第110話 魔物の少女は戦線を進む

 ノルソンの号令で魔人との戦いは再開される。


超弩級爬虫類型マキノスクス、行くぞ」


 ずしんと重みのある胴体が持ち上がる音がした。同時にカナリナも身を屈めて背中にしがみつく。少女たちを乗せた白銀色の金属獣は四足を立たせ、灰まみれの大地に脚を沈める。次の瞬間、そこにあった大地が軽く吹き飛ばされ、灰埃はいぼこりが高く宙を舞った。


 猛進する超弩級爬虫類型マキノスクスと同じように、金属の背中の上でも激しい風が吹き付ける。顔面を叩き付けてくる灰の粒子が痛くて、カナリナは薄くまぶたを細めた。


 また、引きつけられる感覚が強くなっていた。近付くことで魔人の気配が濃くなり、感覚も更に強まっていく。自分はしっかりと保てているものの、緊張は常に胸の中を駆け続けていた。


 目の前で巨大な影が更に大きくなっていく。漆黒の山のようにそびえる巨大な魔人。たくさんの苦しみと悲しみを生み出してきた元凶は、再接近する鋼鉄の怪物を見て、余裕の態度を崩さない。


『私に時間を与えてしまいましたねぇ。何もしていないとでも思ってましたか?』


 魔人が突き出した巨腕の先から、幾何学模様を描いた魔法陣たちが、闇夜の星たちのように無数に浮かび上がる。火、氷、雷、風、多様な色にはそれぞれの属性が展開されており、見るだけであれば美しいとも感じられる光景だった。しかし、ここは戦場。それぞれの光の円陣からは無慈悲な殺人の弾幕が降ってくる。


「き、来ます」


 距離が開いているせいで最初は小さく見える。だが、接近するほどに魔力の弾幕は想像以上に大きく、より広範囲に落下していた。


「多少の被弾は問題ない。このまま強引に突き抜ける」


 数ある魔法陣の一つから巨大な氷塊がこちらへ迫る。それを感知して超弩級爬虫類型マキノスクスが大きく斜行する。当然、上にいるカナリナ達には激しい揺れが襲いかかった。


(――――っ)


 歯を食いしばって、背中の鱗の凹凸おうとつを強く握って耐える。鋭利な鱗に触れれば、手を切るところだが、すでにカナリナの両手は人ならざるものに変化して硬くなっていた。意識を乗っ取られる可能性に怯えて、魔物の力を放棄することはしないと決めていた。


「ノルソン、さんっ! やっぱり、いくつかは、被弾しちゃいそうです」


 しっかり目で見て、指揮を執る青年に報告を入れる。すかさず回避できない直撃弾をアカやメキが対処する。


『ちょこまかと動きますねぇ。魔法で潰されるのが嫌なら、直接、私の手で叩きつぶされたいのですか?』


 もう数十秒もかからない距離まで接敵したとき、黒い魔人もまた動き始める。極太い右腕が丸太のように振り回され、超弩級爬虫類型マキノスクスを上から打ちつけようとした。


「こいつを舐めてくれるなよ」


 ノルソンの声に共鳴するように、超弩級爬虫類型マキノスクスは即座に進路を変える。落とされた腕を紙一重で回避して、鋭利な鱗で覆われた胴体を真横から擦りつける。その間に、翼を広げたアカが飛び立ち、跳躍したメキが魔人の体に乗り上がっていく。


(――っ! 私も、戦いに行かないと……)


 なんとか二人に続こうとしても、揺れが強すぎて立ち上がれない。せいぜい、鋼鉄の背中をい回ることぐらいしかできなかった。それでも近付いた黒い巨腕に乗り移ろうと、カナリナはよろよろと両腕と二本足に力を込める。


 それから辛うじて姿勢を崩さずに立ち上がって、呼吸をゆっくり整える。一歩でも踏み出せば、もう後戻りはできない。全てを終わらせない限りは帰れない。全身の筋肉がいつの間にか強張ってしまっている。恐れと躊躇が両足を鈍らせていた。


(――っ!?)


