失ったものは大きく、事態は留まる事を知らない
「フィムカーニバル」におけるテノラの犯行によって、当然イベントは中止になった。
テノラが会場から離脱し、既に一時間程が経過。
現在防人達はケガ人の確認やその治療、生存確認を行っていた。
「会場内のエルフ、全て避難完了しました!」
「よし! お前はケガ人の治療に回れ!」
「はっ!」
迅速な指揮と指示により会場にいた観客は多少のケガはあれど、全員無事に保護されたのはあまりにも幸いとしか言いようのない事である。
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会場から百メートル程離れた広場で観客達は集められた。そしてその中にはサーラ達神殿のエルフ、燈達芸者もいた。
「…んっ」
デフは目を開ける。そしてすぐに何故自分が眠っていたのか、思い出した。
「ジギル…!!」
彼はすぐさま起き上がり、会場へと戻ろうとする。
「ま、待って下さいデフさん!」
だがその場にいたバアルが彼の腕を掴み、制止させた。
「バアルてめぇ…!! さっきはよくも…!!」
ハンズは覚えていた。バアルが自分を気絶させた事を。
「ご、ごめんなさい…! で、でも…あの場にいるのは危険でした…!! だから!」
「だから、ジギルを殺したテノラ《あいつ》を黙って見過ごせって言いたいのか!? ふざけんな!!」
「そ、そういう訳じゃ…!」
「やめろデフ…」
「っ!?」
その声にデフは振り向く。聞き間違うわけが無い、その声はハンズのものだ。
「何だよハンズ…!! お前も止めるのかよ…!?」
デフは酷く悲しそうな表情でハンズを見詰める。彼の問いに、ハンズは顔を俯かせた。
「行っても、無駄だ……」
「…っ」
ハンズの言葉の意味をデフはすぐに理解した。
舞台の控室で突然の轟音をデフ達は聞いた。そして舞台で何が起こっていたのか聞いた。
ジギルが魔獣に食われ、命を落とした事。それを仕組んだのがテノラだという事を。
だが見てもいないのにそんな事信じられるはずがない。デフは勿論、ハンズ達も反抗し舞台へと向かおうとした所を安全のためにバアルに気絶させられ、ここまで運ばれたのだ。
未だデフ達はその現場の事を聞く事でしか認識していない。だが、舞台の観客達の表情が恐怖に包まれ、ここに集結させられている。ケガ人も多数いる。
それが何より舞台で起こった事を容易に想像させた。
そしてこの場にテノラとジギルがいない事実が、自分達の聞いた話が信どうしようもない現実の話であるという事を証明していた。
「ざ、けんな…。ざけんなあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
デフは周囲にいたエルフ達の恐怖を更に煽るような叫び声を上げる。そして両手を地面に叩きつけ、歯を食いしばった。
「俺は、信じねぇぞ!! テノラの奴が魔獣を使ってジギルを殺しただぁ!? そんな事ある訳ねぇだろ…!! だって、俺達は…この一か月、このイベントのために一緒に頑張って来た…!! 仲間なんだぜ!? だから……!!」
必死に、笑顔を取り繕いながらデフは語る。
だからそれを聞くハンズ達の表情は曇り続ける一方だ。彼ら彼女らの表情のその変化にデフの口角はつり下がっていく。
「俺の…せいだ…」
ポツリと、吐き出された弱弱しい言葉は激昂しているデフにしかと届いた。
「は…?」
デフは燈を見る。彼は地面に膝をつきその表情は周囲の暗さも相まって読み取れるようなものではない。
未だ彼は冷静ではない。だが先程よりも幾分か冷静になっていた。非常な現実を現実として受け入れる程度には。
「俺が…テノラを、仲間に引き入れなければ…
視点の定まらない目で手をわなわなと震わせる燈の声は今にも死にそうであった。
「……あぁ、そうだな…!!」
デフは燈の服の襟に掴み掛かる。襟を強く握り持ち上げ、燈の顔を無理やり自分と向き合わせる。
今の彼は燈とは別のベクトルで冷静さを欠けていた。
罪悪感に心を支配されている燈とは対照的に、デフの心は激しい憤怒の感情が心に渦巻いている。
「責任とれよアカシてめぇ…!! つーか何だ、てめぇら最初からジギルを殺してイベントを滅茶苦茶にしてやろうって魂胆だったんじゃねぇのか!? グルだったんじゃねぇのかぁ!!」
デフの怒りは留まる事を知らない。襟を持ったまま燈の体を激しく揺する彼の目には殺意すらも帯びていた。
「……」
その追及に、燈は何も言わなかった。
