我思う故に我あり ――デカルト (4)

「瑠璃ちゃーん、蓮ちゃんがお話あるんだって」

 大きい音に疲れて外をうろうろと歩いていた瑠璃は、急に李音から呼び止められた。

「バカ、こら」渋木が無理に李音を押しのけようとする。

「へえー、あれが蓮ちゃんの」

 別の少年から冷やかしが入り、「梓音っ!」と渋木は声を荒げた。それを傍で見ていた立川が、「邪魔したらいけないから、双子はこっち来な」と彼らを手招く。「屋台でなんか買ってやんよ」

「わあーい」「おれ冷やしパインがいい」「じゃあぼく焼きとうもろこし」

「あっオレも」と飛びつこうとした渋木は、「シブキは用事が済んだら、ね」と軽くあしらわれてしまった。

 瑠璃はフェンスにもたれかかった。少し離れたところでフェンスに背を預け、渋木は拗ねていた。虫刺されのあとをぼりぼりと掻く。皆どうして、こうも意地悪をしたがるのだろう。自分が必死なのをわかっているのに、どうして茶化すのだろう。変な空気と沈黙にどぎまぎしていたら、「緊張してるの?」と瑠璃がこちらを仰いできた。

「まあ、うん……」

「いつも通りやれば大丈夫だって、あれだけ練習したんだし」

 大舞台を前の緊張だと思われたらしい。そういうことじゃないんだけどなあ、と渋木は心中で呟く。だけど、瑠璃のこういう、目的を見失わないまっすぐさも、彼女の魅力のひとつだと思った。

 ――好きだなあ。

「え?」と、瑠璃がきょとんとした顔をした。

 渋木もしばらく目をぱちくりしたあと、遅れて自分がしてしまったことを悟った。とんだ失態だった。

「もしかしてオレ今声に出てた?」

「うん」

 渋木は頭のてっぺんから爪先まで焦りで溢れかえった。文字通り頭が真っ白になってどうしていいかわからなかった。「あのね、あの、違くて……!」と手を振りながら弁解するが、「違うの?」とまっすぐ訊かれてこちんと固まる。ますますどうしようもなくなった。

「……違くない、……デス……」

 顔にかっと血がのぼるのが分かった。皮膚の表面が沸騰せんばかりに熱かった。口から心臓が出ていきそうだった。恥ずかしすぎて死にたい。渋木は顔を覆って小さくなった。

「へんなの」

 くすぐったそうに笑われて、ますます肩をすぼめる渋木。指の間から瑠璃の顔を覗く。平然としているのがなんだか憎々しかった。

「……嫌だった?」

「全然」

 私たちも何か買いに行こうよ、と瑠璃はフェンスから背を離す。その拍子に、彼女のイヤリングがしゃらりと澄んだ音を立てた。

「ご飯食べれるうちに食べとかないとだし」

 瑠璃はずんずんと歩いていく。渋木は慌ててその後を追った。瑠璃は心なしか早足だった。照れているのかな、と少しだけ思って、そんな期待をしてしまった自分も同時に恥ずかしかった。

 渋木は何でもないふりをしようと努めた。瑠璃が冷静そうなのだからそうしているしかなかった。これって告白したことになるの? もう何がなんだかわからなかった。身体中が火照ってシャツが張り付いた。

 つかの間の平和なデートだと思ったのに、それは予期せぬ事態に打ち壊された。瑠璃がトーリを見つけたのだった。「まだ残ってたんだ、うそ、どうしよう」先ほどまでの冷静さなど嘘のように取り乱した彼女は、「ちょっと待ってて」と言い残し、少しの躊躇いのあと、トーリのもとに駆け寄った。奇跡的に周囲に人もいない。

「あのっ」

 上ずって跳ね上がった声。トーリがゆっくりと振り向くと同時に、瑠璃がせっつかれるように喋り出す。

「私、ずっと昔からファンで、ネットに上がっていた初期の曲からずっと聞いてて、その」

 瑠璃は感動のあまりうまく言葉が出ていない。瑠璃の意を汲んだトーリは、にこりと笑って手を差し出した。瑠璃もおずおずとその手を握る。

「ありがとう。立川くんのところのバンドの子だよね?」

 まさか認識されていると思わなかったらしく、瑠璃はぴくんと肩を揺らす。「そうです、え、なんで」

「一回レコーディングスタジオですれ違ったでしょ? 髪の毛の青色がきれいだなって思ったから覚えてたの」

 瑠璃は感極まって泣きそうになっていた。極めつけは、「今日はわたし、最後まで見られるから。演奏、楽しみにしてるね」というトーリの言葉だった。瑠璃のキャパはいよいよ限界に達した。

