第62話 ▼3年ぶりの帰還(レイズ視点)

 街から離れた場所にある小高い丘の上。そこからは街が一望でき、その向こうに広がる青い海までもを望める。そんな眺めの良い場所にレイズの両親の墓は立っていた。レイズは膝を折り、街で買った白い花束をそっと墓前に添える。


「3年ぶり、か……」


 1人口にした言葉は吹き抜けた風に流れていった。

 もしも今、2人が生きていたのならばこんな自分をどう思っただろうか。

 国王の陰謀を止め、国を救ったとは言え、フレイを持ち去りヴァンドールに借りを返す為、海賊に身を落とした自分を。

 自分がした事は間違っていたのだろうか……

 もしも、自分と同じ立場にあの人が立たされたのだとしたら……

 あの人ならば、どうしただろうか……


 もうこの国には戻れないと思っていた。戻らないと、そう決めた。

 しかし、この国で再び何かが起きようとしている。


 東の海上で引き揚げた炎に焼かれ燃えた男。

 はっきりとは断言出来ないが、それはきっとこの国から、ディーレフトから流れ着いたものだと思われる。

 これはきっと何か悪い事の前兆に違いない。

 この国でまた何かが起きようとしている。いや既に起きている。

 それをこの目で確かめるのだ。

 レイズは踵を返し歩き出す。そのまま両親の墓を後にした。



 ***



 扉を開けると来店を知らせるベルが鳴った。

 ゆっくりと懐かしの場所へと足を踏み入れる。見渡した店内は以前のような暖かみのある雰囲気はなく、どこか物悲しさが漂い寂れていた。

 どうやら今日は店はやっていないようだ。


「おや、どなただい?」


 ベルを聞いて奥から懐かしい人物が現れる。

 レイズの親代わり、テル・ナインである。3年ぶりに会うテルは心無しかやつれているように見えた。


「ここは以前、店をやっていたと思ったんだが。今日はやってないのか?」


 そう尋ねれば、彼女はああ、とまるで思い出しかのように声を上げた。


「そうですね……確かに以前は店をやっておりました」

「以前は?今はやっていないのか?」

「ええ……今はもう……」


 そう言ってテルは寂しそうに目を伏せる。


「3年前に店は畳んでしまいました……」


 それを聞いてはっとした。

 テルはレイズの本当の親ではなく、彼女とは血は繋がっていない。

 しかし、親代わりとしてその身を預かる者として、3年前に自分がした事のせいでテルにもその影響が及んでしまったのでは……

 つまり、彼女が店を畳んでしまったのは、自分のせいなのでは、と。


「……っ」


 やつれたテルを見て込み上げて来るものをぐっと堪える。


「お客さんは旅のお方かい?」


 不意にテルに尋ねられ落とした視線を僅かに上げる。


「……ああ」

「そうですか。この国は良い所でしょう?」


 頷いたレイズに対し、テルは笑顔でそう述べた。


「この国を出て他の場所へ行こうとは思わないのか?」

「何故そんな事を?」


 唐突なその問いにテルは首を傾げた。


「……いや」


 返された問いにレイズは言葉を詰まらせる。


「この国は私の生まれた場所でしてね。辛い事も悲しい事も沢山あったけれど、それ以上に沢山の幸せをここで貰ったの。沢山の思い出がこの店にはあるんですよ。私はこの国を離れる気はないですよ。この国を愛していますからね」


 目を細め昔を懐かしむように語るテルを見てレイズはグッと拳を握り締める。


 分かっていた筈だった。

 覚悟していた筈だった。

 3年前に自分がした事がどういう結果を招く事になるのかを。

 自分自身だけではない、自分の周りの人間にも少なからず影響が及んでしまう事を。

 戻らないと決めたこの場所へと、再びこの国へと戻って来てその重さが痛い程にのし掛かってくる。


「……邪魔をした」


 テルにそう告げ、レイズは店を後にした。

 外へと出たレイズの中に悔しさと後悔の念が込み上げて来る。

 しかし、今は足を鈍らせる訳には行かない。

 平和を取り戻した筈のこの国で一体何が起きているのか。突き止めなければならない。

 レイズはしっかりと顔を上げる。

 ある人物へと会いに行く事を決めた。



 ***



 王都へ夜の帳が降りた。

 帝国軍大佐ジャック・ジェーナイトは夜風に当たろうと本部の外へ出て来ていた。

 見上げた夜空には月が輝き王都を照らす。その月が時折暗い雲に覆われ陰る。

 その闇に紛れて背後で何かが動くのを感じた。振り返ろうとしたジェーナイトよりも早くその首元に冷たい感触があてがわれる。


「動くな」


 背後の影は静かにそう告げた。

 

「……何者だ?」


 その問いには答えず、質問を続ける。


「大人しくしていれば危害を加えるつもりはない。質問に答えて貰おうか」

「お前……まさか……」


 背後から響いた声にジェーナイトは僅かに動揺をみせる。そして、その名前を口にした。


「レイズ・ローゼル……なのか?」


 背後の影は微かに笑った。

 さすがは帝国軍大佐。こうもあっさり見破られるとは。

 どうやらこの人を誤魔化すことは出来ないようだ。


「お久しぶりです、ジェーナイト大佐」


 もはや隠す必要もないと判断しレイズは顔を覆っていた布を外した。


「どうしてお前がここに?何故またこの国へ戻って来た?」


 その問いにレイズは答えない。


「教えてください、今この国で何が起きているのかを」

「……例の噂を聞いたのか」

「噂?」

「亡霊騎士の噂だ」

「亡霊騎士……?」

「最近、王都周辺で鎧を纏った謎の集団が度々目撃されている」

 