今の自分には何一つ反論する権利はない、そう思ったのだ。
ただ一筋の涙が、彼の頬を伝う。
「やっぱりそうかぁ……!!!」
「ち、違いますやめて下さい!!」
燈を殴ろうとするデフにバアルは飛び掛かった。
「放しやがれ!!」
「だ、駄目です!! そればかりは許容できません!!」
「いいんだ……バアル」
「アカシさん…!? 何言って…」
「俺のせいなんだ……俺の選択が、この結果を招いた……デフだけじゃない、マリリンにも、ハンズにも…俺を殴る権利がある…」
「ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「がはぁ…!!」
バアルの抑える腕を振り切り、デフは燈の頬に拳を叩き込む。
「何だよその言い方…!! 被害者面しやがって……!! そんなツラすんだったら最初からすんじゃねぇよ……!!」
デフの叫びは止まらない。顔を歪ませながら彼は悲痛に訴える。
「てめぇらと違って…俺はアイツと十年以上つるんでんだよ…。ジギルはよぉ……最初は俺に見向きもしなかった。不愛想な奴だって、張り合いのねぇ奴だって…そう思ってた……!! だけどアイツ、俺が自分の芸で上手くいかねぇとこアドバイスしてくれたりしたんだぜ…一緒にいる内に、アイツがどれだけ自分の芸に真摯に向き合ってるか知った!! 客の事をどれだけ満足させられるかずぅーっと考え続けてる奴だって知った……!! そのアイツが最近よく笑ってた……!! 他の奴らと積極的に交流してた…!! お前らが来てからだ!! これからだったんだよ!! これから俺達皆で聖地を笑顔を絶やさない場所にする……!! それが、出来たのに……!!」
呼吸が荒くなる。どうしようもない気持ちが止めどなく溢れるようにデフの口から放出される。
「返せよ……ジギルを……ジギルを、返してくれよぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
断末魔のような叫び声、それが聖地中に響くのではと思われるほどの声量で発された。
「ごめん…ごめん……ごめん…」
謝りの常套句、絞り出すように微かな声でそれを燈は地面に漏らした。
「ごめんじゃねぇよ…。謝ったってジギルは戻って来ねぇんだぞ? 嘘だったのかよ…? 酒を飲んで笑い合ったあの日は…!! 一緒に稽古して笑い合った昨日までは全部嘘だったのかよ!!」
「嘘じゃねぇよ」
「あぁ!?」
突如口を挟むエリス、デフは鬼の形相で彼女を見詰めた。
「酒盛りは楽しかった。本気でこのイベントを成功させようとしてたのは本当だ。ただ、…いつも笑ってる
エリスはテノラと初対面した時、彼女に対し不穏な空気を感じた。同時に彼女の隠しきれていなかった実力の一端も。
だがエリスはテノラが仲間になる事を許可した。燈を守るだけならば大丈夫だろうと思ったからだ。
更に言えば、エリスがテノラの仲間入りを許可した理由はもう一つある。自分も少しだけ信じてみたくなったからだ。
自分の直感が嘘だと、よく笑うあの子供に何か裏があるなどと言う思考はおろかであると思いたかった。それはひとえに神田燈と言う人間と出会ったから芽生えた感情だった。
「冷静に…ほざいてんじゃねぇ!! アカシだけじゃねぇ、エリスにバアル!! てめぇらも同罪だ!!」
「デフ!!」
「っ!?」
「それ以上はダメ」
歯止めを掛けたのは今まで口を閉ざしていたマリリンだった。
「な、何言ってんだよマリリン…! コイツらは!!」
「私達だって、テノラちゃんの事…何にも分からなかったでしょ?」
「…っ」
彼女の言葉に、出しかけていたデフの言葉は喉奥へと引っ込んだ。
「同罪なのよ…。エリスちゃんが言ってたのと同じ…私達も、テノラちゃんの事…何にも分かっていなかった」
「だ、だから…だから……だからってよぉ…!!」
必死に、デフは言葉を連ねようとする。
だがマリリンの言葉に対し何を言えばいいのか。上手く言葉が出てこない。
何故なのか、それはもう…デフ自身が理解していた。ただ、受け入れたくなかっただけである。
彼は知っていた。燈達が自分達を騙しているのではないと。
肩を組み、酒を飲み交わした日々…稽古をして切磋琢磨し合った昨日までの短い、だが濃密だった日々。
それらが証明していた。燈達の無実を。彼らもまた…気付かず、テノラに騙されていたのだと。
しかし幾らそれを頭で分かっていようが、納得など出来ない。
自分の激情に行き先を与えたい、この感情を誰かにぶつけたい。