 そのとき、超弩級爬虫類型マキノスクスが大きく揺れて、カナリナはバランスを崩しかける。強襲甲虫型スカラシルダーに引き戻されなければ、地面へ真っ逆さまになるところだった。


「――っ!? 下手に身を乗り出すなっ! 振り落とされるぞっ! 死にたいのかっ!?」


「す、すみま、せん……」


 強襲甲虫型スカラシルダーにがんじがらめにされたところで、ノルソンの怒鳴り声が飛んでくる。暴れる超弩級爬虫類型マキノスクスの上であるにもかかわらず、平然と彼は駆け寄ってきた。一度だけ視線を魔人のほうへと移したあと、ノルソンはこちらに諭すように話しかけてきた。


「特に怪我はないみたいだな。次は絶対に焦るなよ。全員が生き残れるのが一番良い勝ち方だからな」


「は、はい」


 足を引っ張ってしまったと罪悪感が押し寄せる。足手まといになりたくなくて飛び出そうとした結果がこれだった。


 それでも、焦るなと言われても、何かしなければ自分がいる意味が無い。頭で理解したつもりでも、絶えず焦燥は感じていた。


 遥か高い場所では、アカとメキが魔人と派手に交戦していた。二人と比べても、自分が負担になっている気が拭えない。


『また、同じことを繰り返すのですか? 懲りないですし、単調ですし、面白味もありません。その程度の攻撃では私の身体を貫くことさえ不可能ですよ』


「貴様こそ、我らをいつまで経っても仕留められないではないか。その程度の実力でいちいち喚くな」


「…………うるさい」


 空中機動でアカが撹乱かくらんし、隙ができた場所をメキの一発がお見舞いされる。一方で、しつこく飛び回る二人を追い詰めるべく、黒い魔人はただでさえ八本あった左の多腕を、更に分化させて襲わせていた。一回でも捕まれれば、即死級に近い攻撃が後からやってくることになる触手の包囲網。上空で旋回できるアカはともかく、基本的に足場が必要なメキは窮地に立たされそうだった。


「ノ、ノルソンさん……っ」


「あの子なら大丈夫だ。それよりも俺たちは俺たちの仕事をするぞ。カナリナ、もう一度、衝撃に備えてくれ」


「……えっ」


 いつの間に準備が完了していたのだろうか。主砲の充填が終わった超弩級爬虫類型マキノスクスが大顎を高く傾けていた。開いた牙と牙の隙間が純白の光で輝いている。


目標固定マークロック、撃てっ!」


 何度目になるかも分からない強い震動がカナリナの足元にも伝播した。轟音を立てて発射された光線は、今回は魔人の分厚い腰元を撃ち砕く。


『むぅ――っ!?』


 勢いに押され込んで黒い魔人の胴が浮き上がる。だが、攻勢はそれまでだった。完全に貫くためには時間も威力も足りていない。


 充填分を放ち終えて、超弩級爬虫類型マキノスクスから発射された光は力尽きていった。再び増殖して無傷となった黒い肉塊たちは、何事もなかったかのように八本の黒脚を地につかせる。


「……やはり、うまくいかないか」


 忌々しそうにノルソンが舌打ちする。最大火力を撃ちこんでも、無限に再生する巨体に対しては無力。ほんのわずかな損傷さえ治されてしまう。厳しい表情のまま、彼は魔人を仰ぎ見た。


「硬くはない。だが、再生力が凄まじすぎる。やはり、核を破壊しないことにはどうにもならないな。……危険だが、これから俺は解析のために乗り込むことにする」


「どうやって、するんですか?」


 振り向いたノルソンの義眼は変形していた。肉眼に近い塗装になっている表層が割れて、機械の瞳が剥き出しになっている。塔の中では索敵に使われていたが、こうした場面でも活用できるらしかった。


「魔人の中にある強いエネルギー源を特定する。こいつなら可能だ」


「えっと……、強い魔力に、反応するってことですか?」


「その解釈でも構わない。残りはどうやって登る手段だが」


「て、手伝えると、思います……」


 カナリナは掌の上に、黒い植物たちのツルを生えさせる。魔人の八本ある脚のうちのどれでも一つに引っ掛ければ、簡単に登り綱になってくれる。ノルソンもそれで問題ないようで、頷いて見せた。


超弩級爬虫類型マキノスクス完全戦闘行動開始オートマチックオールデストロイ


 超弩級爬虫類型マキノスクスが自動戦闘を開始する。同時に、カナリナも植物たちを魔人の脚に向けて巻き付かせた。複雑に絡み合った植物たちは網梯子のように下へと垂れた。それをノルソンが登り、カナリナも続いていく。


 一方で、制御の枷が外れた暴獣は、目の前にある黒い脚を噛み千切ろうとして、爪や尾を振るって魔人を攻撃する。今、戻ろうとすれば大怪我を負うのは間違いない。これで退路はなくなった。


(それにしても、は、はやい……)


 不規則な網目を苦ともせず、ノルソンが早くも魔人の腰元まで到達する。一方で、カナリナは足を引っ掛けてばかりいた。魔物化で身体能力は上がっているはずなのに、運動が苦手であることは変わってくれていないらしい。


