第14話 陥落

 獣王の私室を後にしたキュリーは、王宮内の廊下を優雅に歩いていた。本来いるはずの警備の兵たちは、既に無力化しているため、見つかる心配をする必要は無い。

 任務は思い通りに進んでおり、先ほど今後の展開が楽しみな出来事もできた。

 そんな彼女は鼻歌を歌いたいくらいにご機嫌だったが、いくら警戒の必要が無いとはいえ、潜入中の身であるため、心の中で歌うだけに留めた。


 「あら?」


 そんな彼女に、魔法による猛吹雪が叩き込まれた。

 廊下の奥から放たれたそれは、一瞬でキュリーの全身を覆い尽くし、周囲もろともに凍結させた。

 そうして出来上がった氷柱に、魔法が放たれた場所から二人の男が近づいてきた。

 現れたのは、獣王国騎士団総団長のレオルドと魔法士団総団長のオーレルだった。

 二人ともそれぞれの武器である剣とスタッフを構えており、魔法を放ったオーレルのスタッフの先端には、冷気がまとわりつき、周囲の空気をパキパキと凍らせていた。


 「オーレル、できれば生け捕りにしたかったんだが……」

 「そんな手加減ができる相手ならな、見ろ」


 オーレルが氷柱の方を顎でしゃくる。

 レオルドがそちらを見やると、それは溶ける様子もなく悠然と冷気を放っているままだった。

 しかし、氷柱の中央にピシリ、ピシリと小さな亀裂が生じ始めた。

 亀裂はやがて全体へと広がっていき、遂にはガラスが割れるような音を響かせて、氷柱が砕け散った。

 そしてその中から、キュリーが無傷の状態でゆっくりと歩み出てきた。


 「もう、野蛮ですね。これが獣王国の歓迎の仕方なのでしょうか?」

 「ああ、賊に対してのな。少々足りなかったようだが」


 皮肉を返しながら、オーレルが忌々しげに舌を打った。

 

 「お前は一体何者だ。何のために王宮へと侵入した?」


 剣を油断なく構えながら、レオルドが尋ねた。

 二人から武器を向けられているにも関わらず、キュリーは微笑みながらその質問に答えた。


 「これは挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。私は正神教団で神官を務めております、キュリー・ロマンシアと申します。以後、お見知りおきを」

 「正神教団……リートベルタでテロを起こした奴らか!」

 「確か、邪神を復活させて世界を救うなどという、世迷い言をのたまっている狂人の集まりだったか?」

 「狂人だなんて、ひどい誤解ですわ。リートベルタの件は、我らが同胞が正義のために活動していただけで、決してテロなどではありません。それに我らが復活を願うグレイスネイア様は、この間違ってしまった世界を正しき世界へと治してくれる御方であり、邪神などという邪な存在ではありませんわ」


 キュリーは心外だと言わんばかりに、悲しげにそう言った。

 そんなキュリーを、オーレルは鼻で笑って見下した視線を投げた。


 「御託は良い。それで、貴様の目的は?」

 「ああ、それも聞かれていましたね。私の目的は大した事ではありません。私がこの国に来たのは、この国に愛の尊さを広めるためです」

 「は?」

 「何?」


 レオルドとオーレルが間の抜けた声で聞き返す。

 理解されていないことを察したキュリーは、柔らかな笑みを浮かべて説明を続けた。


 「私はこの苦難に満ちた世界を愛で満たすために、日々世界各地を巡礼しております。この国にも、その一環で来たのです。ですので、できればあなた方には私の活動を邪魔せず、見守っていただきたいのですが、いかがでしょうか?」