 ジェーナイトの口から語られた言葉にレイズは首を傾げる。


「そいつらは何者なんですか?」

「分からん。奴らの正体もその目的も不明だ。我々も奴らを探っているが、未だに正体は掴めていない」


 鎧を纏った謎の集団……

 東の海上で見た、刺青の男と何か関係があるのだろうか。


「陛下もこの件を大変気に掛けておられる」

「陛下はこのことを知っているんですか?」

「勿論、ご存知だ。しかし、無用な混乱を避ける為、公には伏せてある。陛下は特別部隊を編成し、信頼の置ける者達を率いて秘密裏に謎の鎧の騎士の正体を探っておられるのだ」

「大佐もその一員という訳ですか」

「そうだ。そして以前のお前の同僚でだったスタット・エイト、それからランク・ナインとリリ・ナインもな」


 懐かしい名を聞き、僅かに腕の力がゆるむ。


「陛下は3年前に即位されてから現行政府を解体し大幅な内政改革を行われた。そんな陛下に対し、内部には不満を持つ者も多い」

「つまり内部の者が関わっている可能性があると……」

「恐らくな」


 そこまで話を聞いたレイズは1番気掛かりだった事を尋ねた。


「あれから地下にあった研究所は一体どうなったんですか?」

「3年前の……あの一件があって以来、あの場所は閉鎖された。今は何人も立ち入る事は出来ないようになっている」


 ジェーナイトは言った。

 ここへ来る前に立ち寄った地下の研究所へと繋がっていた水路も今は塞がれていた。どうやらあの研究所は今は完全に閉鎖されているらしい。


「そうですか……」


 レイズはジェーナイトの首元へと当てていたナイフを下げた。

 そして素早くその場を離れ、月の陰った闇に紛れてその場を後にした。


 東の海上で見た燃える人間の件。

 それが関係しているのかは分からなかった。

 しかし、やはりこの国で何が起きている。それはどうやら間違いないようだ。

 とにかく今はジェーナイトの言っていった謎の鎧の集団の正体を突き止める必要がある。レイズはそう判断を下した。



 ***



 ガシャリ……ガシャリ……


 不気味な音がどこからかともなく辺りに響く。

 暗い路地の一角。気付いた時には既に周囲を囲まれていた。


 臨戦態勢を取りながら周囲に警戒を払い、一際濃い暗闇に視線を向ける。

 暗闇の中からその者達は現れた。

 白銀の鎧を纏うその姿。

 ジェーナイトの言っていた謎の鎧の騎士。亡霊騎士。

 話を聞いた直後にこれとは運が良いのか悪いのか。


「……何者だ?」


 レイズの問いにかの者達は答えない。

 ゆっくりと周囲を取り囲んだ騎士達は黙したまま剣を手に取る。

 鎧の一体が不気味に揺れた。

 鎧の騎士が一斉に襲い掛かって来た。


「一体なんなんだ……!?」


 レイズはフレイの柄に手を掛ける。

 剣を引き抜こうとしてその手を止めた。

 今いる場所は王都市街地。近くには貴族達が邸を構える貴族街もある。

 時刻は真夜中を回った頃だろうと思われる。

 辺りに人影はない。――しかし。


「ちっ……」


 レイズはフレイへと掛けた手を離し、市街地とは逆方向へと走り出す。

 予想通り追って来る亡霊達を連れ、出来るだけ市街地から離れる事にした。



 ***



「こいつらは一体何なんだ……?」


 乱れた呼吸を整えながら、レイズは残された無数の焦げ跡を見詰めた。

 市街地から遠く離れ、見晴らしの良い場所へと走ったのち、レイズは追って来た鎧の軍勢へと向き直り刃を交えた。

 ぶつかり合う金属音。隙を突き、フレイの一撃を叩き込むもその鎧は固く、フレイの刃は何度となく弾かれた。構えたフレイを大振りに振り下ろし、炎を孕んだ閃光を放つもその鎧は炎に強いらしく全く怯む事はない。

 それどころかその鎧達の様子からは敵に対する恐れや迷いなどは一切感じられない。いや、それ以前にその様からは全く生気を感じられなかった。

 鎧の隙間から僅かに覗く、その目は赤く揺らめき、まるで炎を宿しているかのようで。そんな光景をレイズは以前にも見た事があった。


 レイズは再びフレイを構え直し、一体の騎士の首を跳ねた。

 途端、鎧の中から凄まじい勢いで炎が噴き上がった。


「………っ!!??」


 その光景をレイズは凝視した。

 フレイのものではない。

 それは紛れもなく鎧の中から噴き上がっていた。

 自身の中から噴き上げた炎に巻かれ、やがてその鎧は跡形もなく消失した。

 その後も戦闘は続き、レイズはなんとか追って来た鎧の軍勢を全て倒す事が出来たのだった。


「こいつらは一体何なんだ……?」


 謎の鎧の集団の正体。その中身は人間ではなかった。

 空洞。しかし、奴らは剣を振り上げ襲い掛かって来る。

 そしてその中から噴き上がった炎。

 東の海上で見た燃える人間。


 一体、何がどうなっている。

 不安と疑問ばかりが膨らんでいく。


 この国で、一体何が起きている――?


 東の空から太陽が昇る。長かった夜が明けた。

 それは静かに蠢く不穏な何か示すかのように不吉な赤い色をしていた。


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