第98話 賢者は魔人と交戦するⅡ

 極限まで引き伸ばした業火をルーイッドは一気に振り下ろす。燃え盛る炎で形作られた巨剣が、魔導士姿の黒い魔人を襲う。しかし、見た目こそ派手だが、動きは目で捉えられるほどの単調な攻撃が当たるはずもない。


「雑な攻撃ですねぇ。ただの力任せが私に通用するともでも?」


 嘲笑混じりに上から目線で黒い魔人があおわめく。炎剣の軌道は完全に見切られていた。だが、そうやって余裕を浮かべてくれるほうが、ルーイッドとしては有り難い。


 突如、巨大な剣として伸びていた燃え盛る炎たちが、形を崩して周囲へ拡がっていく。降りかかる炎の雪崩には、ただ剣をかわそうとする動きでは、もはや対処できない。


 獲物を捕らえる網として放たれた爆炎の奇跡が、浮遊していた黒い影を呑みこんでいく。意思を持つ炎は渦となり、轟音を伴って激しく回転する。


「もし魔法だったら、封じるなり力を奪うなりして防げるんだろうけど、この炎は魔力で生み出されたものじゃない」


 最初から魔力を封じる空間なんて造りだすから、逆にルーイッドは有効打しか使えない。事実、黒い魔人はこちらの炎を躱したり、相殺したりして、まともに受けようとしてこなかった。


 いけると確信したルーイッドは一度、空中で姿勢を整えて、再び爆炎と共に跳躍する。そして、炎の渦に呑まれた影に向かって加速した。


「――このまま斬られろっ!」


「火加減が弱いですねぇ。残念ですが」


 振り抜こうとした瞬間、ついに魔人を囲んでいた炎が破られる。展開済みの白い魔法陣を見せて魔人がわらった。気づいてルーイッドは僅かに顔をしかめる。


 防御用の魔法ならまだ良かった。しかしルーイッドに向けられているのは、もはや何度も見ている消滅の魔法陣。当然、直撃すれば無事では済まない。


「――くっ」


 手負いになる覚悟でルーイッドは、その場で爆炎を炸裂させた。至近距離で生じた爆風は消滅の魔法陣を破壊する。だが、同時にルーイッドも吹き飛ばされて、壁に叩きつけられた。


「その程度で防げるとでも? 甘いですねぇ」


 壊した傍から複製された魔法陣たちが、黒い魔人の正面を埋め尽くす。数十もの円陣がルーイッドを囲んで光を零した。


 いったいどれほどの魔力をつぎ込めれば、ここまでの魔法を同時に行使できるのか。その数は既に、膨大な魔力を行使できるはずの賢者すら超えていた。


「それでは、いい加減に終わりにしましょう。ここまですれば、回避できないでしょうしねぇ」


「…………確かにね」


 階段まで落ちていたルーイッドは少しよろめきながらも、黒い魔人を見上げる。天を埋め尽くすほど大量の白い円陣は、ある意味で壮観だった。


「ふふ、早くも諦めましたかね。貴方も意外と良い能力をお持ちですが、残念ながら今は他を優先しているのです。仕方ありませんので、ここで死んでいただきましょうか。まぁ、その剣については興味深いので、後で回収させてもらいますがねぇ」


 圧倒的な力の差を前にして、こちらが成す術無しと思っているとでも考えたのか、大きな余裕をもった黒い魔人は聞かれて無いことを饒舌に語り出す。だが、ルーイッドの目は群がる白い円陣など見ていない。


 がら空きになっていた黒い魔人の懐で、忍び寄っていた虹色の粒が強い輝きを放つ。


「ついにやってきたよぉー! 秘密兵器的なアタシの出番っ!」


(何で叫ぶんだ、あの馬鹿!?)


 突然、第三者の声が近くからしたことで、黒い魔人が驚いたように自分の首下へ視線を向ける。隠れるのが得意な妖精は、とっくに腰元まで近付いて、虹を宿した手を突きだしていた。


「ふむ。いつの間に?」


「ひゃい!?」


 見つけられたアルエッタは、即座に薙ぎ払われて、情けない悲鳴を上げる。だが、触れた時点で彼女の仕事は完了していた。あとに残った虹色の輝きは、まるで生き物のように魔人の腕に絡みつく。


「なに?」


 徐々に形を崩していく自分の腕に、初めて黒い魔人は動揺をあらわにした。引火して燃え広がるように、虹の光はしだいに包み込む範囲を増やし、より強い輝きを放って、黒い魔人を呑み尽くそうとする。


「これはいったい? どういう理屈で私の身体が? 略奪の力が通じない」


 言葉遣いこそ穏やかであるが、その様子に余裕はない。黒い魔人が腕を振ろうが、身をよじろうが、虹色の光は決して逃がそうとしなかった。徐々に肉体を消失させていく敵を見て、ルーイッドは少しだけ安堵しつつも答える。


「さあ、何の能力なんだろうね。一つ教えるなら、アルエッタの浄化はバリエラよりもずっと強力だよ」


「……どうやら、警戒するべき相手を間違えましたか」


 数分もしないうちに黒い影は光に呑まれる。流石に観念したのか、もだえていた魔人は動きを止めた。その中では人型を保っていられないのか、見る見るうちに姿は小さくなり、燃え散るように消えていく。