自分もテノラに騙されていたという罪悪感を、少しでも薄めたい。
そんな思考が、デフの行動を決定づけた。
だが今、激情は行き先を失った。ぶつけたかった感情は心の中で燻ぶ続ける。
「う、うぅぅぅぅぅ……うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
先程よりも涙を流し、先程よりも、嗚咽と鼻水を垂れ流す。
そんな彼はハンズとマリリンを見た。
「お前らは、お前らは…悲しくねぇのかよぉ!! 悔しくねぇのかよぉ…!! 仲間が、仲間が死んじまったんだぞぉ!! まだやりたい事だっていっぱいあったはずだ…!! 少なくとも、俺はまだ……アイツともっと酒を飲みたかった…!! …うぅ、うぅぅぅぅ……!!」
「悲しくない訳……ないだろ…!!」
「そうよ……ジギルが、死んだのに…!!」
当然だった。デフにとってだけではない。
ハンズも、マリリンも…デフと同じく十年以上同じ屋根の下で暮らす仲間なのだ。
どれ程の悲しみが、どれほどの悔いが彼らを襲っているのか…それは想像を絶するものである。
デフの訴えが、泣き顔が…堪えていたハンズとマリリンの感情の壁を少し、決壊させた。
「……」
その様を、燈はただ眺めている事しか出来ない。
自分の引き起こした行動が彼らを絶望させた事に…燈は絶望していた。
「皆さん」
その時である。未だ聞き慣れない高貴な声音を燈達は耳にする。
「巫女…様」
カグ達を含め数名の護衛を付きながら歩き、こちらへ近づくその姿を燈は目にした。
「お怪我は?」
その場にいる芸者全員を対象に、サーラは負傷の有無を確認する。だが、誰も答えなかった。
「おいお前達! サーラ様が聞いているんだぞ!?」
「いいのです」
防人の一人を手で制止しながらサーラは言う。
「仲間を、失ったのです。どれだけ心に負担が掛かったか、それは私ですら測りかねる事です」
一呼吸置き、彼女は続ける。
「ですが、私は聖地の巫女として…今回の襲撃を見極める義務がある。特にアカシさん、あなた方はテノラと親しい間柄ですね? 些細な情報で構いません。どうか、ご協力を」
燈、バアル、エリスの三人に目をやるサーラ。その眼差しはいつもと変わらず堂々としたものだったが、どこか物悲し気さも感じられた。
「……はい」
断る理由はない、そもそも断ることは出来ない。燈は話す度に心が擦り減るのを感じたが、そんな事を意に返さず語る。
テノラと初めて出会った日の事。その時何か違和感を感じていた事。
だがそれを度外視し、テノラを仲間に加え聖地へ来た事。
そして今日、彼女が本性を
その全てを燈は話した。
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「そして「また来る」…そう言ったのですね?」
「あぁ」
燈への聴収は終わり、次はエリスの番だった。彼女は今日の戦闘の最後、テノラの言っていた意味深な言葉についてサーラに話していた。
「額面通りに受け取れば、再度
顎に手を当て思考を巡らせるサーラ。そこにカグとは別のもう一人の腹心が現れた。
「サーラ様」
「ウォイド! 来ていたのですね」
「いやはや、ここまでの大事件となると流石の老体も来ざるを得ませぬ…事態は把握しております。それに関連して、サーラ様にお話が…」
「…何です?」
「先日ご命令承った調べから、東の森が…近々
「っ!? それは…!!」
「はい。恐らく芸者として紛れていたあの女は東の森側の回し者、今回の一件は宣戦布告でございます」
「……そう言う事ですか」
「いかがなさいますか?」
「…誠に不本意ですが、臨戦態勢を固めます。ウォイド、手配を」
「承知しました」
胸に手を当て、頭を下げるウォイドはその場を後にする。
「臨戦態勢って…どういう事ですか?」
そう言ったのはバアルだ。信じられないという表情で彼はサーラを見た。
「聞いての通りです。この聖地が
防人を引き連れ、サーラも同じようにその場を後にした。
「そ、そんな……アカシさん、エリスさん!」
事態が思わぬ進展を見せ、不安を隠せないバアル。自分が頼りにしている二人を見るが
「……」
「……」
その二人は黙ったまま、その場に座り続けていた。
周囲を照らすために立てられている大体松から放たれる炎がバチバチと音を立てながら揺れ続ける。
まるで、これから起こる惨劇を暗示するかのように。
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