第70話 賢者は少女を連れる

 先が見通せない暗い廊下を光で照らしながら、バリエラとカナリナは奥へと進む。巡回する魔物に遭遇することもなく、ひたすら二人の足音だけが通路に響いていた。それ以外は牢に閉じ込められた魔物たちの唸り声が聞こえるのみ。


 少し不気味だった。カナリナがいた牢屋を破ってから暫く経つ。巡回の魔物たちが探し回っているはずだと思いつつも、通路の奥からで何かが待ち構えているということもない。


 カナリナがいた牢の近くの分岐を除けば、ほぼ一本道。追っ手がいるとすれば、行き違いは有り得ない。扉や階段の類も見かけなかった。


「意外と気づいていないんじゃないですか?」


「それは無いと思うわ。どこかで待ち伏せされているか、監視されているか……」


「………………!」


 驚くようにカナリナが、慌てて左右交互に目をやる。だが、今のところ目ぼしいものは何もない。両壁には牢屋が並び、閉じ込められた魔物たちが退屈そうにしている。通り過ぎるバリエラたちに興味を示しているようでもなかった。


 それでも警戒と緊張を緩めることはできない。ひたすら歩き続けて二人の表情に疲れが浮かぶ。いつまで経っても同じような牢が続く道。永遠に同じ場所が続いているような錯覚に陥りそうになる。


「……バリエラさん」


「なに?」


 振り返ってみるとカナリナが立ち止まっていた。彼女は両側の壁にある牢を交互に見ている。


「この牢屋、どちらも派手に壊れてます。な、何かあったのかも……」


「……気づかなかった」


 暗闇ゆえに見え辛かったのか、それとも精神的に疲労が溜まっていたのか。完全に見落としていたとバリエラは内省する。改めて両側の牢部屋に目を向けると、どちらの扉も派手に破られていた。片側に至っては、もはや部屋の奥にも大穴が開いてしまっている。


 まるで、片側の牢から何者かが光線のような何かで、向かいにあったものを全て吹き飛ばしてしまったかのような…………。


 状況に既視感があった。


「……ここ、私が閉じ込められていた牢屋じゃない」


「これ、バリエラさんがやったんですか?」


 そのとき、ぶちょりという奇妙な音がどこからか響く。


 背後に何か落ちたのかと思い、振り向くと天井から光る塊が床へと落下していた。ちょうどバリエラとカナリナの間に落ちた塊は、急に肥大し、ナメクジのような胴体を出現させる。


「――ひゃ!?」


 突然、現れた巡回の魔物にカナリナが悲鳴を上げる。魔物は間違いなく彼女めがけて触手を伸ばしていた。だが、触手が伸びきる前にバリエラも驚いた声を上げながら、拳を振りかざす。


「いきなり出てくるなっ!」


 風魔法をまとった腕が光る苔で覆われた軟体を横殴りする。無言詠唱である故に、威力が弱めだが、それを差し引いても余りある賢者の膨大な魔力が強い衝撃を生み出す。


 結果として、巡回の魔物は紙切れのように吹き飛ばされ、片側の牢の壁に叩き潰された。自分がしでかしたことに冷静になり、バリエラは軽く横髪を掻いた。


「……ちょっと思っていたけど、弱いわ、この魔物」


 三匹がかりでさえ、閉じ込められていた角の魔物すら抑えられなかった巡回の魔物たち。軽い魔力の暴発だけで吹き飛ぶとはバリエラも思わなかった。


「えっ……、えぇ……」


 腰を抜かして派手に尻餅をついていたカナリナが、呆然と声を漏らしている。驚いているのは魔物の奇襲か、バリエラの一撃か、この状況ではどちらとも捉えることができた。


「えっと、大丈夫?」


 心配したバリエラが手を差し出すと、カナリナは慌てたように自分で身を起こす。服の裾を伸ばし、乱れた服装を丹念に直していた。


「だ、大丈夫です」


「……本当に?」


 暗さゆえに分かりにくいが、微妙にカナリナの顔が青褪めているような気がした。


「やっぱり、あの魔物、私を食べようと」


「もういないから安心して」


 それから、しばらく錯乱したカナリナを我に返らせるのに時間をとられた。



 ◇ ◇ ◇



「あの、初めて見かけたときから、どことなく凄い人だと思ってたんですけど、バリエラさんって何者なんですか? あの牢屋の破れ方、凄かったです」


「あれくらい経験を積んだ冒険者ならできるわよ」


「閉じ込められて、あんなことできないです。穴まで開いてましたよ」


「………………」


 怯えた状態から一転して、カナリナから好奇心に満ちた声が響き渡る。自分を襲った魔物が撃退されたのがきっかけで、不安と恐怖が薄れたらしい。それ自体は良いことだが、反動でカナリナは饒舌になっていた。


