襲来と・・・

「ありゃりゃりゃ…!! まさか倒しちゃったの……!? やるなぁ……!!」


 アポカリプスの元を離れ、既に南門の近くにいたテノラは、超常魔獣の巨体が姿を消した事でそう呟いた。


「えーー…。どうしよう、あの子でウルファスを壊滅させて、ゆっくりチーターを確保しようって思ってたのに」


 恐ろしい事を言いながらテノラは可愛らしく頬を膨らませた。


 その時、事は起こった。


「はぁ!!」

「えっ」


 迫る刃、反応の遅れたテノラは、


「……あらら」


 斬り落とされた左腕を見ながらそう呟いた。 


影這シャドウ・チェイン……!!」

「うん……?」


 キョトンとした様子でテノラは自分の体に巻き付いている自分の影を見る。


「はぁ…はぁ……はぁ……!」

「バアルじゃん! 何でここにいるの?」


 少し驚いた様子で、拾ったであろう剣を捨て息を切らす彼を見るテノラ。


「アカシさん達に合流しようとした時……あなたが、あそこから離脱するのを見ました……! だから、追って来た……!!」

「それだけで来たの? バカだなぁー、そのままアカシと合流すれば良かったのに。もしかしたら、アカシ死んじゃってるかもよ? それで後悔しても知らないからね?」

「アカシさんは、絶対死にません。僕はあの人を信じてる……!! それよりも、僕は今……怒ってます。あの人を悲しませた、あなたを絶対に……許さない!!」

「ふぅーん、そっか」


 面白くなさそうに呟くテノラは、更に純粋無垢な子供じみた笑顔を向けた。


「でもさー、私を倒せると思ってるの? 私バアルより強いよ?」

「っ……!」


 突如発されたテノラの圧、それを直接肌で味わうバアルはゴクリと唾を飲む。

 まるで空気がテノラに向けて吸われているような錯覚さえ覚えるバアルだったが、その恐怖に耐えるように彼は言った。


「あなたは……大量の魔獣の操作で、魔力をかなり使っているはずだ……!! それに、体力もかなり消耗している……!! さっきの僕の攻撃と魔法を避けられなかったのが、その証拠です!!」


 バアルは冷静な分析をテノラに述べる。

 その分析は的を得た事実である。

 事実、テノラはこの時点でかなり消耗し切っていた。

 防人と戦わせるため、そして侵入のために使用した大量の魔獣は全て彼女が操作していた。

 そのために消費した魔力量は膨大。

 魔獣全てのコントロールに限界を感じた彼女はアポカリプスを出した後、全ての魔獣の操作を取りやめた。神殿周辺にいたリュドルガが燈達を攻撃しなかった理由はそれである。


 ちょっとまずいなぁ……。


 流石のテノラも事態の悪化ぶりにそう思わずにはいられない。

 しかし、どうした事か。彼女の表情はますますの笑みを浮かべた。


「な、何笑ってるんですか……?」


 その恐ろしく不気味な様に思わずバアルは言う。


「アハハハハハ!! だってさぁ!! 今私、絶望的な状況なんだよ……!! 興奮する!! すっごい興奮するんだよぉ!! やっぱり相手の絶望する様もいいけど、こうして自分が絶望するのもいいね!! 最ッ好!!!」

「……っ」


 バアルはあまりにも正気を疑う、常軌を逸した発言に言葉を失った。


「いいよぉーやろう!! 言っとくけど負けないから!! さっきので私全部の魔獣ともだち出したから空間魔法も維持しなくていいし……!! ようやく本領発揮して動ける!! 腕無くなったけど……!!」


 落ち着け僕…! 飲まれるな……!! 僕が有利な事には変わりないんだ……!! 


 テノラの不気味さに気圧されながらも、バアルは必死で気を保つ。

 左腕を欠損している事、ここまでの戦いで魔力を消費している事はこの上ない事実。それを再度頭に浮かべ足に力を入れる。

 

 しかし、


「うわ……!? な、何……!!」

「……っと?」


 緊迫する空気……だが、その空気は上空からの飛来物に見事に破壊された。


「ふぃー……」


 落下した位置にはクレーターが形成され、周囲へまき散らされた土煙の中から一人の人影が現れた。


「あ、ヒューマ!」

「よぉテノラ!! ハハハハハ!! オマエ腕無くなってんじゃねぇか!! ウけんだけど!!」


 整った顔立ちだが、隠し切れない危険人物の匂いがバアルの鼻腔をくすぐる。


 何だ……、あの人……!! 上から来た……!?


 突然起きた出来事にバアルは脳の処理が追い付かない。


「ったくよぉ……。神父に言われて来てみて正解だったぜ。まさかこんな事になってるとはよぉ……」


 言いながら、ヒューマはバアルを見る。


「っ!?」


 壊れた空気が、再び凍り付く。

 それも先程より鮮烈に、より苛烈に。


「てめぇか……? テノラをこんなにしたのは?」


 先程の態度は何処へやら、ヒューマはバアルを睨み付けた。


「ぅ……!!」


 ヒューマの眼光が突き刺さったバアル、その一瞬……彼は「自分の死」を錯覚した。


「ちょっと待っとけテノラ、すぐやり返す」

「えぇ!? 何でヒューマ、私が戦いたい!!」

「うるせぇ!! 俺がやんだよ!!」


 左腕を欠損している少女と、気の荒い青年の言い争い。その最中にも、バアルは自分の首に死神の手が伸びている事が分かる。


 ま、まずい……!! あの人テノラさんの仲間か……!? 間違いなく僕より強い……!! ひょっとしてたら、消耗していないテノラさんよりも……!! このままじゃ……!!


