第15話 ▼不思議な少女(アレン視点)


 タンタンタンタンタンタン……


 甲板に小刻みな音が響く。

 アレンは待ち切れずにいた。


 風はなく海は至って穏やか。

 頭上には無数の星が瞬き、高く登った月が地上を照している。空は雲一つない快晴だ。


 だがしかし。このアレン・ヴァンドールという男だけは、とても心穏やかとは言えなかった。

 無意識のうちに身体を上下に揺すり始め、やがてただ待つ事さえも出来なくなる。カツカツカツと音を立て、ぐるぐると甲板を歩き回り、現在では何度も何度もそれを繰り返していた。


 やはり自分も行くべきだったか。

 そんな考えさえ浮かんで来る。

 いや、しかし、また前回や前々回のような目に遭ったりしては堪らない。


 アレン・ヴァンドール率いる海賊団は、ここのところ立て続けに起こっている、いわゆる“ついてない”出来事のせいで深刻な物資不足、酒不足に陥っていた。

 その為、今回はなんとしても念願の酒を達するべく、乗組員全員総出での酒の調達に当たらせた。……そこまでは良かった。

 だが、待てども待てども一向に乗組員達が戻って来る気配はない。

 一体何をやっているんだ。

 そんな状況に徐々に苛立ちが募っていく。


「遅いっ!!」


 なんとか苛立ちを堪えていたアレンだったが、ついに痺れを切らした。


「あいつらは一体何をやってるんだっ!?」


「何故こんなにも時間が掛かっているっ」と、アレンは誰にでもなく苛立ちをぶちまける。


「もういい!こうなったら俺が降りる!オッズ!アウツ!船を見てろ!」


 見張り台にいる凸凹コンビにそう言い付けると、アレンはそのまま船を降りていこうとした。

 もはやこれ以上待つのは時間の無駄だ。こうなればやはり、自分で探すしかってない。


「アレン船長!」


 船を降りようとしていると、突然背後から声を掛けられた。

 その声に振り返れば、そこには船の手摺りから身を乗り出し自分を見下ろす少女の姿が。

 確かラックが妹だと言っていた、名前は……ハルだ。ハルは明らかに困惑した様子でこちらをじっと見下ろしている。


「あの、港に降りるんですか?」

「ああ」

「ラック達を待ってた方がいいんじゃ……」

「もう充分待ったさ。これ以上待ってもラチがあかない」


 そう、もうこれ以上乗組員達を待つ気などアレンにはさらさらなかったのだった。

 その答えに何を思ったか。ハルはぐっと押し黙った。そんな彼女の姿を見て、アレンはしばし考える。

 今、船にいるのは自分を含め4人。アレンが降りればハルと乗組員2名の3人となる。

 ちらりと見張り台に目を向けてみる。見張り台にいるのは痩過ぎのオッズと逆に太り過ぎのアウツの2人。あの2人ならば、何もないとは思うのだが……しかし、万が一何か問題があったりしたら、ラックにどやされる事になるか……。

 しばし考えたのち、アレンは再びハルの方へと視線を戻す。

 不安げな瞳を向けて来るハル。アレンは彼女に向かい手を差し出した。


「ハル、だったかな?町に降りる。一緒に来てくれないか?」

「えっ!?」


 困惑が動揺の色へと変わる。


「いや、でも……」

「ただ酒を買い付けに行くだけだ。それが終わればすぐに戻って来るさ」

「~…」


 不安がる彼女に心配ないと笑ってみせれば、ハルは戸惑いながらも差し出したその手をとった。

 こうして、アレンはハルを連れ港へと降りる事となったのだった。


 一人残して置く気にはなれず、何気なく連れ出した彼女、ハル。

 しかし、アレンはまだ知らずにいた。

 今後“ハル”という存在が、自身の運命を大きく左右する存在になろうとは――。



 ***

 


 レートの町は広く、夜でもその活気を失う事はない。そこかしらから光が溢れ、暗い通りを明るく照らしている。

 やはり開けた港というだけはある。これならば、必死になって探さずともすぐに酒場の一つや二つ見付ける事が出来るだろう。

 レートの町を見たアレンは、一向に戻って来こない乗組員達を待ちくたびれ、結局自らが動くはめになったという事さえ忘れて、軽い足どりで進んでいく。


「……あのアレン船長。どこに行くんですか?」


 すると、隣から遠慮がちに声を掛けられた。


「勿論、酒を買い付けに行くんだ」


 そう言って隣を見れば、不安げな瞳が見上げてくる。

 隣を並んで歩くハル。何となく、一人残していく気はなれず連れ出してはみたのだが、やはり不安なのか、ハルはどこか落ち着かない様子で。それでもはぐれまいと必死に後をついて来る。


