トラック9
人間は考える葦である ――パスカル (1)
*
立川陽介は歌う。
獲物が針にかかるのを待つように、静かにその時の訪れを待つ。
教会でのライブが頓挫した今。日常はしつこく続く集中豪雨に塗りつぶされている。電車も何本も遅れ、或いは止まり、避難所暮らしを余儀なくされる人も、ぽつりぽつりと増えている。
そんな中で、自分ができることは、ただ歌うことだけだった。
名称は「金曜日のミサ」のまま。金曜日だけでなく連日、立川はある一つのチャンネルを立ち上げる。素人がラジオを行えるという、SNSの類の一つ。現地に足を運ぶことが難しくなった今、音楽を外側に向けて放出するには、自分の存在意義を見出すには、これしか方法がない。
最初、目に留めてくれたのは、ほんの二、三人だった。“彼”の歌を撒き餌に使っても、最初は箸にも棒にもかからなかった。
雨のせいでチューニングがよく狂う。
曲を弾き終える度にペグを巻きなおして、立川はマイクに向かって語る。
『こんな時なのに音楽なんて、何を考えているんですか?』という、一つのコメント。配慮が足りないとか、不謹慎だとか、そんな言葉が投げかけられることは一度じゃない。先の大戦から震災に至るまで、呪いのように繰り返された言葉。
「こんな時なのに? こんな時だからこそ、でしょ。気晴らしなしに生きていけるほど、人間は強くない」
人間生まれてからずっと、死に向かって歩き続ける。人間は死・悲惨・無知を癒すことができなかったから、自分を幸福にするために、それらをあえて考えないようにして工夫した。そうやって目の前のことを誤魔化すことでしか生きていけない、人間はそういう弱い存在であることを、かつてある哲学者が説いた。
『毎日楽しみにしてます』と、別のコメント。
「そう、ありがとね。――次、何にしようか。そう、今の話はパスカル。じゃあ『パンセ』? オーケー」
虚空に向かって語り掛け、立川はカポタストを一フレットにつける。どこぞの映画撮影のおかげで、歌詞もコードも指に馴染んでいるから、何も見なくてもそらで歌える。再びチューニングをしながら、
「パンセってそもそもどういう意味か? なんだっけ、確かフランス語で『考える』の受身形だったかな。『考えられたもの』ってところ。そう、“人間は考える葦である”」
うんちくもほどほどに、立川はじゃらんとピックを下ろす。ひそやかな雨音だけが鳴る夜、アルペジオから静かに曲は始まる。
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