第69話 賢者は闇で巡回する

 破壊された牢屋の奥には、先の見通せない暗闇が広がっている。牢の近くに転がる巡回の魔物たちは、まだ気絶しているのか、バリエラが近づいてもピクリとも動かなかった。


(とりあえず、ここから出ないといけないわね)


 想定外だったものの、牢が破れた以上、脱出できる機会を逃すわけにはいかない。とりあえず、あれほどの騒ぎがあった以上、他の巡回たちがやってくるより早く、この場を離れてしまわなければならなかった。


 自分の牢から出たバリエラは、真横へと続く暗い通路に交互に目をやる。どちらへ進むとしても灯りがなければ、まともに動けないほどの暗闇だった。


「我は光を信じる者。光よ、周囲を照らせ。………………」


 迷わずに魔法を行使し、松明のような光を闇の中に浮かべる。少し闇が和らぎ、薄暗い道がバリエラの目の前に現れる。分厚そうな赤茶の土壁が真っ直ぐ伸び、一定の間隔で石格子の牢屋が並んでいた。


 ためしに牢の一つに近付くと、そこは無人だった。他を調べてみても、たいていは無人か、もしくは眠った魔物が収容されているかのどちらかであった。


(……この近くで閉じ込められていたのは私だけ、みたいね)


 牢に閉じ込められていたとき、人の声が別の場所で聞こえていたと思っていたが、想像より距離があるらしい。もしくはただの空耳だったか。ひとまず通路を先に進まないことには分からない。


「………………ぁ」


「――誰?」


 灯りが通路の奥まで照らし出したとき、誰かの声が暗い通路に小さく響く。軽い驚きを覚えながらも、明らかな人の声だと確信し、右前方にあった牢屋のほうへ近づく。


 声がした格子からは蒼白な顔が覗かせていた。


「ぅぁ……」


 あまりの明暗の差を感じたのか、牢の中の人物が顔をしかめた。見た感じ、冒険者の女性のようだった。服装が擦り切れて汚れ、赤茶色の髪はひどく乱れて伸ばし放題となっている。髪で覆い隠されていない右目には虚ろな光が宿っていた。


 助けなければならない。そう思う矢先に、バリエラはある一点に気づく。格子を握る女性の両手に茶色い皺ができていた。まるで、そこだけ急速に老化させたかのような皮ばかりの指に、やたらと鋭い爪が備わっていた。


 奇妙な胸騒ぎを覚えて、バリエラは女性の顔に焦点を当てて明るく照らす。すると、荒れた髪の内側から彼女の左目を露わになった。


「……うっ」


 ほとんど反射的にうめく。女性の髪の内側から眼球のないくぼみが、こちらを見据えていた。抉られたかのような空洞に、腐った紫色の皮膚が周辺に張り付いている。もはや、まともに意識が残っているのかさえ分からない。


「………………」


 生きながら死んでいる。いや、人ならざるものへと変異しているといったほうが正しかった。魔物化した女性を無言で見つめ、バリエラは格子から離れた。あまりの非道さに嫌悪と拒絶が胸の中で渦巻いていた。


 魔物化なんて聞いたことがない。治療も浄化も施しようがなく、諦めるしかなかった。そのとき悪い予感がバリエラの脳裏をよぎる。


 これまでに見かけた牢獄の魔物たち。巡回の魔物を除けば、皆が人型をしていた。


「…………。まさか、牢屋に閉じ込められている魔物たちって、つまり、そういうこと?」


 各地で冒険者の失踪が相次いでいたことが、ここで結びつく。もはや無関係だとは思えなかった。失踪した冒険者が全員拉致されていたのだとすれば、行先は恐らくこの牢獄。


 そして、閉じ込められて何らかの手段で魔物へと変異させられていく。


(探せば、まだ無事な人もいるのかもしれないけど……)


 魔物化していない人間を探して出す余裕があるかと問われれば、無いとしか言えなかった。バリエラもまた囚われの身であることに変わりない。


 照明を小さくし、あまり音を立てぬように通路の奥へと進んでいく。やはりというか、通り過ぎた牢には魔物化したか、あるいは正気を失った人間しかいない。狂気もバリエラの手では救いようがない


 数えきれないほどの牢を過ぎて、バリエラは暗い通路を進んでいく。いつまで歩けばいいのか、本当に出口があるのか、見通せない不安に少しずつ足が重くなる。


 やがて通路が二手に分かれる。どちらも先は暗闇で覆われている。とりあえず、巡回たちが地面を擦って近づいてくる音は聞こえない。悩む時間くらいはありそうだった。


「――左のほうには、行かないほうがいいです」


 唐突な声にバリエラは背後を振り向く。近くの牢からしたようだった。


「――誰? どこにいるの?」


「あの、ここです」


 誰もいないと思って通り過ぎた格子に、小柄な少女が暗い瞳でこちらをじっと見つめている。あまりの存在感の無さに、バリエラは幽霊でも見たかのように目を見開いた。


 冒険者にしては身なりが小綺麗だとバリエラは思った。裾の長い外套とスカートは土で汚れてはいるが、それほど擦り切れていることはない。ただ、長いこと閉じ込められて疲弊しているのか、顔の血色がすこぶる悪かった。


 もしかしたら一般の人なのかもしれない。黒い魔物たちは魔力の素養が高い者を狙って襲撃しているようだった。ならば、冒険者以外を襲っても不思議な話ではない。


「とりあえず、開けるわ。少し下がっていて」


 牢の奥に退いたのを確認して、バリエラは魔法を行使する。小さな爆発とともに石の格子が崩れ落ち、中の少女が後から出てくる。彼女は信じられないものを見るように、自分を閉じ込めていた牢に対して目を瞬かせ、それからバリエラに対して頭を下げた。


「――あ、ありがとう、ございます」


 少しおどおどした様子で、少女がバリエラに対して何度も頭を下げる。暗くて気がつかなかったが、バリエラよりも身長が低かった。


「礼は別にいい。それよりも左の通路に何かあるのか知ってるの?」


 尋ねると少女はかぶりを振った。


「たまに魔物が人を連れていったりしていました。分かるのはそれくらい、です……」


「連れて行かれた人たちはどうなったの?」


 掘り下げて訊くと、少女は難しい顔をして、見たことがないと首を振る。帰ってきたものがいないとなれば、左の通路の先に何があるかは分かりそうになかった。


「ひとまず、右に進んだほうが良さそうね。そういえば名乗っていなかったけど、私はバリエラ。あなたは?」


「カ、カナリナ」


 緊張しているのか、少女は声を上ずらせる。冒険者でなくても、こんな場所にいれば誰だって不安になるので仕方がない。



「分かった。カナリナね。……一応、聞くけど、私と一緒に出口を探す気はある? もちろん、かなり危険が伴うとは思うけど」


「い、行きます。お願いだから連れてってください! な、何でもします!」


 むしろ、置いて行かれてたまるかとばかりに少女はバリエラの裾を掴む。助け出した以上、最初から見捨てるつもりはなかったが、ここまで切羽詰まったようにされるとは思わなかった。


(ここまで懇願されると逆に辛いんだけど……)


 口には出さないが、無事に帰れる保証などない。大丈夫かな、とバリエラは少女を見ながら、そこはかとない不安を覚えた。


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