 そう言えば、初めて彼女に会った時以来、まともに会話をするのは初めてかもしれない。今更ながらふと、そんな事を思い出し何気ない話題を持ち掛けてみた。

 

「ハルは確かラックの妹だったな」

「は、はいっそうですがっ?」

「ラックは優しいか?」

「はい、とても良く……いや、とても優しいです」

「そうか」


 帰ってきた返答に一人ほころぶ。

 あいつも色々あったからな。

 ラックと出逢った当時の事を思い出し、一人零れそうになる笑みを堪える。


 彼女が“本当は”何者であるのか。

 本当のところは分からない。


 だが、ラック自身もそれを承知の上で船に乗せるように願い出た筈。それ以上を詮索するつもりなど、さらさらありはしなかった。そんな事よりもアレンにはもっと大事な事があるのだから。

 それから、たわいのない会話を一通り交わし、ある一件の店の前でアレンはその歩みを止めた。


「あるじゃないか!」


 思わず歓喜の声を上げた。

 立ち止まったのは、木造の建物は二建ての一件の建物の前。

 窓からは明るい光が漏れ、陽気な声が外まで溢れて聞こえて来る。

 どうやら店は絶賛営業中の模様。こここそが、アレンが探し求めていた場所。念願である酒場だった。


「全く、あいつらは一体どこを探しているんだ」


 迷わず中へと足を踏み入れて、ぶつぶつと一人文句を言いながらアレンは歩みを進めて行く。中は外から見るよりも意外にも広く、熱気とアルコール臭に満ちており多くの客で溢れていた。

 念のため、一通り周囲を警戒してはみたが、海軍や例のお騒がせ娘の姿はない。

 それに心から安堵し、そしてハルがついて来ている事を確認して、アレンはカウンターへと足を進めた。店主の男と話をし、船に運ぶ為の酒とついでにもう一つ注文をする。

 ここまで来たのだ。久々に一杯やりたい。注文してすぐにそれは出て来た。


「ハルも飲むか?」


 グラスを手に先程からきょろきょろと落ち着かない様子のハルにも酒を勧めてみる。


「いえ、私は大丈夫です」


 だが、断られてしまった。

 まあ、強制するつもりもないのでアレンは差し出した手を引っ込め、それを自身の口へと運ぶ。


「はぁーっ!」


 極上の味がした。

 何故だか急に酒が手に入らなくなり、強制的に禁酒生活を強いられて以来、ようやく口に出来た酒。

 まさに至福の時だった。しばらくその余韻に浸りたい、そう心から思っていた。

 だが、どうにもつくづく“ついていない”らしい。至福の時はそれ程長くは続かなかった。


 ガッシャーンッッ


 突然、店内に凄まじい音が響いた。

 音のした方に目を向けると、店の奥で二人の男が取っ組み合っている。

 一人は頭にちょこんと赤い帽子を乗せた痩せ型の男で、もう一人は背の低い髭面の小太りの男。

 男達は互いに掴み合ったのち、片方の男がもう片方の男を突き飛ばした。

 突き飛ばされた方は他の客達のテーブルへと倒れ込み、そこで飲んでいた客が突然突っ込んで来た男を殴り飛ばす。

 そこでまた別の喧嘩が勃発。

 そうして勃発した喧嘩はまた別のテーブルへと飛び火し、火種はどんどんと大きくなっていく。

 男二人の取っ組み合いから始まった喧嘩は、収まるどころか店中を巻き込んだ大乱闘へと拡大していった。


 しかし、こんな事など酒場ではよくある事。日常茶飯事の光景である。

 普段ならばたとえ、このような乱闘になったとしても、それ程気に掛けたりはしなかっただろう。


 だが今は、何せとにかく“ついていない”


