13 世界の、終焉。

 日の出にはまだ早く真っ暗な部屋の中、鳴り響くアラーム音で僕は眠りから引きずり出された。ウーッ、ウーッ、ウーッ、と3回続く特徴的なこの音。間違いない。


 ――緊急地震速報だ!


 ようやく眠気が覚めてきた僕は、床が小刻みに震えていることに気づく。

 僕は今、P波Primary Waveを感じている……などと場違いな感想を抱く暇はなく、自室のドアを開けて避難路を確保。スマホを掴んで階段を駆け下りようとしたところで家が激しく揺れ始め、慌てて階段の手すりにしがみつく。

 「――これはデカイな」

 スマホに目を落とすと、×印がよく見慣れた場所についていた。M7.3と表示されている。

 「嘘……だろ……」


 午前5時27分。首都直下地震が関東平野を襲った。


 震源は天野原市南部。――つまり、出月家の真下だった。



 家族も一斉に起き出してきて、4人で何とか外に避難した。地面の揺れは一向に止む気配がなく、むしろ強くなってきているような気がする。家族全員が無事だったことに安堵した次の瞬間、


 「そんな……」

 茫然自失としているのは我が家だけではない。周辺の住宅はどれも似たような状況になっているのだ。鉄筋コンクリートの家は無事のようだが、それでも壁に亀裂が入っている。少し離れたところに立っている真新しい高層ビル群は、ブルンブルンという擬音語がふさわしいほどに大きく揺れていた。


 ――死ぬのかもしれない。僕はふと、そう思った。でもこの世界は、そんな気持ちにさせる暇さえ奪う。


 ビキビキビキッという音とともに、。裂け目は、僕と残りの家族3人のまさに中間。本能的に後ずさってしまったのが致命的だった。


 「お兄ちゃん――!」

 「光太っ!」


 戻りたくても、どこまでも深く、次第に幅の大きくなっていくその裂け目を前に、両足は震えて動かない。もう、3人の立っている場所には帰れないのだと、僕は本能的に実感する。


 悪夢のようだった。――いや、まさしく悪夢だった。


 そしてそれは、ここだけの話ではないようだ。


 ひっきりなしにスマホを振動させる通知。

 “南海トラフで地震発生、津波のおそれあり”

 “伊豆大島、浅間山、富士山で火山性微動を観測”

 “チリ、アイスランドで地震の兆候”


 そして、次の通知を見た瞬間、僕は凍りついた。

 “鬼界カルデラにカルデラ噴火の可能性”


 「そ、そんな」


 鬼界カルデラ。九州南部に位置するこの巨大なカルデラの底には、大量のマグマがたまっている。カルデラ噴火を起こせば日本列島が壊滅し、1億人が死ぬという想定もあるらしいと、前にニュース番組で取り上げていたのが脳裏をよぎった。


 ――本当に、僕は死ぬのだ。

 違う。僕だけではなく、人類そのものの破滅だ。実感はないが、そうなることはもはや確実としか思えなかった。


 「光太くん。泣かないでよ」


 「え……?」


 白く眩しく、光り輝く天使が、目の前に立っていた。


 「アヤ、ナ……?」

 「私以外、誰がいるのよ。ほら」

 僕は自分の目から涙が零れ落ちていることさえ、気づいていなかった。彼女は白いハンカチを取り出して、僕の目元を優しく拭ってくれる。


 「光太くん」

 「どうした?」

 「一つ……謝らなくちゃいけないことが、あるの。もっとも、もう君にはばれちゃってるみたいだけどね」

 「それって、まさか」

 「うん。私、最初から嘘をついてた。私は天使だけど、万能なんかじゃない。君たちみんなに、都合の良い夢を見させてるだけ」

 「じゃあ、今のこの状況は――」

 「簡単に言えば、バグが蓄積された結果、みたいな感じ。私は物理法則を直接変えられるわけじゃないから、矛盾する“夢”を同時に叶えた時に現実世界との乖離が起こっちゃうの。人間の意識は変えられても、現実は変えられないから」

