第18話 デスルームより愛を込めて
昇降装置で穴の底についた俺たちが目にしたのは、壁面に開いた巨大な地下道だった。
「こりゃあすごいな奥が真っ暗で見えやしない」
俺が四車線分はあろうかという広いアンダーパスに感嘆の声を漏らすと、突然、ガフに取りつけたばかりのカーオーディオから陽気な声が流れだした。
「おや?さわやかな昼間のドライブかと思いきや、いつの間にか夜みたいに静かなスポットに来ているね」
「レディオマン!地下でも電波が届くのか?」
「そう。あいにくと美貌のパートナーからの連絡はまだないが、わたくしDJレディオマンのスタジオには確実に近づいてるよ。でもどうして地下で電波が届くんだろうねえ」
陽気なレディオマンの口調に、俺は怖気づいた気持ちがふっと和らぐのを覚えた。
「とにかくここからしばらくは真っ暗闇のアンダーパスドライブだ。曲はシャカタクの『ナイトバーズ』。鳥は飛ばないけどムードたっぷりにお送りするよ」
レディオマンが茶目っ気たっぷりに曲紹介を終えると、後部席で丸まっていた姑娘が顔を上げて「にゃっ」と鳴いた。
「よしガフ、行こう。何が待ち受けているかわからないから、アクセルは控えめに頼む」
「それがボス、僕、暗い道が苦手なんだ。どうしたらいいかな」
ガフが突然、弱気を見せると姑娘がするりと運転席に飛び込んできた。
「大丈夫、あたし夜目が利くの。運転を手伝ったげるわ」
俺たちは覚悟を決めると、サンクチュアリの地下へと続く暗く長い道路に飛び込んでいった。当然ながら対向車のライトも無く、走っているとそのまま闇の世界に吸いこまれてしまいそうな錯覚に陥るのがわかった。唯一、レディオマンが流すBGMだけが、俺たちを正気の世界に繋ぎ止めていた。
「そろそろ運河の下かねえ」
沈黙に飽きたのか、数分ほど走ったところでジーナがぼそりと漏らした。
「そうだな。そんなところだろう。水は頭の上だから、橋を渡って行くのと違って転落する心配だけは無いってわけだ」
俺が不安を紛らわせようとさして面白くもないジョークを口にした、その時だった。
突然、轟音とともに上から降りてきた『壁』が前方の道路を遮断し始めた。
「うっ……何だっ。ガフ、止めないとぶつかるぞ」
「はいっ、了解」
急ブレーキの音と共に、ガフと俺たちは閉まりかけた壁の直前で停車した。
「ピート見て、後ろもよ!」
姑娘の声に振り返ると、俺たちの後方でやはり同様の壁が道路を遮断しようとしていた。
「なんてこった、どうやら俺たちは地下道の真ん中で閉じ込められちまったらしい」
俺はうなった。これが敵の罠かどうかを判断するのは難しかったが、いずれにせよ先に進めなくなったことだけは確かだ。俺は車から降りると、周囲を見回した。
「罠って言うより災害時のための隔壁って感じだな」
俺は前後の壁を拳で叩いたり、耳を押し当てて向こう側の様子を探ったりした。近くに人がいる気配はなく、とりあえず足止めしただけという感じだった。
「さて、どうしたものかな……」
暗い地下の牢獄にはあまりに不似合いな明るいフュージョンを聞きながら、俺は腕組みをした。と、その瞬間、天井の一角に変化が現れた。突然、直径十センチほどの穴が穿たれたかと思うと、そこからノズルのような物がつき出したのだった。
「なんだあれは……」
俺が呆然と見つめていると突然、ノズルから大量の水が吐き出されるのが見えた。
「水?……しまった、あれは運河の水だ。野郎、俺たちを水攻めにする気だ!」
俺は慌てて車に戻ると、何かノズルに詰められるものはないか探し始めた。
「どうすんだい、ピート」
「なんでもいい、あそこに何かで栓をしないと二、三十分後には全員、おぼれ死ぬぞ」
「栓っていっても……タオルじゃだめだよね」
ジーナの言葉に、俺ははっとした。そうだ、この上には運河の凄まじい水圧があるのだ。
「タオルなんかじゃだめだ。それこそコンクリートで蓋をするくらいじゃないと」
「どうしよう、水が溜まってきたよ、ピート。……僕、水が苦手なんだ」
ガフが声を震わせ、弱音を漏らした。
「あたしも水は嫌。……何か方法はないの、ボス」
姑娘もガフの調子を合わせるように言った。あとは前後の壁を開ける以外に無い。