 何の呪いなのか知れないが、何故か酒に関わると本当にろくな事が起きない。とにかく今は店を出た方が良さそうだ。

 アレンはグラスに残った酒を一気に飲み干し、“後で酒を取りに来させる”と店主に念を押して急ぎ席を立った。


「ハル!店を出るぞ!」

「は、はい!」


 そして、唖然とその光景を見詰めているハルに声を掛ける。我に返ったハルを連れ、足早に出口へと向かった。


 あちこちで勃発する殴り合い。

 その試合に楽しげに煽りを掛ける周囲の客達。更に拍車を掛けるかのように、ここぞとばかりに軽快な音楽を奏でる音楽体。

 悲鳴やら怒号やら軽快な音楽に溢れ、異常な盛り上がりをみせる店内はさながら大宴会よう。

 もはや宴は止まらない。店内にいる客達が満足し飽きるまで宴は永遠と続いていく。


 こんな事など日常茶飯事。こんなのは酒場ではよくある事……とはいえ。

 何故よりにも寄って、このタイミングで。やっとの思いで手に入れた至福のひとときを味わっているこのタイミングで。

 降り続く災難から尻尾を巻いて退散するしか出来ない自分が惨めに思え、またそれと同時に言いようのない怒りがふつふつと沸き上がって来る。

 一体何故、毎度毎度こんな目に遭わなければならないんだ。


「うわっ!?」


 突然、背後から短い悲鳴が聞こえた。かと思えば、ドンッと何かが背中にぶつかる。


「うおっ!?」


 思わず前のめりになったが、足を踏み締め、なんとかその場に踏み止まった。


 ヒュンッ


 その直後、目の前を何かが勢い良く飛んでいった。続いて、ガッシャンッと何かが割れるような音が近くで響く。

 慌てて音がした方に目を向ければ、すぐ近くの柱が真っ赤に濡れて染まっていた。恐らく、今目の前を飛んでいったのはワインの瓶。それが柱にぶつかり砕けたのだ。


 突然の事に、思わずその場に固まってしまう。

 もし、ハルがぶつかって立ち止まらなければ、間違いなく瓶に直撃していた。


「あの、アレンさん……?」


 ほんの数秒間、前のめった姿勢のままその場に固まっていたアレンだったが、聞こえた声にはっと我に帰る。

 アレンは勢い良くハルの腕を掴むと、そのまま彼女の腕を引いて再び出口へと向かい走り出した。


 ギャハハハッ

 ガッシャーンッ

 ドタンッバタンッ

 ♪~♪~♪~♪~♪~

 バンッバンッバンッ


 怒号やら奇声やら笑い声。

 物が倒れ壊れ割れる音が響き、それが渦巻くように旋律を奏でる。

 沸き立ち入り乱れる客の間をハルを連れ、アレンはただひたすらに出口を目指す。


 最中、またしてもハルが短く悲鳴を上げた。と、今度は勢い良く後ろに腕を引っ張られる。思わずよろめき掛けたが、アレンはなんとか耐えてその場に踏み止まった。


 ヒュンッ


 その瞬間、またしても何かが高速で前髪を掠めて行った。

 それは先程よりもずっと小さく、そしずっとてずっと速い“何か”。

 慌ててその何かが飛んで来た方向に目を向ける。

 そこには酔って天井へと銃をぶっ放す有頂天の男の姿があった。男はバンッバンッと続けざまに二発、再び天井へと銃を放つ。

 その光景にアレンは身震いした。

 今ハルに腕を引かれなければ間違いなく、銃弾にこめかみを撃ち抜かれていた、と。


 ……はて?

 そこまで考えてふとある事に気が付く。


“ハルに腕を引かれなければ”………?


 確か先程もそうだった。

 ハルにぶつかられあの場に立ち止まらなければ確実にワインの瓶に直撃していた。そして、今のこの銃弾も……。


「ごごごごめんなさいっアレン船ちょ……」


 深く思案しかけたが、すぐにアレンは思い直す。

 こんなところに長居する訳には行かないのだ。そう考え、宙ぶらりんの状態でいるハルをすぐさま引っ張り上げる。


「急ぐぞハルっ」

「はいっっ」


 とにかく一刻も早く店の外に出なければ。



 ***



 その後も沸き立つ客達に阻まれながらもアレンはハルを連れただひたすらに出口を目指した。そしてついに、ようやく出口の扉の前まで辿り着く。バンッと勢いよく扉を蹴り開けた。

