第85話 賢者は再び招かれる

「――!?」


 歪んだ空間を突き進んだ先にあったのは黒い大広間だった。広さは兵士の演練場ほどはあるだろうか。見える限りの壁も床も、わざわざ塗料をぶちまけたのかと思うくらい黒一色で固められている。


 そして、高い天井の縁には、原理は分からないが、白く光る鉱石のようなものが埋め込まれていた。おかげで視野は問題なかった。だが、いったい何のための広間なのか、皆目見当がつかない。


「カナリナ、いるわね?」


「はい……」


 手を繋いでいるままだから当然のことながら、後ろにいるカナリナから返事が来た。だが、声にどことなく力が入っていない。振り向くと、彼女は痛みを我慢するように頭を押さえていた。


「ちょっと、大丈夫なの?」


「頭、痛いです……。この部屋、なんかおかしいです……」


 黒い部屋には、おそらく調度品というわけではないだろうが、いくつか物が置かれている。特に目立つのは、部屋の中央に配置された巨大な杯だった。何かのオブジェなのだろうか。下から見上げる形になるので、その黒色の容器に何が入っているのかは分からない。


 さらに壁際には、見覚えのある黒い繭が棺のように大量に並べられていた。バリエラは軽い吐き気を覚えた。


「何なの、この部屋?」


「わ、分からないです。……でも、なんだか、声がします」


「声? 聞こえないけど」


 バリエラが耳を澄ましても何も音は聞こえない。そういえば、こういうことが何度もあった。探索の時もカナリナのほうが度々、音に反応していたような気がした。


「……多分、私の耳が敏感になっているんだと思います。閉じ込められてからですけど、なんだか少しずつ遠くの音が、耳に入るようになってきたんです」


「そうだったの……」


 ため息ではないが、それに近い小さな息が思わず口から漏れる。魔物化の作用としか考えられない。カナリナの身体の構造が変化するにつれて、徐々に知覚にも影響が出ていたに違いなかった。


「あと、この黒い空間に入ってから、より音が聞こえるようになった気がします。あの黒い塊から声が聞こえてきて、……気持ち悪いです」


「それって、その人たちはまだ生きているってこと? 助けられるなら助けるけど……」


 確認のために問うと、カナリナは大きく首を横に振る。


「やめた方がいいです……。聞こえるのはうなりやうめきばかりで、助けを求める声すらないです。多分、手遅れだと思います」


「つまり、もう復魔兵になってるのね。じゃあ、逆に刺激して起こしたらマズいか」


 だが、このまま何もしないわけにもいかなかった。全体を見渡しても、この場所には出入り口が存在しない。完全に扉のない隔離された空間だった。歪んだ空間に入ってしまえば、どこに飛ばされるか分からないと聞いていたが、まさか断絶された場所に出るとは思わなかった。


「脱出優先ね。魔法で壁をぶち破るから少し我慢してて。カナリナ」


「……頑張ります」


「――できますかねぇ」


 突然、横槍を入れてきた邪気を含む声に、バリエラは思わず周りに目を配らせる。聞きたくなかった声に心臓が跳ねていた。


 例の魔人の姿はどこにも見つからない。部屋そのものが黒いせいで、姿が同化しているのかもしれなかった。だが、声は確実にした。そして、先ほどから魔人以外にも複数の声がしている。広間の隅に並べられた繭たちが、おぞましい唸り声をこだまさせていた。


 その声と同調するように、カナリナが苦悶で顔を歪める。何も言わずにバリエラは、カナリナを守るように前へと立ち、両手に魔法陣を展開した。


「おや、気が変わりましたか? それではどうしますかね?」


「どこにいるのよ……」


 丁寧な声色で嘲笑うように人を試すような話し方に、自然と眉間にしわが寄る。ただの怒りでも恐怖でも憎しみでもない、激しい拒否感が胸の中に渦巻いていた。


「怖い顔をしますねぇ」


 不意にカナリナが怯えたのが伝わった。先ほどよりもハッキリと声は近くからしている。それからハッとして、バリエラは目の前の床が水面のように波立っていることに気が付いた。