 肌で、脳で、バアルはヒューマが自分より格上である事を理解していた。

 目の前に突如到来した男の強さを。 


「まぁ安心しろそこの女。平等だ、てめぇの腕一本で勘弁してやるからよ」

「ヒューマ、バアルは男の子だよ」

「嘘だろ!?」


 衝撃の事実と言わんばかりにヒューマはバアルとテノラを交互に見渡す。


「ま、まぁンな事どうでもいい……。てめぇ!! その腕もらうぜ!!」


 ビシッとバアルを指差したヒューマ、地面を蹴り一瞬にして彼との距離を詰めた。


 は、早……!?


 その速度は、バアルが今まで見てきた中で断トツだった。

 息を吸う暇も無く、まるで吸おうとしていた空気がヒューマによって全て蹴散らされてしまったような感覚すらした。

 ヒューマは的確にバアルの腕を狙っていた。そして対するバアルはその速度に反応できていない。

 テノラと同じように、左腕を欠損する事は確定事項だった。


「……あぁ!?」


 だが、そこで珍事が起る。

 バアルの左腕に向けて伸ばしたヒューマの右手、それは彼の腕に到達する事無く、バアルとヒューマの間に突如出現した黒い穴に吸い込まれた。


「って何だよこれ……!?」


 慌てて腕を引き抜こうとするヒューマ、しかし時すでに遅かったのか。

 体全体がまるでその穴に吸い込まれるようであった。


「おいおいおいおいおい……!!」


 抵抗しようとするヒューマ、自分の体を穴とは逆方向へと引っ張ろうとする。しかし穴の吸引力の方が勝っていた。

 

「何だこれ……!! 何しやがったてめぇ!!!」


 そう言いながらバアルを睨み付けるヒューマ、しかしこの事象はバアルもあずかり知らぬ所でありむしろバアルが聞きたいくらいなのだ。


「くぅぅぅぅぅぅっそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! その腕ぇ、絶対もらうからなぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 捨て台詞のように叫びながら、ヒューマは穴に吸い込まれた。


「ど、どうなって……」


 目の前からヒューマを消し去った怪奇な現象に対し、バアルはそう呟く事しか出来ない。

 そして混乱しながらも、視線をテノラへと戻すバアル。そこには唖然としながらも、何処か目を輝かせているテノラの姿があった。


「……誰?」


 そう言葉を発した彼女によって、ようやくバアルは自分のの存在に気付く。


「っ!?」


 すぐに体を翻し、後ろにいた人物と向かい合わせに対峙するバアル。

 一体誰なのだと……その姿を目視したかったが、


『……』 


 その人物は全身を覆うローブで身を包んでおり、高身長である事しか分からない。


「だ、誰ですか……?」


 恐る恐る、警戒するように聞くバアル。

 それに応えるように、謎の人物は手を伸ばす。それは、酷くボロボロで割れた地層のように腕にヒビが入っていた。


「っ!!」


 すぐに身構えるバアル、しかし……それは杞憂だった。


『お前も、今は邪魔だ』

「うぇ……? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!』


 一言も発さないのかと思えた謎の人物はそう言うと、テノラの足元に先程の黒い穴を形成し、為す術の無いテノラは未だ影に巻かれたまま重力に従い落下し、消えた。


 い、今のは……!!


「さっきのも……あなたがやったんですか……?」


 未だ警戒を緩めず、バアルは問う。


『……お前は、まだ死ぬな』


 少し言葉足らずな物言いが更に不気味さを加速させる。


「ぼ、僕を助けて……何が目的ですか?」


 状況を整理すれば、バアルの目の前の人物が彼を助けたのは明らかだ。そう判断したバアルは質問をする。それに対し、謎の人物は数秒沈黙を貫き、やがて有るのか分からない口を使って言った。


『助けるのに……理由が、いるのか?』

「え……いや、あの」


 思ってもいなかった謎の人物の返答に、バアルは混乱した。


『……そうだな。まぁ、強いて言えば……お前が奴の仲間だからだ』

「や、奴……?」


 奴って……アカシさんやエリスさんの事?


『さっきはあぁ言ったが……もう、なるべく他人に力は使いたくない……。助けられない……、だからもっと……強くなれ』

「そ、それは……どういう……?」


 その時にはもう、バアルの警戒心は緩んでいた。緩んだその足で、彼は一歩前に出る。

   

「うっ!?」


 だがその時、バアルを取り囲むように強い風が吹き荒れた。


『お前なら、なれる……。魔族の少年』


 風に乗るように聞こえる謎の人物の声、やがて風が吹きやむと、その声も姿も……何処かへ消え去った。


「な、何だったの……今の……」


 まるで台風一過のような出来事に、現実感が湧かないバアル。

 この場にいた目的を失った彼は暫く、茫然と立ち尽くしたのだった。



 こうして聖地を、ひいてはウルファスを震撼させた一大事件は完全に幕を引く。


 そして一週間後、残った尾を処理する時間が始まるのだった。

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