 「……話にならんな。狂人に聞いた俺が馬鹿だったようだ。レオルド、さっさと始末するぞ」

 「……………………」

 「レオルド、どうした?」


 返事が無いことをいぶかしみ、オーレルがちらりと横を見た。

 レオルドは剣を構えていた腕をだらりと下げ、ボーッと中空を見つめていた。


 「う~ん、そちらのモノクルを付けた方は、魔法に精通していらっしゃるようですね。ではレオルド様、だったかしら。隣の方を押さえていただけないでしょうか?」

 「貴様、何を言って――っ!?」


 オーレルの言葉を、レオルドの剣が遮った。

 横薙ぎに放たれた剣を、オーレルはすんでのところでスタッフで防いだ。


 「レオルド、貴様一体どういう…………その目、洗脳魔法か!?」


 レオルドの目は、もやがかかったように光が失われていた。

 そして、敵の命令で味方であるはずの自分を攻撃したことから、オーレルはレオルドが洗脳されたと当たりを付けた。

 そして、それは正しかった。

 レオルドは、キュリーの手によって、ガレルがされたのと同じ方法で洗脳されていた。


 (一体いつ洗脳された……奴が魔法を放った形跡は無かった。他にどんな方法で……いや、確か洗脳魔法の中には、音に魔力を込めることで洗脳する物があったな。奴は、自分の言葉に魔力を込めて、こいつを洗脳したのか!)


 オーレルの推察通り、魔力を込めることで言葉を催眠音波とする魔法、それがキュリーの魔法「<催眠音ヒュプノリア>」の正体だった。

 この魔法は、言葉を聞かせるだけで相手を洗脳できる強力な物だが、欠点もある。

 それは、ある程度魔法に素養のある者に対しては、その者の魔力に防がれて効かない点だ。

 それ故に、オーレルは洗脳から逃れていた。


 「ちっ、この間抜けが! 目を覚ませ!」

 「まあ、友人に魔法を向けるなんていけませんよ。<封言カームネス>」

 「<ディ>――(声が!?)」


 キュリーがどこから取り出したのか、儀式で使用するような錫杖を構えて魔法を詠唱した。

 すると、オーレルの首の周りに魔力の首輪のようなものができ、どんどん小さくなって首の中へと吸い込まれていった。

 <封言カームネス>――かけた相手を喋れなくする魔法であり、『魔法封じ』とも呼ばれている魔法だ。

 オーレルも、この魔法については当然知っている。

 だが、彼が驚いたのは、キュリーが放ったその魔法に自分が抵抗できなかったことだ。

 <封言カームネス>や<強制睡眠ファースラップ>のような、対象者の肉体に異常を与える魔法――状態異常魔法は、魔導士には効きづらい。

 魔導士はこの手の魔法をかけられた際に、体内を巡る自分の魔力がその魔法の発動を阻害するからだ。

 この魔力による状態異常魔法への抵抗は、魔力の多い優秀な魔導士ほど強くなる。

 オーレルは、この国の魔導士団のトップであり、常日頃から魔法の研鑽を積んでいる。

 そんなオーレルが、キュリーの魔法に抵抗できなかった。

 それはすなわち、オーレルよりもキュリーの方が魔導士として優れている、という何よりの証左だった。


 「(クソッ!)」


 魔法を封じられてしまったオーレルは、洗脳されたレオルドに抵抗することができず、頭を押さえられてうつ伏せに組み伏せられた。

 ガツッと頭を床にぶつけたオーレルだったが、<封言カームネス>の効果で悲鳴を上げることができない。

 そんな無様に押さえ込まれたオーレルの元へ、キュリーが余裕を感じさせる足取りで近づいた。


 「顔を上げてください」

 「っ…………」


 洗脳されたオーレルが忠実にキュリーの言葉に従い、オーレルの髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。

 オーレルが痛みで顔をしかめるが、声を上げることはできない。

 キュリーがその顔を覗き込むようにかがむと、オーレルが怒りに満ちた目つきで睨み返した。


 「そう怖い顔をなさらないで下さい。私は、この国に愛の素晴らしさを広めたいだけなのです。ですが、あなた方の理解を得るのは難しそうですね……仕方ありません。申し訳ないのですが、私が仕事をしている間、邪魔をされないようにしますね」


