第52話 ▼暴動
「ワンスモール シックス地方で大規模な暴動が発生した」
翌日。非番だったレイズは緊急で軍本部への呼び出しを受けた。
重厚な扉を潜り、中へと足を踏み入れると本部内は想像以上に慌ただしかった。
その慌ただしさの中心に一際険しい表情をした大柄な男の姿を見付ける。
彼の名はジャック・ジェーナイト。
帝国軍大佐。豪傑、豪腕にして豪勇の士。数々の武功を誇る、軍神と称される人物である。その体躯もさる事ながら、強面で厳格な性格の為、近付き難い印象のある彼。しかし、部下を気遣う優しさも持ち、兵達から慕われるその信頼は誰よりも厚い。
そんな彼はレイズの父、ロイ・ローゼルの戦友でもあった。
「ジェーナイト大佐」
「ローゼル少尉か」
レイズに気付いたジェーナイトは険しい表情のままその視線をこちらへと向ける。
「何があったんですか?」
「ワンスモール シックス地方 ゼイスで大規模な暴動が発生した」
ワンスモール シックス地方。ワンスモール東部に位置する平野部の名称。その中心都市 ゼイスを中心に昨夜未明大規模な暴動が発生した。
「暴動は反政府勢力の拠点を中心にシックス地方全体へと拡大。周囲への被害は甚大。今や駐在する軍だけでは抑え切れない状況だ」
ジェーナイトは話を続ける。
「尚、この暴動の後ろ縦には東方ツービーク国が反政府軍を支援し裏で糸を引いているとの情報が入っている」
「ツービークが軍事介入しているという事ですか?」
「そうだ。その為、今回の暴動鎮圧には陛下自らが軍を率いて向かわれる事となった」
ジェーナイトのその言葉を聞いてレイズは内心驚いていた。
陛下は確か、数年前から原因不明の病に侵され、床に伏せておられた筈だが……。今回の暴動鎮圧に自ら参戦されるという事は身体は回復されたという事なのだろうか?
「すぐにゼイスへと向かう!」
ジェーナイトの号令が大声で掛かる。
深く思案し掛けたレイズだったが、すぐに思考を切り替え遠征の準備へと取り掛かった。
***
至る所で火の手が上がり、濛々と黒煙が立ち昇る。
道端には敵味方も分からない黒く焦げた死体が転がり、焼き尽くされたその街並みは崩れ落ちた瓦礫と化す。
硝煙に包まれたゼイスの街を軍旗を掲げた国王軍が侵攻していく。
戦火の中心には黒い鎧を纏ったその者の姿を見る。
ディーレフト国国王リチャード・トゥエルブ。
彼は赤く刀身の燃えるフレイをその手に剣を振るった。
フレイから放たれた炎は凄まじく、津波のように前線の部隊を飲み込んでいく。瞬く間に前線の暴動部隊、そしてその一帯を焼き払った。
「黒い輪……?」
そんな彼の姿を目の当たりにして。
男は自身の目を疑う。
何かを見間違えたのかともう一度よく目を凝らしてみる。
(まただ……)
フレイが振り下ろされる度、ほんの一瞬だけ黒い輪、円のようなものが国王の身体の周りに発生している。そしてその中心。その中心に見覚えのある“赤い光”を見た。
「あれは……まさか……」
何度か瞬きを繰り返して、見間違いではない事を確かに確認して。
その男、アレン・ヴァンドールは炎に紛れて揺れる不気味な“赤い光”に目を凝らした。
***
戦火に包まれたシックス地方ゼイスの都市。
部隊後方にてレイズは残敵掃討にあたっていた。
今や暴動部隊はほぼ壊滅。暴動の鎮圧は目前となっていた。土煙が濛々と立ち込める中、フレイの炎を逃れ隠れた残党をくまなく探していく。
(あれは……?)