「脱出を試みる人は結構いるんじゃない? こんなところに閉じ込められて正気を保つほうが難しいわよ」


「確かに、出ようとする人はいるかもしれないですけど、普通はできないです。ここにいると魔力を吸い取られるので」


「…………それ、本当に?」


 カナリナはこくりと頷いた。魔法を使うとき妙に体がだるいと思っていたのは、この空間に原因があったらしい。彼女の異様な驚きは、そこからきているようだった。


「あの穴に関しては、いろいろ偶然が重なっただけよ。やりすぎて、ああなっただけだから」


「それでも凄いですって。向かいの牢屋まで大きな穴がドーンって」


「たいした魔法は使ってないわよ。本当に偶然なんだから」


「……そうなんですか」


 質問に対してはぐらかし続けていると一瞬、カナリナの表情が曇った。それから首を振って、しっかりとバリエラのほうを正視する。この人に付いていけば、大丈夫だという期待と信頼が、彼女の瞳に光を灯していた。


「あの、勉強のためにも教えてほしいです。どうしたら魔力を維持できるんですか? 私、見習いなので、まだ魔力制御とか学ぶことが多くて……」


「……見習い?」


「はい、冒険者見習いなんです」


 そうなんだ、とバリエラはひとまず相槌を打った。冒険者関係のことはルーイッドのほうが詳しい。最近、黒い魔物の件があったから調べはしていたが、バリエラ自身は冒険者の制度や実体について、そこまで知っているわけではなかった。


 だが、冒険者の階級に見習いと呼ばれるものがないことは知っている。


「普段はどういうことしているの?」


「えっと、掃除だとか受付票の整理だとか……。他にも手伝ってくれって言われた仕事もやってます。あとは、魔法の勉強くらいですけど」


「……聞いてなかったけど、カナリナって何才?」


「まだ十三です。だから、まだ資格はないです」


「ああ、そういうことね」


 やっている仕事はほぼ雑用。身なりが冒険者にしては小綺麗だと感じたのは、正式な冒険者じゃないからだ。おそらく事情あって見習いとして働かせてもらっているのだろう。意外に将来有望な子なのかもしれない。


 魔法士などの職には、ある程度の素質が必要とバリエラも聞いたことがあった。だから、カナリナのように、予め冒険者組合のほうが人材を囲っているということもあるのかもしれない。


「…………あっ、また戻ってきました。バリエラさん、今度は左に行くんですよね」


 少し先を進んでいたカナリナが二手に分かれた通路を見つけたようだった。当然、近くには彼女が閉じ込められていた牢屋もある。


 この暗い通路は緩やかな円を描いて繋がっている。自分の牢に戻ったときにバリエラは、その事実に気がついた。となれば、カナリナがいた牢の近くの分岐を左に進めさえすれば、この循環から抜け出せるはずだった。


「脱出できるんでしょうか。早く外に出れたらいいのに」


「……カナリナ。言っとくけど、本当に何が起こるか分からないってことだけは覚えておいて。いざとなったら私を置いてでも逃げる。分かった?」


「えっ、……はい」


 期待を見せるカナリナに、すかさずバリエラは釘を刺した。敵地である以上、何が起こるか全く予想がつかない。必ず守れるという保証もできなかった。場合によっては、カナリナ一人でも生き残れるようにしなければならない。


 少し消沈した様子の彼女に、バリエラは励ますように告げる。


「ま、あくまでも最悪の場合よ。そうならないように、あなたにも頑張ってもらうしかない。一緒にいる間は魔法について教えてあげる、学びの場としては最悪だけどね」


「は、はい!」


 緊張を孕ませてカナリナは頷く。その声には魔法を学ぶ者としての意欲も、幼いながらに入り交じっていた。


 前方を警戒しながら、自ら先導してバリエラは左の通路へと進む。カナリナも一瞬、不安そうに立ち止まったものの、バリエラを追い掛けるように通路へと入っていった。暗闇はまだ続きそうだった。

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