「がんばりますっ、ありがとうございます」

 深く深く頭を下げ、瑠璃は駆け足でこちらに戻ってくる。「どうしよう、トーリさんと話しちゃった、どうしよう」と、興奮冷めやらぬまま渋木に何度も繰り返した。何度も小さく飛び跳ねながら、文字通り地に足がついていない。そうでもないと感情を制御できないといった様子だった。

 普段は見られないほど動揺し、テンションが上がっている瑠璃は、渋木にとっては新鮮でも複雑でもあった。

 そんな渋木の心情など組み取る余裕もない瑠璃は、どうしよう、いい匂いした、ヤバい泣きそう、とずっとひとりごちていた。屋台に向かって並んで歩きながら、渋木は宥めすかすように返事をしながら、悶々とした気持ちの膨らんでいくのを感じた。何せあんな顔は初めて見たのだ。彼女にとっては幸福そのものなのだろうが。

 渋木の手がつん、と瑠璃の手をつついた。瑠璃が我に返ったようにこちらを仰ぐのが、視界の端に映った。渋木はムキになってそっぽを向いたまま、もう一度軽く瑠璃の手に触れた。

「……あ、もしかして妬いてんの?」

「べつにー」

「ばあーか」

 ひんやりした体温が、渋木の手のひらをぎゅっと握った。


 今演奏しているバンドが終われば、いよいよプログラムも最後を迎える。『倫理観』と、楽器を運ぶローディー役とが数人、詰め所で控えて出番を待っている。

 瑠璃は、立川の印象がいつもとどことなく違う事に気がついた。なぜかと少し考えてみたが、すぐに腑に落ちた。いつもは黒ずくめで重たい印象なのが、今日に限ってはカラーシャツだからだ。最後に見た時は真っ黒だったから、どこかで着替えたのだろう。

 お揃いの衣装にしたいと言い出したのは誰だったか。追悼ライブだから喪服イメージで。だけど真っ黒なのは面白みに欠けるから、カラーシャツと黒いネクタイ。一度、スタジオ後に作戦会議をした。戦隊モノの私服っぽい、と渋木がしきりに面白がっていた記憶がある。

 立川はピンク色というあざといチョイスだった。「いいじゃん、俺、ピンク好きだし」と即決していた。

「立川さんって淡い色でも意外と似合うんですね」

「まあ俺って何着ても様になっちゃうんだよね。ほら、顔が良いから」

「うわあ……」

 

「渋木、ネクタイよれてる」

 日野に指摘され、「ん?」と渋木は胸元に目をやる。

「ああ、オレこれ苦手なんスよねえ」

「……そうだったな」

 高校にいたときから、渋木はそうだった。結び目が傾いでいることもしょっちゅうだった。もっとも、かの学校では、ネクタイをうまく結べている生徒の方が珍しいくらいだったが。

 結び直そうか、と日野が渋木のネクタイを手に取る。渋木は首を差し出してじっとしていた。それにしても、高校に行こうというさっきの言葉は本気だったのだろうか。退学の直前、あれこれ打診をしたことを、彼は少しは覚えていたらしい。日野は淡々と結び目を作る。滑らかな手触りの布は、穴を作って通すたびに、しゅる、と繊細な音を立てる。

「日野さんすっげえ」歓声をあげる渋木。毎日結んでるからな、と日野は苦笑する。

「男前になったじゃん」横から立川が肩に手を回した。

 今演奏中のバンドはいよいよ終盤らしく、「ありがとうございましたー!」という声と共に、楽器類が総勢で打ち合わさる音がしていた。

「そろそろか」

 その声を契機に、一同はぴしっと表情を引き締める。間もなく、ぞろぞろと出演者たちが下りてきた。全員が引き下げてから、楽器の運搬の都合で、日野、渋木、立川、瑠璃、の順でステージに入る。

 瑠璃が階段に足をかけたとき。ベースを持っていたローディーが、「あんたら仲いいのな」と声をかけてきた。

 瑠璃は振り返りざま、得意げに唇を引き上げる。

「まあね」

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