第四節 ◆禁域地帯アリオト・駐在地点/一時撤退
——碧空高く春陽が昇り切った昼の荒野。
敵性天士による数々の妨害に一時撤退を余儀なくされた破軍・アルテミス、スピカとベテルギウスの副官二名は、森へ調査突入前に集合場所として設置していた駐在地点へ到着した。
スピカが操縦する飛行重機ステラ・ハルパリュケーから駆け降りた破軍は、担いでいた意識不明のベテルギウスをそっと地に下ろす。
「アルテミス様……っ! ベテルギウスさんは——⁉︎」
「呼吸はしてる! 気ィ失ってんのは俺がブッ飛ばしたから! ……だが間違いなく、瓦斯は吸い込んでる……‼︎」
切羽詰まるアルテミスのただならぬ様子に、スピカは冷静を促しながら脈を取り、男の容態を確認する。緊急事態と察知したユピテルとカストルも、通信越しにアルテア端末機に取り付けていた医療用検査機ステラを起動させ、寝かせられたベテルギウスの総身に銀の光線を照射させた。
——二名と一機による応急処置と検診の結果。
幸い、ベテルギウスの傷は天士由来の治癒能力も機能し、無事に完治している。脈拍も呼吸共に整っていることから、命に別状はない。
……だがしかし、瓦斯の影響は油断ならない。破軍の猛烈な踵蹴りによってマスクが吹き飛ばされたことで、数秒とはいえども直接瓦斯をまともに吸い込んだのだ。
このまま目が覚めないままなのか。アルテミスが押し寄せる不安に思考を呑み込まれそうになった、その時。
アルテミスたちの鼓膜をけたたましく叩いたのは、あろうことか地響きに似たなんとも間抜けな轟音だった。
「……腹が減った」
大きな腹鳴、その音の主たるベテルギウスがむくりと起き上がる。
……スピカが驚嘆の声を上げる間も無く。半泣きの破軍による、彼の頬を引っ叩く音だけが荒野に虚しく鳴り響いた。
『——副官・スピカから森林内部の環境および生息生物たちの異変、彼女の体調異常については報告を受けたよ。敵性天士の襲撃、ということで至急スピカにステラ・ハルパリュケーを預けたが……。どうやら、間一髪だったようだな』
立体映像の皇帝ユピテルが、こめかみを抑えてほっと息を吐く。
金の瞳を心配に染めた珍しい皇帝の様子に、破軍は意外だな、と内心驚いた。やはり、皇帝も今回の事態にいつもとは何かが異なっていることを感じ取っているのか。立ち上がった破軍は、わしゃわしゃと撫でくりまわしていたベテルギウスの頭から手を離す。
「おかげで助かった。空から救いの手——いや、翼が来るなんてびっくりしたがな」
『ああ、ステラ・ハルパリュケー……あの機体の操縦には、本来ならば事前訓練が必要なのだけれどね。いや、彼女は飲み込みが早い。僅かな説明だけでアレを乗りこなすとは恐れ入りました。……その感性を善なることと褒めていいのかは、ともかくとして——』
皇帝の、穏やかな声が厳寒の冷たさを帯びる。通信機越しだと言うのにも拘わらず、その冷厳極まる圧力——この場の空気を稲妻が走るがごとく塗り替えていくそれは、普段秘めている彼の獰猛さを跡形もなく剥き出しにしていた。
——ユピテルの理想。すなわち、恒久的な世界平和。それを目指し、成し遂げつつあるこの平安の世に、比類を見ない優れた闘争・戦闘感覚を持つ人間の存在は此れ如何なるものか。ユピテルの精選たる視線と重圧に、スピカは怯懦に肩を震わせた。そんな中、破軍は押し黙るスピカを庇うように、彼女を見定めるユピテルの間に割って入る。
「何れにせよ、彼女が駆けつけてきてくれなきゃ一巻の終わりだった。ステラ・ハルパリュケーを手配してくれた皇帝陛下、そして第三皇子には感謝を申し上げたく——」
『あら、私にはなんにもないの? 寂しさのあまり、つい幼子の様にいじけてしまいそう』
黒の戦士が、白亜の青年に恭しく一礼したのも束の間。こうべを垂れたアルテミスのすぐ上から、か細く、かつ凛とした女の声が降り注ぐ。その声からは落胆と皮肉が入り混じった、彼女特有の気難しさを滲ませていた。
「——ポラリス」
アルテミスは面を上げると、浮かび上がった眼前の光る円形を見据える。アルテア端末機より照射された通信画面に映っていたのは、気怠げな面持ちを湛えた皇女ポラリスだった。
『ふふ、確かにな。……アルテミスよ、礼ならばポラリス——そしてポルックスにこそ告げるといい。此度お前たちが回収した資料の解析、その大部分を担ったのはあの子たちなのだから』
皇帝の言葉にアルテミスは微笑むと、そのまま悠然とポラリスに向き合った。冷たく装っているといえども、彼女のその目にはわずかながらも疲弊が見て感じ取れるのがわかる。
「……そうか。それは誠に辱かった。このわずかな短い時間、皇女殿下には大変なご無理をさせてしまったご様子。つきましては、この事件が無事解決後に改めて貴女に直接お礼を申し上げに参上すると致しましょう」
『……! ご、五体無事だったのは何よりです。しかし、まずは陛下に仔細のご説明と報告を』
ポラリスの病弱ゆえの青白い肌が、含羞によって瞬く間に薄紅に染まっていく。
……同じ皇帝と国に身を尽くす七星剣であるとはいえ、同時に今は互いに皇女と大公領主の立場がある。二人きりの時とは打って変わったアルテミスの態度に、さすがのポラリスも調子を狂わされたようだ。しかし、小柄な体躯に見合わぬその持ち前の精神力はたちまち元の虚勢を着飾った。
『そうね。それと「お色直し」もしないとね。せっかくの面白……いえ、おかし……失礼。その素敵で魅力的な髪飾りが、霞んでしまいませんように』
ポラリスの嗜虐的な笑みに、思わずアルテミスは慌てて頭に手をかざした。……濡れて冷たいべちょりとした感触が手に張り付く。
水草を握り締めると、今度はアルテミスが羞恥心に頬を染め上げた。
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