そんな中、レイズの視界は戦場をふらつきながら歩く幼い子供の姿を捉えた。
髪は黒く腰程に長い。幼さの残る少女だった。
その前方。そこに同じく残党勢力の掃討にあたる兵士の姿を視界に捉える。
兵士は少女に気付くと、手にした小銃をその子へと向けた。鈍い光を放つ銃口が少女の頭へと狙いを定める。
「やめろっ」
少女を狙う兵士に対しレイズは声高に叫んだ。
しかしその静止も虚しく。兵士の指は引き金を引く。
思わず駆け出していた。しかし、その距離からではあまりにも遠く。
乾いた銃声が鳴り響いた。
刹那。
ゴウッと音を立てて少女の前に炎が壁のように立ち塞がる。赤く燃える炎が壁となり放たれた銃弾を防いだのだった。炎の障壁によって守られた少女は顔を上げ、泣く事も忘れて呆然と目の前に立ちはだるそれを見詰める。
そこに背の高い影が一つ。その人物は素早く少女を拾い上げると、銃弾の届かない建物の陰へと身を隠した。
「大丈夫か?」
子供を助けたのは同僚であるランク・ナインだった。
ランクは怯える少女に対してゆっくりと優しく問い掛ける。少女は揺れる瞳のままコクリとランクに頷いた。
「こんな所へ来るんじゃない」
「パパとママがいないの……」
少女は今にも泣き出しそうな顔で縋るように訴える。
「パパとママはきっと無事だ。きっとここから逃げて君の事を探してる」
そう言ってランクは優しく少女の頭を撫でた。「きっと大丈夫だ」とその子を安心させるように。
「だから行って。さあ」
ランクはそっと小さな背中を押して。幼い少女を戦場から逃した。
「ランク……」
一連の光景をレイズはただただ眺めている事しか出来なかった。
レイズに気付いたランクは立ち上がり、そして苦笑する。
「子供に嘘はつきたくないもんだな……」
「………」
その言葉にレイズはぐっと込み上げて来るものを堪え唇を噛む。
ただただ見ている事しか出来なかった。自身の無力さを痛い程に痛感する。
自分にはこんな戦いを終わらせる事はおろか、人ひとりを満足に守る力さえ持ち得てなどいないのだ。
けれども、どんな理不尽を突き付けられようと国を守るのが自身の務め。
無力さを嘆いている暇など無い。
俺はあの人のように。この国を守る為に、軍人になったのだから。
その後、ランクは再び任務へと戻っていった。
レイズもまたランクの後を追い、戦場へと重く鈍り掛けた足を踏み出そうとした。そんな時。
「なんだか東の方が騒がしいんで来てみれば、あれが噂の国王様か?」
すぐ近くから聞き覚えのある声が響いた。驚いて声のした方へと振り返る。
そこには短い茶髪にターバン、ボロを継ぎ合わせたような衣服を纏った先日の食い逃げ犯の姿があった。
「なんだありゃ?一体どういう趣味してんだよ?」
国王の姿を見たのであろう、男はあからさまに顔を顰める。
炎に燃える剣を持ち、黒い鎧を身に纏った巍然たる国王のその姿。
その姿を大昔の神話に出て来る“世界を焼き尽くす”という者に例え、人々は恐怖と畏怖の念を込めて彼を『黒き者』と呼称する。
「嗜好がだいぶ偏ってると思うんだがな。俺の他には誰もそうは思わないのか?」
一人国王の容姿についての感想を述べる男を無視して、レイズは淡々と切り返す。
「何の用だ?」
「別に。ただの観光さ」
「こんな所に観光とは、アンタ随分と暇なんだな」
「そうでもないさ。俺はどちらかと言えば忙しい方だよ」
再び目の前に現れた男に対し皮肉を言ったつもりだったが、それはさらりと受け流される。
一体この男は何がしたいんだ?
何故また自分の前に現れた?