 「例えるなら、僕は生放送で米酢剣師さんを見ているように思ってるけど、実際には彼の身体は自宅のスタジオにある、みたいなこと?」

 「まあ……そうだね、そういうことだよ」

 アヤナは泣き笑いの顔で言った。


 「だから、こうなることは予想できたはずだった……なのに、私は……私はっ――」

 僕はただ、泣きじゃくる彼女を抱きしめ、頭を撫でた。天使は腕の中で言う。


 「私は、この世界を終わらせなきゃいけない」

 彼女は、もう泣いていなかった。

 でも、彼女の目は寂しそうだった。


 「安心して?この世界が終わっても、誰も死なないから。観測者である光太くんは元の世界に戻れる。この世界で死んじゃった人でも、元の世界では何事もなく生きてる。今起こってる地震も、噴火も、元の世界では起こらない」


 多分、それは間違いない。でも、彼女は一つ、重大な隠し事をしている。


 「ねえ、アヤナ。君は、?」


 瞬間、彼女の顔が歪む。


 「私は……私は……多分、その……消える、んだと思う」

 

 彼女が僕の気持ちを全て理解できるように、僕にだって彼女の気持ちはわかる。人類代表だからでも、観測者だからでもない。


 ――たった今、アヤナの事が、好きになってしまったからだ。

 天使としての最初にあった彼女は、ただただ美しいだけの存在だった。恋愛感情なんてなかった。でも、少しずつ彼女について知る中で――彼女は万能なんかじゃなく、全人類を幸せにするという途方もない重荷を背負って生まれてしまった1人の女性なのだと気づいてしまったことが、僕の意識を変えた。

 

 好きになる理由なんて、単純なもので十分だ。

 

 ――僕は、アヤナに消えてほしくなかった。幸せになってほしい、心からそう思えるほど、彼女のことが愛しかった。


 「私ね、もう一つ嘘ついてる」


 「光太くんを選んだ理由は、君のことを気に入ったからじゃなくて――君のことが好きになった――いや、最初から好きだったからなの」


 「それは……本当に?」


 「うん。私はもともと、“幸せ”を求める人たちの――思いの結晶みたいな、無機質な存在だった。そんな私に、君が自我を与えてくれた。だから、今の私があるのは、君のおかげなんだよ」


 「でも――どうして僕なんかのことが好きに?」


 「いろいろあるけど、やっぱり君が特別な存在だったから、かな。君は、私とは真逆の存在だった。私は光太くんのことだけは、完全には操れないの。何故だかは、わからないんだけどね」


 これで疑問が少し解決した。アヤナは万能ではないんじゃないか、と疑問を抱くことができたのは、僕が天使とは真逆の存在だったために、彼女の制御に抗うことができたからなのだ。

 ――てか真逆の存在って何だよ。まさか……悪魔?


 「悪魔なんかじゃないよ。たまたま私と真逆だった、普通の人。そしてたまたま私に好かれてしまった普通の――でも私にとっては特別な人――それだけだから」


 「私、やっとわかったの。私は……光太くんのことを、一番幸せにしたいんだって」


もう、十分だった。


アヤナと目が合う。

お互いの鼓動を、温もりを、吐息を感じる。


「――幸せって、何なのかな」


彼女は僕を見つめて、問いかける。

僕の答えは、もう決まっている。


「それはね――こうすることだよ」


そう言って僕はアヤナの顔を引き寄せ、彼女の桜色の唇に唇を重ねた。


最初で最後の、口づけ。


数秒の後、彼女は言った。


「今はじめて、幸せって何なのか、わかった気がする」


「そっか。それなら、よかったよ」


 彼女の姿が少しずつ透明になっていく。


 アヤナと過ごしたこの世界は、今、終わろうとしている。


 彼女と会うことはもう二度とできないだろう。それでも、わずか4日にも満たない彼女との時間は本当に幸せだった――僕は、そう自信をもって言い切れる。


 それは夢なんかじゃない、確かな現実だったのだから。


 消えていくアヤナの唇が、何かを呟いた。


 僕にはわかる。

 彼女は最後に言ってくれたのだ。


 ありがとう、と。


 アヤナの姿が消滅すると同時に、パリン、と澄んだ音が響いた。


 世界が、砕け散る音。


 崩れた家も、ひび割れた大地も、倒れた電柱も、ダイヤモンドのように眩く光り輝く粒子となって、空へとどこまでも昇っていく。


 全てが純白の光に塗りつぶされていく。


 僕はこの時、実感した。


 天使の夢世界は終わったんだな、と。


 それが、僕とアヤナの別れだった。

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