レポート20:『交錯する思い』

「とりあえず、今日のところは保留で」


 気の抜けた声で、長重はそうまとめ、本日の生徒会は解散した。


「長重」


「何?」


 氷室と松尾は先に廊下を進み、長重は生徒会室の鍵を閉める。

 そんな長重を呼び止めたのには理由がある。


「明日はちょっと、用があるんで休むわ」


「用?」


「ああ……野暮用がな」


 あの時、富澤の表情と氷室の反応から覚えた違和感。

 投票用紙の件で引っかかる部分がある。


 まだ確証はない。

 だから話すことはできない。


 調べるための時間が必要だった。


「わかった。なら、明日の生徒会は休みということで。特にやることもないし、みんなで集まれないと何もできないし。それに……」


「……?」


 言葉を途切らせ、視線を逸らす。

 再度こちらを見つめ直すと、長重はほのかに頬を朱色に染めていた。


「鏡夜がいないと、つまんないしね」


「……っ!」


 思わぬ不意打ちに息が詰まる。

 無邪気な笑顔に心は強く抉られる。

 過去の『彼女』と重ねるように悪戯めいた長重に思わず胸を押さえる。


「帰ろ?」


 初めて名前で呼んでくれた。

 過去に一度も、長重から名前で呼ばれたことなんてなかった。


 自然と頬が緩みそうになる。

 涙が零れ落ちそうになる。


 それくらい嬉しいことなのに胸は酷く、狂おしいほど痛んでいた。


「鏡夜?」


 さり気なく、何度も呼んでは覗き込んでくる。


 今は顔を見られたくない。

 その一心で顔を背けては、フードを深く被り直す。


 すると視界から長重が消え、どこにいるのか見失ってしまう。


「えいっ」


 気づけば背後から、光が差していた。

 そんな既視感を覚えながら振り向けば、長重の絶え間ない笑みがあった。


「ぇ……」


 しかしそれも、瞬時に驚きの顔へと変貌していた。



「―――」



 ただ茫然とこちらを見つめ、頬に触れてくる。

 気づけばハンカチを取り出していて、溢れる涙を拭ってくれていた。


「大丈夫?」


 心配そうに飛んでくる視線は儚げで、すかさずフードを被り直して、背を向ける。

 『ああ……俺は本当に彼女が苦手だ』と、心底思う。


 昔の『彼女』なら気づくことのないことに彼女は気づく。

 『彼女』ならくれるはずのないものを彼女は手渡してくれる。


 彼女と『彼女』の違いを見せつけられ、それでも尚、変わらないものがあるとすれば、彼女に抱いた思い。


 どれだけ自分を取り繕い、偽ったところで変わりようのない心。

 『俺は今も昔も、長重美香という女にぞっこんなのだ』と、実感する。


「名前……名前で呼んでもいい?」


 遅すぎる懇願に苦笑する。


 天然か小悪魔か、故意にではなく自然と人の心を惑わせる。

 気にせずやってしまうのだから、タチが悪い。


 何度も振り回されてばかり。

 ほんと、こちらの気持ちなど、知りもしないで。


 結局、彼女は彼女なのだと、そう思う。


「……うん」


 掠れるような低い声で、そっと頷く。

 けれど今日は、一緒に帰る気分にはなれなくて、互いに距離を置いて歩いていた。

 ただ外で待つ二人を見つけては、自然といつもの関係を取り戻していた。


「氷室」


「何だ?」


「明日って、部活休みだよな?」


「ああ、顧問が出張でいないからな。までも、体育館が使えないわけじゃないから、もの好きは練習してるだろうな」


「そっか」


 探り探りの会話に氷室は相も変わらず涼しげな顔を見せる。


 もしかしなくとも、察しのいい氷室なら気づいているのだろう。

 自分がこれから、何をしようとしているのか。


 でも、これでいい。


 自分は自分で行動し、氷室は氷室で行動する。

 それが誰かのためであると、互いに信じているから。


 互いに違う道を行き、交差したとき、世界は変わっている。


 初めて会った時から、そういう間柄なのだから。


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