「ねえピート、僕、水に浸かるのは嫌だから『浮き輪』を出していいかな」
「ああ、もちろんだ」
俺が車を降りると、車体の側面から薄いゴムシートのような物体が現れ、シューという音と共にみるみる膨らんでいった。
「僕、泳げないから、どうしても水に入らなきゃいけない時はこれでホバー走行するんだ」
シューという音が止まった時、ガフの周囲には見事な『浮き輪』が完成していた。すでに天井から迸る水流は床から数十センチほど溜まっており、車体は浮き始めていた。
「これでしばらく車内に水が侵入する恐れはなくなったな」
「でもさ、ピート。水かさが増して屋根が天井についたらどのみち同じことになるぜ」
ジーナが窓から顔を出し、上を見上げながら言った。たしかにその通りだ。
「さっきから壁を開けるセンサーを探してるんだが、どうにも見当たらない……くそっ」
俺がおのれの無力さに歯噛みした、その時だった。
「弱気はよくないよ、ジェントルマン。今までの経験の中に何かしらヒントがあるだろう。上がだめなら下を見ろ、押しても駄目なら引いてみろってね。リラックス、リラックス」
レディオマンの軽い口ぶりいささか呆れつつ、俺は思考を組み立て直した。
――そうだ。もしこの壁がただの隔壁なら開いた瞬間、たまった水が道路全体に溢れだすはずだ。他の車両も使う道路に、そんな後始末が大変な仕掛けをほどこすだろうか。
そこまで考えて、俺の脳裏にある言葉が閃いた。
――排水口だ!床のどこかに排水口が隠されているに違いない。
「ガフ、俺は外に出て排水口を探す。ドアと窓をしっかり閉めててくれ」
俺はドアを開けると浮き始めた車体から、水のたまった床へと飛び降りた。
「ピート、どうする気?」
「床のどこかに排水口が隠れているはずだ。いくらなんでもこの量の水を地下道にぶちまけるはずはない」
俺は膝上まで水に漬かりながら、他と違う部分がないか床の上をつぶさに見て回った。
やがて床の上に、手で触れなければわからない程度に窪んでいる箇所があることに気づいた。俺は三十センチ四方ほどの窪みに足を乗せると、思い切り下に向かって押した。……が、わずか数ミリほどの窪みはいくら押してもそれ以上、下がることはなかった。
「……くっ、これ以上はだめか。この窪みは排水口を開けるスイッチじゃないのか?」
気が付くと水かさは腰のあたりまで到達していた。これまでか――そう思いかけた瞬間、頭の片隅ににかつて玄鬼が言い放った言葉が蘇った。
――いいかピート、この世界は陰と陽、プラスとマイナスという二種類の相反する力が拮抗することでバランスを保っている。どちらか一方が増大すればもう一方が減衰し、全体のエネルギー量を常に一定に保とうとするのだ。
どちらかが増えれば、どちらかが減る……マイナスがあるなら、同じ量のプラスがある。
――そうか、わかったぞ。窪みがあるということはどこかにでっぱりもあるはずだ!
俺はすでに胸のあたりまで到達した水の中を漕ぐようにして壁を弄り始めた。やがて、掌が水中に没した壁の一部に、違和感を探りあてた。
――あった!でっぱりだ。
俺は僅か数ミリのでっぱりを力任せに押した。すると次の瞬間、窪みの周囲の床が持ちあがり、側面に排水口らしき穴が出現した。俺は立ち泳ぎで車のところまでたどり着くと、両腕を伸ばしてガフの『浮き輪』にしがみついた。同時に足元でゴーッという音が聞こえ、俺の下半身は強烈な吸引力に引っ張られた。
水の力に必死に抗っていると徐々に水面が足元まで下がり、やがて車体が床についた。
「……ふう、怖かったあ」
ガフの呟きと共に前後の壁が開き始め、俺たちは黒く濡れた路面の上で荒い息を吐いた。
楽をして運河の下を通り抜けようとすれば、それなりの苦労があるってことか。……畜生、どうやらこの先にはとてつもなく性悪な連中が手ぐすねを引いて待っているらしいな。
「とんだ運河クルーズだぜ。このオプションの代金はしっかり払わせてもらうからな」
レディオマンが流す甘いバラードを聞きながら、俺は闇の向こうにいる敵を睨みつけた。
〈第十九回に続く〉
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