予期せぬ男の登場に対しレイズは僅かに困惑していた。
「まあ、せっかくこうして足を運んでみた訳だし、聞いてた話とはだいぶ違ったが、色々と見て回るのも悪くはないと思ったんだよ。そのおかげで随分と面白いものも見れたしな」
言って男はレイズの方へと視線を投げ、その視線を更に火柱が上がる空へと向ける。
「お前、あれをどう思う?」
「あれ?」
「ディーレフト国 国王リチャード・トゥエルブ陛下だよ」
唐突な男の問いに一瞬戸惑ったレイズだったが、男同様に遠くに立ち昇る火柱へその視線を馳せてみる。
「……凄まじい力だと思うよ」
「はぁー……お前なあ。俺が聞いてるのはそういう事じゃないんだよ」
しかし、レイズのその答えに男は不満気に盛大なため息を吐いてみせた。
「お前はあれを見ても何も疑問にすら思わないのか?」
「………?」
その問いにレイズはおおいに首を傾げた。
この男が一体何を言わんとしているのか、全く見当が付かないのである。
そんなレイズの様子を見て、男ははっとした顔をこちらへと向ける。
「お前、まさか……ロイがあの剣を使う所を実は見た事がないのか?」
「……!」
まさか言い当てられるとは思わなかったが、まさしくその言葉の通りだった。
レイズ自身、英雄と呼ばれた父の一番近くに在りながら実は一度も彼が実際にフレイを使う姿を見た事がなかったのである。
何故ならば、幼いレイズの目にいつも映っていたのは、『劫火の英雄』としてのロイ・ローゼルではなく『父親』としての彼だったのだから。
「……だったらなんだ」
「はぁー……マジかよ……」
レイズのその言葉を聞いて。男はオーバーな仕草で頭を抱える。
「……まあ、お前みたいな鈍い奴が“アレ”を見た所で所詮、出て来る感想は同じか」
しかし、すぐに男は持ち直し一人納得したかのようにそう口にした。
この男は先程から一体何を言っているのか。レイズには全くもって訳が分からない。
「あの剣、フレイを取り返さないのか?」
「取り返す……だと?」
「あれは元々はロイの剣。お前にとっては父親の形見の筈だろう?」
「あの剣は陛下を持ち主として選んだんだ。あれはもう陛下の物だ」
「ほう。ならロイの形見を他人に盗られても文句は無いと?」
「それは……っ」
男の問いにレイズは一瞬言葉に詰まる。
「聞いた話では国は悪化する戦況下、国内外から強者を集い何度もフレイを抜ける者を探したとか。お前はそれには参加しなかったのか?」
「……俺にはあの剣は抜けない。例え、あの剣があの人の残した形見だとしても陛下を持ち主として選んだのなら、俺には何も言う事はない」
そう言ってレイズは視線を逸らした。
そんな事など今更、言わずとも分かり切っている事なのだから。
「なーるほどな。それでお前はいじけてるって訳か」
「なっ……」
男の言葉にレイズは思わず面食らった。
「誰がいじけてるだとっ」
「だってそうだろ?国王は選ばれ自分はフレイに選ばれなかった。まるで女にフラれたような顔してるぜ」
にやけ面で述べられたその言葉にレイズは腰に差した剣を引き抜く。
この男が一体何者なのか。正体は知れず素性は知れない。
だが、この男の発言はレイズを苛つかせるには充分だった。
「先日は見逃してやったが、気が変わった」
「おいおい、なんでそんなに怒ってるんだよ?」
「黙れ!食い逃げの分際で!」
レイズは容赦なく男に対し斬り掛かった。
***
「遅い遅い!そんなんじゃ俺を捕らえられないぞ!」
余裕綽々でそう口にして男はへらへらと笑みを浮かべる。
男を捉えようと何度も何度も剣を振るった。しかし、そんな剣先をまるで嘲笑うかのような身軽な動作で男はそれを次々と交わしていく。
この男は本当に妙だ。見た目はただの浮浪者のようでそれ程強そうには見えないのに何故だが剣が掠りもしない。
まるで風のように突然現れては、好き勝手な事を言いたいだけ言って去っていく謎の男。その男の飄々とした態度がレイズはどうにも気に食わなかった。
瓦礫と化した街中を軽快な動作で逃げる男。
その後をレイズは必死に追って行く。
「あれ、アンタこの間の食い逃げ犯じゃん!」
またしても、まんまと逃げおおせるかに思われた男。
