依頼があったんですが、どんな方かご存じありませんか」
「F2……ドースンさんかしら。睡眠障害で仕事中に倒れてしまった方だわ、たぶん」
「ほう、睡眠障害ね。導眠剤の投与は?」
「悪夢を見るからって拒否してるみたい。おかしな強迫観念に悩まされてるって言う話よ」
「悪夢か……すると薬物治療じゃなく、カウンセリングの依頼か。面倒だな」
「うふふ、面倒よね、人間って」
俺ははっとした。この年配の看護師はAPなのか?
「色々ありがとう。参考になったよ」
「どういたしまして」
クリスはごく自然に会話を終えると、再び歩き出した。先をゆく二人に続いて角を曲がった瞬間、俺は思わずあっと声を上げそうになった。それまで通路を挟んで両側に並んでいた処置室が、広い空間をカーテンやパーティションで区切っただけの雑な配置に変わっていた。
俺たちは通路もない無秩序なフロアを、処置中の患者や看護師を横目で眺めながら進んでいった。
「ここがBブロック……」
「どうやらF2は解放型の処置スペースらしいな。プライバシーなどあったもんじゃない」
クリスは眉を寄せて呟くと、ここに来て初めて不快そうな表情を見せた。
パーティションの間をくねくねと蛇行しながら進んでゆくうちに、俺はあたりに漂う異様な雰囲気の正体をおぼろげながら掴み始めていた。
ある「部屋」では無表情な看護師が震えている患者に液体のような物を飲ませようとしていた。患者は明らかにパニックに陥っており、両者の間に信頼関係が存在しないことがうかがえた。おそらく患者が「人間」で、看護師がAPなのだろう。
別の「部屋」では身体の内部に機械が見えている患者に、年配の医師が注射器を持ったまま話しかけていた。困惑したような表情の医師は人間で、APの治療を命じられて戸惑っているのかもしれない。
つまりここでは人間とAPが互いのことをよくわからぬまま、手探りで医療行為を行っているのだろう。人間より優れているはずのAPがなぜ、まともな医療をできないのか。
とりとめもない考えに耽っているとクリスが足を止めて「ここだ、F2は」と言った。
クリスが俺に目で示した場所は、アコーディオンカーテンで区切られた一角だった。
「失礼します。医師のマシスンです」
クリスがカーテンを開けて中に入り、ベティも後に続いた。俺は一瞬ためらった後、同様に中に足を踏みいれた。俺がカーテンを閉めようと背後を振り返った、その時だった。
近くの処置室から人影がすっと現れたかと思うと、俺のすぐ近くを通り過ぎていった。
――あれは、夜叉?
身にまとっている物こそ白衣だったが、腰まである黒髪と冷徹な眼差しは紛れもなく夜叉のそれだった。俺は素早くカーテンの陰に身を潜めると、思考を整理した。
――なぜ、あの女が『サンクチュアリ』にいる?しかもAPの医療施設に。
俺は黒づくめの女が医師の格好をしていることに違和感を覚えつつ、そういえば今日は俺も白衣だったと苦笑を漏らした。こんな付け焼き刃の変装では不審に見えるに違いない。
「睡眠障害とのことですが、お加減はいかがです?」
クリスが話しかけているのは、神経質そうな中年男性だった。こうして見るとなるほど、クリスもベティも年季の入った医療従事者に見える。男性は虚ろな目を俺たちに向けたまま、ろれつのまわらぬ口調で断片的な言葉を発した。
「もうすぐ裁きが下される……私は選ばねばならない」
「選ぶ?……何をです」
「APか人間か、どちらの天国に行くか。機械と人間の神、どちらに身体を捧げるかを」
「落ちついて下さい、ドースンさん。機械と人間の神とはなんです?」
「それは……」
男性が口ごもった、その時だった。ふいにイヤホンからレディオマンの声が流れだした。
「ヘイ、ジェントルマン、聞いてるかい?どうやらハニーの居場所がわかったよ。このフロアの奥にある集中治療室だ。ちなみに私も近くにいるから、大急ぎで会いに来ておくれ」
「集中治療質だって?キャサリンは車だぜ、レディオマン」
「そうだよねえ。いかしたマイカーが、どういうわけか眠り姫になっちまったてわけだ」
「とにかくすぐ行く。待っててくれ、レディオマン」
「オーケー、花束と素敵なバラードを用意して待ってるよ、ボーイ」
俺は小声でレディオマンと会話を交わすと、クリスが診察を終えるのを待った。
ドースンに異変が生じたのは、クリスが鞄から鎮静剤のアンプルを取り出そうとした直後だった。
「うわあああっ」
突然、ドースンが弾かれたように立ちあがると、クリスを突き飛ばしてカーテンの外に飛び出したのだった。
「……来るな、まだ裁かれたくないんだ。……来ないでくれえっ」
俺は反射的に部屋を飛びだすと、滅茶苦茶な足取りで逃げてゆくドースンの後を追った。
〈第二十七回に続く〉
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