 ばれましたか、という声が響く。同時に、黒い魔人が浮き出るように姿を現す。鉄仮面の顔面は変わらずだが、服装は貴族の服ではなく、魔法士が好んで着るローブに近かった。最初に見せていた王冠もない。最初と異なる姿にバリエラは警戒しつつも口を尖らせる。


「もしかして、気分転換のつもり? けど、あんたには似合わないわよ、その姿も」


「ほうほぅ。それは残念ですねぇ。ちなみに、前の格好の私もまだ存在しますよ。こちらをどうぞ」


 黒い魔人は片手を右へ指した。その瞬間、右側の黒壁が急に白い光を放って明るくなる。そうかと思えば、壁には戦いの光景が映し出されていた。


「は……?」


 それは不可解な映像だった。その光景の中には、例の復魔兵が生み出される部屋で戦うノルソンたちがいる。新しく生まれた復魔兵たちや、蛞蝓なめくじに似た巡回の魔物たち、その他にも、あの広間の奥に鎮座していた巨大な黒蛇も牙を剥いてノルソンたちを襲っていた。だが、それだけならば特段に驚くようなことはない。


 映像へのバリエラの視線は、あの赤褐色の部屋に置かれた玉座のほうに注がれていた。そこには何故か、眼前にいるのと姿以外は同一の魔人がゆったりと腰かけている。


「どちらか偽物ってこと?」


「いえ、残念ながら、私もあちらも本物で間違いないですねぇ」


「意味が分からないんだけど」


 目の前にいる鉄仮面をした黒い人型。そこから感じる禍々しい力はまさしく魔人のものだった。だが、同じ存在が別の場所に全く同時にいることなんてあってはならない。有り得るというのを信じたくなかった。だが、黒の魔人は告げる。


「私はいくらでも分裂できるのですよ。別に一つを倒されたところで、いつでも復活できるのです。……あそこにいる二人も頑張りますね。今まで散々、邪魔をしてくれましたが、それもここで終わりです。いずれ、彼らも力尽きて倒れることになるでしょう」


「そんなの、ズルすぎるでしょ……!」


「もしかして、彼らの心配でもしているのですか? おかしなこと言いますね。別れたのは貴女のほうからでしょうに。勝手に分断してくれたおかげで、私も招待するのが楽でしたよ」


「……っ」


 そうじゃないけど、そうだった。痛いところを突かれ、バリエラは口を閉ざす。純粋に性格が悪い。ずっと自分たちが迷宮を彷徨さまよう姿を観察していたらしかった。そして、バラバラになった瞬間、ほくそ笑んだに違いない。


 ニャアイコのことで気が動転していたというのもあるが、ノルソンたちから逃げ出したのは完全に悪い判断だった。


「わざわざ自ら危機を作ってくれて助かりました。邪魔者の始末もできそうで私は気分がいいです」


 どういうわけか、なかなか罠に引っ掛からないのですよね、と魔人は不思議そうにぼやいた。バリエラからすれば、そんなの当たり前だった。この世界の物でない技術でノルソンたちは探索している。この世界で生まれた魔人に仕組みが分かるはずがない。そんな仲間とバリエラは喧嘩別れするような真似をしてしまったのだった。


 俯いた賢者に対して、鉄仮面を被った魔人は満足そうな声で話す。


「さて、それはそれとして、この私も自分の仕事をしなければなりませんね。といっても、私は貴女にお願いするだけですが」


「なに馬鹿な事を言ってるのよ……」


 聞くまでもなく従うつもりはない。しかし、そんな思いとは裏腹に、魔人は想定の斜め下の提案をしてきた。


「自分からあの杯に身投げしてもらえませんか?」


「……本気で馬鹿にしてない?」


 魔人が軽く指を鳴らす素振りをする。パチンという音もしなかったが、広間の中央にあった巨大な杯のオブジェの手前で、勝手に床が隆起して階段ができあがっていく。ここから上がって落ちてね、という馬鹿正直すぎる誘導が見え透いた。