 クソが。

 オーレルは、心の中でそう毒づいた。

 しかし、目の前の敵をどれだけ心の中で罵倒しても、今のオーレルに抵抗の術は無かった。


 「<支配ドミナス>」


 キュリーから直接洗脳の魔法をかけられたオーレルは、レオルド同様キュリーの手に墜ちた。

 ガレル、レオルド、オーレル。

 獣王国の中枢を司る三人の陥落。

 それは、キュリーが獣王国を掌握したことと同義だった。




 時は、ガレルとコハルの最後の交流の日の朝にさかのぼる。

 佑吾は、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていた。

 けれど、その原因が何なのか、考えても一向に分からないままだった。

 そんな佑吾を見かねたのか、一緒の部屋にいるライルが王宮の兵士たちと一緒に鍛錬をしないかと誘ってくれた。

 このままでいても仕方が無いと、佑吾は気晴らしにその誘いに乗ったが、結果としてそれは上手くいかなかった。

 鍛錬をしてもモヤモヤはずっと晴れず、気もそぞろになりがちで、危うく怪我をしそうになった場面が何度もあった。

 こんな状態では、自分だけでなく一緒に鍛錬する兵士たちにも迷惑をかけかねない。

 佑吾は、早々に鍛錬を切り上げることにした。


 部屋に戻った佑吾は、手持ち無沙汰を紛らわすために、魔法の練習をしたり、旅の道具や武器と防具の手入れなどもしてみたが、どれもいまいち身が入らなかった。

 しかし、佑吾は何でもいいから気を紛らわせたかった。

 何かしていないと、あのモヤモヤとした気持ちがぶり返して落ち着かなくなるからだ。

 そうやって、ひたすらに時間をつぶしているうちに、夜になった。

 だというのに、コハルはまだ戻ってきていないようだった。

 いつもなら夕方には戻ってきて、佑吾とライルの部屋に「ご飯行こー!」と突撃しにくるのだが……

 確認のためにコハルたち女子の部屋を尋ねようか、そう考えていると、控えめなノックの音が響いた。

 一瞬コハルかと思ったが、コハルならノック無しで駆け込むようにドアを開けるから、違うだろう。

 佑吾が「どうぞ」というと、部屋に入ってきたのはサチだった。

 心なしか、その表情は暗かった。


 「サチ? どうかしたのか?」

 「……佑吾、ライル。二人とも、ちょっと私たちの部屋まで来てくれる?」


 佑吾とライルはそれに従い、サチたちが使っている女子の部屋までついてきた。

 部屋に入ると、いつの間に戻っていたのかコハルがベッドに座っていた。

 しょんぼりした顔をでうつむいており、いつも元気な犬耳も、今はペタリとたたまれていた。

 そんなコハルの隣にはエルミナが座っており、心配そうに見つめていた。


 「コハル、何かあったのか?」

 「佑吾…………うん」


 そう言って、コハルはポツポツと何があったかを話し始めてくれた。

 要約すると、今日ガレルから求婚されたのだが、コハルはみんなと離ればなれになるのが嫌でそれを断った、でもそれでガレルを悲しませてしまったとのことだった。

 佑吾は、コハルが求婚を断ったと聞いて、人知れずホッとした。


 (……あれ? 俺、何で今、安心したんだ?)


 これではまるで、ガレルが告白を失敗したことを喜んでいるようじゃないか。

 そんな考えを持ってしまった自分が、たまらなく嫌になる。

 しかし、今大事なのは、落ち込んでいるコハルを慰めることだ。

 佑吾は軽く頭を振って、自己嫌悪感を頭の隅に追いやると、コハルに目線を合わせるようにかがんだ。


 「コハル。コハルはガレルさんが結婚して欲しいと言った時、真剣に考えて返事はしたかい?」

 「……うん、した」

 「それならいい。コハルは何も悪いことはしていない。でも、ガレルさんがコハルのことを好きになってその想いを伝えてくれたことだけは、決して忘れちゃいけないよ」


 そう言って佑吾はあやすように、コハルの頭を優しくなでた。

 コハルはなでられながら顔を上げると、表情を少しだけほころばせて、「うん」と頷いた。 コハルのその様子を見て、心配そうに見ていたサチとエルミナも、ホッと安心したようだった。しかし、サチだけは再び眉をひそめて、考え込むような姿勢になった。