「ふム、油断は大敵ですネ……」


 最期に壊れた音声だけを残して、黒い影は虹色の輝きの中で消失した。跡形には何も残らない。消え行く様を最後まで見届けて、ルーイッドはやっと大きく息をついた。


「ありがとう。助かったよ、アルエッタ」


「ふふん、アタシの実力を見たか! もっと褒めていいんだからね!」


「ああ、今回は素直に褒めるよ」


「いえぇーい!」


 歓声を上げたアルエッタは調子に乗って、壁を一周するように大きく飛び回る。その様子を見ながらルーイッドは、壊れた石階段にゆっくりと腰を下ろした。いつもならやかましいので止めるところだが、今は好きにさせといた。


 最後はアルエッタに任せたものの、ルーイッドも実のところ、ここまでうまく決まると思っていなかった。むしろ賭けに近かったのだ。


 アルエッタ自身には戦えるほどの実力はない。能力についても未知の部分がまだまだ多い。更にいえば、潜伏が成功したこと自体も、魔人に油断がなければ有り得なかった。


 気づかれたら奇襲は失敗し、成功したとしても、どれほど効果が発揮されるか分からない。今になって考えても確率は高くない。


 それでも彼女に賭けたのは、黒化したレイラから魔人の力を除いたのが、アルエッタだからだった。離れた分体に対して有効打になるなら、本体にも効くだろうと思って連れてきたが、まさか魔人そのものを滅ぼすとは思っていなかった。


「はっはっはー! アタシを舐めるからこうなるのー」


「君自身は、軽く払い飛ばされていたけどね」


「なんか言ったー?」


「何でもないよ」


 もちろん、アルエッタ自身は攻撃に脆い。そのため、どうやって接近するかという課題は必ず付きまとうことになる。だが、ここまで凄まじい力を持っているなら、魔王討伐でも強力な切り札になるに違いない。


(まぁ、そこらへんは後で考えることにして……)


 勝利に浮かれて飛び回る妖精を呼び止め、賢者は次の行動に移ることにする。ここが敵地だということを忘れてはならない。


「そろそろ僕らも、どうやってミドたちを追い掛けるか考えよう。流石に何もしないわけにはいかない」


「えぇー」


 せっかくの勝利に冷や水を浴びせるなとでも言うように、妖精は口を尖らせて駄々をこねる。空中にもかかわらず器用に手足を動かしてジタバタする様は、ちょっとした曲芸になっていた。


「もうちょっと休もうよぉー! だいたい今からじゃ、絶対ミドたちに追いつけないってばー。これから穴掘りとか絶対無理ぃー」


「やり方は今から考えるよ」


 嫌だ、疲れたぁーと叫んだアルエッタに対して、ルーイッドは首を振って却下する。地下深く潜ったミドたちに追いつくのは難しいが、何かしらの手助けはしたかった。ここでバリエラが救出されるまで、ただ待つことはできない。


 魔法が使えれば、いくらでも手段は考えられるが、残念ながら魔力が戻る気配は無かった。強化の奇跡が使えるだけでは、ルーイッドは少し頑健で力の強い人間と大差ない。


「というか、せっかく敵の大将を倒したのに、急ぐも何も無いってばー。あの黒い魔人なんでしょ? この塔の親玉って」


「間違いなくそうだと思……うん?」


 言われて同意しかけて、ルーイッドはふと違和感を覚える。よくよく考えてみれば、少しだけおかしい。塔の管理者を倒したなら、封じられた魔力が戻ってきてもいいはずだった。


「――アルエッタ、まだ終わっていないかもしれない」


 頭をよぎった嫌な考えに思わず軽く身震いした。そういえば、とルーイッドは少し記憶を掘り起こす。辛うじてカナリナから聴取できた情報と擦り合わせをしてみても、先ほどの魔人は特徴が該当しなかった。


 そもそもの話、自我を取り戻したばかりのカナリナからは、あまり情報を聞き出せていない。魔物の意思に支配されていたという事情だけに、仕方のないことだが、直近の出来事になるほど記憶の混濁が激しくなっていた。そのため、ルーイッドたちが聴取できた内容に、大切な情報が抜け落ちていたとしても全然おかしくはない。


 その悪い予感に応じるように、唐突な揺れがルーイッドたちを襲う。低い音できしうなる石壁に、緊迫と警戒が募っていく。


「流石は賢者ですねぇ。私を一人倒すだけでも非常に大きな功績です」


 声は天井から響き伝わってきた。先ほど倒したはずの敵と、全く色の違わない肉声が降ってきた。


「アルエッタ、もう一度いける?」


「……えーっと、ちょっと充電したいかなー?」


 上の石壁に貼りつく面長の黒い胴体。見上げた先に居るのは竜と見間違うほどの巨大な蛇。そして、その頭部に絢爛けんらんな衣装をまとった鉄仮面の黒い魔人が座している。大斧を肩に乗せた魔人は、静かにルーイッドたちのところまで降りてくる。


「さて、次は先ほどのようにはいきませんが、貴方たちにまだ戦う力は残っているのですかねぇ」


 一体倒しても終わりでない。戦いはまだまだ続くと宣告するように、黒い魔人は大斧を向ける。やるしかないと腹を括った賢者は、再び炎の剣を抜くのだった。

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