しかし、その先には思わぬ伏兵がいた。そこにいたのは先日の空色の髪の軍人。レイズの同僚であるスタット・エイトの姿がその道の先にはあった。
「スタット!今度こそそいつを逃すな!」
突然の男の登場に驚愕を浮かべたスタットだったが、後を追うレイズの姿を視界に捉え瞬時に状況を理解する。
「はいよ!」
レイズの指示を受けたスタットは逃げる男の前方へと剣を構えて立ち塞がった。
「おっと、これはまずいかな……」
男は立ち塞がったスタットを見て駆けていたその足を止めた。
前方にはスタット、後方には後を追って来たレイズ。
左右は崩れた瓦礫の山で手近に足場になりそうな場所ない。完全に退路を断たれてしまった。
「分かった分かった」
そんな状況にようやく観念したのか、男は深くため息を吐いた。
「降参降参。大人しく投降しますよ」
そう言って男は無抵抗を示すように両の手を上げた。
レイズとスタットはその奇妙な食い逃げ犯をその場で拘束。暴動の鎮圧完遂後、捕らえた男を王都にある収容所へと移送した。
***
レイズはゼイスで捕らえた奇妙な男を王都にある収容所へと移送した。
囚人は全て王都にある収容所へと収容される事になっている。本来ならば食い逃げは雑居房行きだが、この得体の知れない男を危険と判断したレイズは男を独房へと収容した。
「しばらくはここで頭を冷やす事だな」
「はいはい」
レイズの言葉に男は気怠そうに返事を返す。
独房へと捕らえられても尚、男はその余裕のある態度を改めようとはしなかった。
なんとも奇妙で食えない男だとレイズは内心で思う。
「なあ、お前は本当にそれでいいのか?」
「何の話だ?」
「フレイの事だよ。お前は本当にそれでいいのかって」
「くどいぞ」
唐突に投げ掛けられた問いに対し、レイズは間髪を入れずにピシャリと切り捨てる。
この男は一体何度同じ事を聞けば気が済むんだ。
「欲しくはないのか?あの剣が?」
「欲しいも何もない。あれは俺の物じゃないんだ」
「へぇーそうかい」
その答えを聞いた男はまるで何かを考えるかのように僅かな間口を噤む。そして、あらぬ方向へと視線を投げてまるで独り言のように呟いた。
「まあ、お前が要らないって言うんならちょうどいいかもな」
「なに?」
半ば呆れていたレイズだったが、男のその発言を聞いて眉を潜めた。
「どういう事だ?」
言葉の真意を問いただしたが、男は黙したまま答えない。
しかし、執拗にフレイについて尋ねて来る男の態度、発言からレイズはにわかに察した。
(この男はまさか……)
「まさかお前、あの剣を……」
陛下から盗もうとしているのでは?
「だとしたらどうする?」
こちらの言わんとしている事が伝わったのか、男はまるで挑発するかのように口角を吊り上げてみせた。
やはり読みは当たっていた。
しかし、そんな男の目論見をレイズは鼻で笑い飛ばす。
「剣を盗んだ所でどうする?あれはお前のようなコソドロに扱えるような代物じゃない」
「そして、ロイの息子であるお前にも扱える代物ではなかった」
「なんだと!?」
「事実を言ったまでだろ」
挑発めいたその言葉に思わず口調を荒げ掛けた。しかし、レイズはすぐにいつもの平静を取り戻す。
「お前が何を企んでるのかは知らないが、どのみここからは出られはしない。しばらくは大人しくしている事だな」
それだけを言い残こし、レイズはそのまま牢屋を立ち去ろうとした。
「なあ」
しかし、そんなレイズの背中を男は再び呼び止める。
「ずっと持ち主を選ばず誰にも扱えなかった筈の剣がある日突然国王を選んだと言ったが、その理由が一体何なのか、お前は知ってるのか?」
「……さあな」
「何故、ロイの息子であるお前や他の誰でもなく、フレイは国王を持ち主として選んだんだ?」
「………」
男の問いにレイズは踏み出しかけた足を止めた。
そんな事など知る訳がない。
ただ、男のその問いがレイズには堪らなく不快だった。
今更何を言うつもりもない。これが自分にとっての事実であり、そして――
「お前も見ただろ、これが現実だ」
そう言い残しレイズは牢屋を立ち去ったのだった。
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