 「サチ、何か他に心配事でもあるのか?」

 「……ええ、その、コハルが求婚を断ったのは良いんだけど、それで向こうが意固地になって無理矢理結婚させようとしたりしないか気になっちゃって……向こうにもメンツとかあるだろうし」

 「うーん、大丈夫じゃないか? ガレルさんがそういう事をするとは思えないし……」

 「俺も佑吾と同じ意見だな。ガレル陛下は、兵士や文官たちから慕われている。横暴な王なら、そうはならないだろう。それに、コハル、陛下が求婚された時、周りに誰か居たか?」

 「ううん、誰も居なかったよ」

 「なら、陛下が旅人の女に求婚を断られたことは、他の人に知られていないはずだ。それなら、相手のメンツがつぶれることもないだろう」

 「………………そうね、二人の言う通りね。ごめんなさい、考え過ぎちゃったみたい」


 佑吾とライルの言葉に納得したのか、サチが軽く頷いた。

 すると、考え事が終わった雰囲気を察知して気が緩んだのか、エルミナが「ふわぁ」っと軽いあくびを漏らした。


 「明日は出発の日だし、もうそろそろ寝ようか」


 佑吾の言葉に誰も反対せず、佑吾とライルは自分のたちの部屋へと戻った。

 今日で獣王国の滞在も終わりだ。

 観光などはあまりできなかったが、代わりに王宮で生活するというかなり珍しい体験ができた。それに、城で働く獣人たちとの交流も楽しかった。

 佑吾は王宮での思い出を振り返りながら、明日すぐに出発できるようライルと一緒に荷物をまとめた。

 不備や忘れ物が無いかをしっかり確認した後、二人は夜更かしはせず、すぐにそれぞれの寝床へと入っていった。




 翌朝、佑吾とライルはいつものように朝日が昇る前に目を覚ました。

 アフタル村で農作業をしていた頃に、すっかりと身についてしまった習慣だ。

 寝て凝り固まった体を軽くほぐして、装備を身につけた。

 出発するこの日、レオルドが部屋まで迎えに来て、王族専用の移動手段とやらがある場所まで案内してくれることになっていた。

 しかし、約束していた時間を過ぎても、レオルドが一向に来ない。

 そこからしばらく待っても来なかったため、ライルとこちらから向かうべきかと話していると、突然部屋のドアがドカッと荒々しく開けられた。


 「何だっ!?」


 とっさのことに、佑吾とライルはそれぞれの武器に手をかけた。


 「あなた達は……」


 部屋に入ってきたのは、全身鎧で武装した獣王国の兵士たちだった。

 向こうは既に武器を構えており、今にも飛びかからんと鬼気迫る雰囲気を漂わせていた。


 「貴様ら武器を捨てろ!! 無駄な抵抗はするな!!」


 兵士が恫喝するが、いきなり訳も分からず武器を向けられた佑吾たちも、黙って従うことはできなかった。

 互いに武器を向け合い、部屋に一触即発の緊迫した空気が流れる。


 「いきなり何ですか! 何で俺たちに武器を向けるんですか!」

 「それは、あなた方ご自身がお分かりでしょう? 佑吾殿」


 兵士たちの間から、男が一人ゆっくりと部屋に入ってきた。

 男は能面のように無表情で、その瞳は濁ったように暗かった。


 「レオルド、さん……?」

 「佑吾殿、ライル殿、そして隣の部屋に居る女性三人、あなた方全員を国王暗殺未遂の容疑で拘束します」

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