「いえいえ、意外と悪い話でもないと思いますよ? 少なくとも貴女にとっては」


 鉄仮面のせいで魔人の表情は変わらない。だが、もしも仮面を被ったりしていなければ、非常に意地の悪い笑みを浮かべていたに違いない。そう確信できるほど、堂々とした態度で魔人は賢者を嗤った。


「これでも何度も人の絶望を見てきましたからねぇ。私には分かるのですよ。あなたは既に絶望している。無力感に打ちひしがれ、救いは無いと諦めてしまっている」


「残念ね。私はまだ、諦めてないわよ」


「そうでしょうか? 実際は諦めていないをしてるだけではないですか? 実際、貴女はあの二人に現実を突きつけられ、ただ逃げてしまった。分かっていたのでしょう? 彼らの言う通り、見捨てるしか方法が無かったことに」


「うるさいわね! 黙らないなら、その仮面を焼いてやるわよ」


 血が頭に昇りかけて、魔法陣から小さな火が噴いた。制御を欠いたことで起きた小さな誤爆だった。


「あそこから落ちれば、あなたは今の苦しみから解放される。もう絶望も悲しみもない無へといざなわれる。それはそれで魅力的ではないでしょうか?」


「――ふざけんな!」


 魔人へ向けた魔法陣から今度は正真正銘の爆炎が放たれた。誤爆でない本気の爆炎魔法。燃え上がる炎の手は、部屋を紅くして全て呑みこむ。しかし、まともに受けたはずの魔人の身には、それでも傷が一つなかった。それどころか気にすら障ってないように、平然とバリエラへ話しかける。


「まだ、お気に召さないですか。では、辛い現実を忘れるための幻も見せてあげてもいいんですよ。実際、水の勇者もそれで大人しくなりましたし」


「レイラ様のことまで侮辱するな!」


「なるほど、駄目ですか」


 いったい、どれほど本気で口にしているのだろうか。たとえ自分の身が砕け散ったとしても、この魔人にだけは従いたくない。


「まったく聞き分けが悪いですね。聞き入れたほうが、お連れの方にとっても良いでしょうに」


 黒い魔人はわざと大きく派手な溜息をする素振りした。その揶揄にバリエラは激怒した。


「カナリナが苦しんでいるのも元を正せば、あんたが元凶でしょうが……!」


「それはその通りですねぇ。ついでに言うと、この部屋は特に瘴気が濃い。他の場所より魔物化は進むでしょう。今さら言ったところで手遅れですが」


「……っ」


 ここに飛ばされる直前に、浄化の奇跡でカナリナの魔物化は抑えこんでいたはずだった。しかし、それほど経っていないのにカナリナは症状を訴えている。この部屋は何かおかしいと。


「…………」


 そして、更なる違和感に気づく。自分のことを指摘されているにもかかわらず、背後にいるカナリナから一切の反応が無かった。嫌な予感がして賢者は後ろを一目見る。


(――――っ!?)


 ほんの少し振り向いただけで見えた黒い棘。槍ほどの長さがある大量のそれらが黒い床から植物のように生え出ている。そして、棘の穂先は全て少女に向けられていた。


「――カナリナ?」


 左右および背後から大量の棘で串刺しにされた小さな少女の肉体。声を絞り出せないように喉にも太い棘が突き刺さっている。赤い鮮血と魔物化で変質した黒い血液が混じり合って、それぞれの傷口から流れ続けていた。


 賢者は起こっていることを信じられぬまま少女を目視する。床から何かが突き出た音などしなかった。カナリナが不用意に動いていることもなかった。それにもかかわらず、バリエラの目の前で、少女は凄惨な姿を晒していた。


「さあ、治してみたらどうです? 悲鳴を上げることすらできない死にゆく少女へ、貴女は何をするのでしょう?」


 混乱と衝撃で固まった賢者の顔を見て、黒い魔人が嬉々とした声を上げる。その動かない鉄仮面の内側で、残酷さと残忍さを含んだ笑みを漂わせていた。

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