第263話今日も夜中に目が覚めた

 おはよう。ただいま、2時半。真夜中だ。暑くて目が覚めた。もう布団は暑すぎるようだ。タオルケット一枚だと寒いし、難しい。何か対策を考えねばなるまい。こう頻繁に夜中に目が覚めるのは不健康であるから、なんとかせねば。二度寝できる感じはしないので、今日もコーヒーを淹れた。シーンとあたりは静かだ。さて、夜中になにをしようか。

 もともと睡眠時間は短いほうなので、寝不足はそんなに苦ではない。なので、一度起きると何かしたくなる。タブレットを立ち上げて、読書でもするか。

 最近買った「生贄探し」という本が印象的だ。中野信子とヤマザキマリの対談本だ。中野信子は人間の負の感情を論理的に追求し、そこに合理性を見出す。いわば、負の感情を必要悪であると説く。この「生贄探し」という著書でも「生贄探し」を人間が社会を営む上である意味必然的な感情だという。

 冒頭では、ヨーロッパの中世の魔女狩りを引用していかに「生贄探し」が人間にとって必要悪であるかを説く。人間は社会の中で異質である、と感じるものを排除して恒常性を保とうとする。それは組織の中では合理的だと思われるが、見方を変えれば、ただの差別であると言える。組織の中ではある程度合理性があるため、差別はなかなか根強い力を持つ。

 正論を振りかざして差別は悪いと言っても、なかなか差別がなくならないのは、こういった理由による。

 均一であれば、それだけ意思の疎通を図ることも容易だ。均一であれば、共感することも容易である。なので、異質なものは排除される傾向にある。

 しかし、社会に異質なものを取り込むことで、その社会が活性化することもしばしばある。異質なものを排除するのではなく、それをいい意味で利用し、社会を活性化させる。差別をなくすことの合理性もまた必要とされるのである。

 まだこの本を全部読んでいないので、どんな結論になるかは分からないが、前向きな結論になってほしい。

 私は多様であることの有用性が今の日本に一番必要だと思う。感情で差別はいけないというのではなく、合理性に基づいて多様であることの必要さを示したい。

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