 やっとの思いで網梯子を登りきった頃には、ノルソンは次の足場を探して跳躍した後だった。いくつか別の脚の根元に移った彼は、険しい表情のまま、上空の戦いへ視線を移している。


 アカが広範囲に渡って炎を解き放ち、メキも無数の触手を手刀で切り裂いて突破していた。こちらへ注意が向かないように、二人ともしっかりと惹き付けてくれている。


「――カナリナ、この場所で強い反応は発見できなかった。上も調べたいんだが、植物を伸ばしていくことはできるか?」


「……やって、みます!」


 そう勢いよく答えたものの、巨大な胴回りには引っ掛かりになりそうなものが存在しなかった。ダメもとで植物たちを放ってみても、予想どおり全てのツルが下へと落ちてしまった。


(…………)


 飛ばせる場所がない。目で確認しても、網梯子を引っ掛けられそうな場所は見当たらない。一応、かなり高い位置に魔人の腕の付け根があるが、そこまでは届く気がしなかった。


(もう、網梯子は使えなさそう……。でも、それ以外の方法は……)


 あるにはあった。だけど、魔人に気付かれる可能性が高くなる。それに自分の力がどこまで通用するかも分からない。実際のところ、博打に近かった。


(それでもやるしかない……)


 自分の手に黒い植物たちの根をわせる。一か八かの手段だった。植物たちが勝つか、魔人が勝つか。たとえ負けるにしても、ほんの少しでいいから、上への道を切り開いて欲しい。


 祈るように目を閉じて、カナリナは腹を括った。それから勢いのまま、魔人の外皮に植物を生やした手を押し当てた。すかさず棘のように鋭い根茎が、魔人の体内に侵入する。上方向へ伸びた根っこが、黒い肉塊を突き破って新芽を出す。そこから新たな枝葉が繁殖する。


「――ノルソン、さん!」


「すまない、助かる!」


 跳び上がった青年を補助するように、黒い植物たちは新たな根を伸ばし、更なる草木を茂らせる。一方で、黒い魔人の肉体も、体内に埋め込まれた根を拒絶して、外に押し返そうとしていた。


(――うっ)


 力を使いすぎているせいで急な眩暈に襲われる。だけど、止めるわけにはいかない。ここで失敗したら、魔人を倒せなくなってしまうかもしれない。この際、自分はどうなったっていい。


 全ての感覚を駆使して、侵攻していく黒い植物たちに根茎を伸ばさせる。自分の手足と錯覚するくらい集中して力を注ぎ込んでいった。ノルソンは着実に上へと登っている。このまま上手くいけば、魔人の弱点を見つけることができるはず……。


 だが、幸運は長くは続かなかった。


『……どうやら。なにか、こそこそと企てていたみたいですねぇ……。邪魔なので排除させてもらいましょうか』


「――っ!? カナリナっ! そこから離れろっ!」


 ノルソンが脇の下あたりまで到達する段階で、魔人はカナリナたちを発見していた。急いで放たれたノルソンの怒声も、完全に集中しているせいでカナリナには聞こえない。そもそも周りの状況さえ、彼女には見えていなかった。


 魔人の左腕が触手となってカナリナに向けて伸ばされた。マズいと感じたノルソンが足場を離れて抜剣するが間に合わない。


(あれ……?)


 不意にカナリナも違和感を覚えて、今の状況を知った。自分の右手首の先が、魔人の肉体に埋まりこんでしまっていた。引っこ抜こうとしても動かせない。身の危険を感じたときには、すでに手遅れだった。


 黒い触手たちはどろりと溶け合い、巨大な蛇の口に変化していた。大きく開かれた口はそのまま少女を丸呑みする。


「――くそっ!」


 降り立ったノルソンが紫閃を伴って、触手たちを一部両断した。だが、カナリナを呑みこんだ触手には、ギリギリのところで回避されていた。


「――伏せなさい!」


 遠くから聞き覚えのある声を耳にして、青年は素早く身を屈める。その直後、遠距離で発射された真っ白な魔力の奔流が、青年の頭上を通り過ぎていった。狙った先はカナリナを呑みこんだ腕。しかし、他の腕たちに阻まれて、消滅の光は最後まで届かない。


「……来たか」


 あと少し早く来てくれていれば、とノルソンは小さく呟く。超弩級爬虫類型マキノスクスの背中には、二体の強襲甲虫型スカラシルダーと、もう一人の影があった。先ほどの攻撃を外した彼女は悔しそうに顔を歪めている。


 ようやく目覚めた結界の賢者は、巨体をそびえ立たせる黒い魔人を、憎悪を込めるように睨みつけていた。

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