 途端に狭かった視界が開け、快晴の夜空が目に飛び込んで来る。アレンとハルはようやく店の外に出る事が出来たのだった。

 だが、まだ油断は出来ない。とにかく一刻も早くこの場を離れた方がいい。

 アレンはハルの手を引いたまま、自身の船へと向かおうとした。

 しかし、そこで悲劇は起こった。


「ぬわぁああぁああ!!??」


 悲鳴というよりは寧ろ奇声というべきな気がするが、とにかく一際大きな悲鳴が背後から聞こえた。かと思った瞬間、腰の辺りを勢い良く捕まえられる。


「うぉおっ!?」


 突然の衝撃をなんとか堪えようとしたが耐え切れず、アレンはそのまま地面へと向かって倒れ込んだ。

 刹那。ガラスの割れるような音が響き、すぐ傍で何か鈍い音がした。


「………っ」 


 一瞬、何が起こったのか把握出来なかった。

 とにかく身体の上に何かが乗っている。それだけは分かる。

 恐らく乗っているのはハルだろうが、そんな事よりも地面に倒れ込んだ直後、すぐ傍で聞こえた謎の音は一体……。


「ぎゃぁああぁああ!!??」


 またしても悲鳴が聞こえた。その途端に身体が軽くなる。ハルがアレンの上から飛び退いたのだ。


「……っ」


 地面に打ち付けた身体が少々痛んだが、アレンはゆっくりと身体を起こす。ゆっくりと身体を起こして、ぎょっとした。


 目の前。そこに映ったのは無数に散らばるガラスの破片と砕かれた木片。

 そして、その中で傷だらけになりながら取っ組み合う二人の男の姿。なんだこれは……。

 ふと、視線を上げれば壊れた酒場の窓が目に入った。

 どうやらこの状況からして、目の前で取っ組み合うこの男達は、乱闘の末、ついには二階の窓を突き破ってこの場へと落ちて来たのだと思われた。

 アレンが今居る位置から男達まで。その距離僅か数メートル。

 もし、あのまま歩みを進めていれば確実に男達の下敷きになっていた。


 そう、“ハルが転ばなければ”


「す、すすすすみませんでしたっアレン船長ぉお!!」


 しばらく間、目の前で小突き合う男達の姿を唖然として眺めていたが、聞こえた謝罪に背後を振り返る。地面に突っ伏したハルが目に入った。


 これはただの偶然なのだろうか?


 今も、もしハルが転ばなければ、この男達の下敷きになっていた。

 店内での飛んできたワイン瓶やぶっ放された銃弾の件に関してもそう。

 ハルがいたからこそ、回避する事が出来たと言えるのではないか。


 ゆっくりと顔を上げたハルと視線が合う。

 戸惑ったように見詰め返す彼女。

 服装は少し変わっているが、それ以外は年頃の少女とどこも変わらない。


 突然現れた不可思議な少女。

 彼女が“本当は”何者なのか正体は知れず素性は知れない。

 ラックの妹ということになってはいるが“ラックに妹はいない”


 だが、ハルの持つ不思議な何かをアレンは確かに感じていた。

 確証はなくこれはくあくまでも憶測でしかない。


 だが、もしかしたら。

 いつかの占い師が言っていた、“光を纏う者”。“邪を払い、呪われた死の運命を変えられる者”というのは――――彼女の事なのではないか。



 ***



 コトン……

 

 酒の注がれたグラスが静かに置かれる。

 月明かりに照らされた室内。

 自身の船室にてアレンは久々にゆっくりと飲める酒を味わっていた。


 あれからレイズやラック、強制上陸させていた乗組員達とも合流し、アレンは自身の船へと大量の物資と共に戻って来ていた。

 乗組員全員総出で当たらせた今回の物質、もとい酒の調達。その結果は、勿論文句無しの大成功。念願であり悲願でもあった酒類もようやく手に入れる事が叶った。

 これならばしばらくは、物資に困る事もないだろう。

 アレンは満足気に再び酒を口へと運ぶ。しかし、その手ははたと止まった。


 酒の調達に関してはとりあえず、これにて終了ではあるのだが、それとは別にもう一つ。アレンにはどうしても気になる事があった。


 それは、“ハルのこと”である。

 あれははたして偶然だったのだろうか?


 たとえ、あのままハルを連れずに一人町に降りたとしても、とりあえずは酒場を見付けることは出来ただろう。

 だが、はたして、こうして無事に船に戻って来る事が出来ただろうか?

 それを考えると、アレンには先程起こった出来事がどうしても偶然には思えなかった。

 赤い液体が半分程入ったグラスを手の中で回しながら考えてみる。


 あの時、ハルこそが、死に逝く運命、“呪われた死の運命を変えられる者”、“光を纏う者”なのではないかと思った。そう思わせる“何か”を確かに感じた。

 しかし、それには確証がなく、これはあくまでも憶測にしかって過ぎない訳だが。

 だが、たとえそうだとしても。確かめる価値は充分にある。


“あそこ”に行ってみるとするか。


 アレンはある結論に至った。

 出来るならば近付きたくはなく、またハルを連れていくには少々良心が痛みはするが。だがそれでも、試してみる価値は充分にある。たとえ、少々危険な賭けになったとしても。

 空になったグラスを置く。明日の予定が決まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る