14 帰還、そして――。

 「ここは――電車の中……?」 


 目を開けてみると、そこは暑苦しい場所だった。

 グラグラと揺れる床の上に立つ人、人、人。あまりに密集した大量の人のせいで、異常なむさくるしさが漂っている。

 プシューッと台車の空気バネから空気が吐き出される音。

 ガタンガタンとレールの継ぎ目を車輪が乗り越える音。

 ウィイーンというモーター音。

 次の駅名を告げるアナウンス。

 ここは確かに、毎朝の登下校で聞きなれた音が響く電車の車内だった。もしかして、と考えた僕はスマホを取り出して日付を確認する。今日は水曜日だった。


 そうか。僕――出月光太は、元の世界に戻ってきたのだ。


 左手はドア脇の手すりをぎゅっとつかんだままだ。いつも通りパンパンに荷物を詰め込んだ重たい鞄を背負って、必死に踏ん張っている。どうやら天使に出会う前の時間軸にちょうど戻ったらしい。そして、天使の声が頭に響くことは、無かった。


 ……やっぱりアヤナは消えちゃったんだ。そう考えて悲しくなったが、そこであれっと気づく。


 


 てっきり、あの失われた4日間のことは忘れてしまうのだとばかり思っていた。でも、僕はアヤナが消える瞬間の彼女の表情を鮮明に思い出すことができる。この世界ではまだ習っていないであろう数学の授業の内容も知っているし、米酢剣師さんの「melon」を聴いたときの感動も忘れていない。

 ――すべて、僕が「観測者」だからなのだろう。この役割を天使に押しつけられた時には面倒だと思ったけれど、今となってはむしろ感謝しなければならない。


 77億の全人類の中で僕だけが知っているアヤナとの思い出を、忘れさせないでくれたのだから。



 いつの間にか3駅目に到着した電車を降りて、人と人の隙間を縫うように進み、改札を抜ける。時間がたっぷりあるわけではない。急がなければ。


  駅の出口を抜けたところにある広場に、女子高生がいた。僕と同じ高校の制服を着ている。その人はきょろきょろと辺りを見回していたが、人をかき分けて歩いてくる僕に気づくと、満面の笑みで手を振ってくる。


 「そんな、まさか……っ!」


 「おはよ!光太くん!」



 ――彼女は紛れもなく、アヤナだった。



 並んで歩きながら聞いた彼女の話によると、彼女は天使という存在ではなくなったらしい。世界を超越した観測者である僕によって創られた“アヤナ”という自我が偶然にも残り、それを容れる器を持つ人間として生まれ変わったのだという。

 異世界転生ならぬ現世界転生か……聞いたことないな。


 「その制服を着てるってことは……」


 「今日から1年4組に転入することになりました、出月アヤナです!前は天使やってました!よろしくね!」


 ツッコミどころ満載の自己紹介だな……。教室でそれをやられるのかと思うと、頭が痛くなりそうだ。


 まあ、いいか。


 今この瞬間だって、夢の中のような気がする。現実感の欠片もない。


 でも、絶対に間違いないことがある。


 それは、今、僕もアヤナも幸せだということ。


 そして、彼女が懸命に創ってくれた“幸せ”は、紛れもなく本当の「幸せ」なのだ、ということだ。


 僕はふと足を止めて振り返って空を見上げた。

 隣を歩くアヤナも、一瞬不思議そうな顔をしたがすぐに気づき、同じように空を見上げる。


 2人で見上げる秋の空は、どこまでも、どこまでも青かった。



<了>

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ここは、天使の夢世界。 結城 彩斗 @pikoma

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