12 ここは、天使の夢世界。

 アヤナとはそれから小一時間くらい他愛もない話をして、別れた。

 

 「僕自身の好み通りの姿、か……」

 銀髪碧眼、白い肌にモデルのような長身。日本人らしさのない彼女の姿は、自分の理想の女性像だということになる。だが、そうしたイメージを頭の中で思い描いた記憶は、やはり僕にはなかった。


 「深層心理、ってやつなのかな」

 意識のうち、自覚できるものはおよそ1割だと聞いたことがある。自分の心の奥底には、何か自分にもわからないものが眠っているのだろう。ただ、それを天使が知ってしまうことは良いことなのかどうか、僕にはわからなかった。

 

 家の前に着いた光太は、振り返って空を仰ぐ。 

 この時間ならまだ残っているはずの群青色は、雲に覆われて見えなかった。


 

 ただいま、と言ってドアを開ける。両親は共働き、中学生の妹は部活で、家の中には誰もいない。靴を脱ぎ、階段を上って2階の自室に鞄を置いて、制服からラフな格好に着替える。教科書とノートを取り出して10分ほど机に向かったものの、捗らない。

 ここ数日いろいろあったせいで、疲れているのだろうか。――そんなはずはない。こうしている今も、アヤナは人類を幸せにしようと頑張っているはずだ。今の自分は幸せな状態なのだろう。


 そこで僕はふと、世の中の人は幸せなのだろうかと思った。一応人類代表、しかも天使の観測者だ。かといって特別な能力があるわけでもないが、世間の様子くらいはチェックしてみようじゃないか。

 リビングに移動し、テレビをつける。時刻は午後5時半を回ったくらいだ。テレビを見れば、その内容や出演者の様子で幸せなのかわかると、僕は思った。

 まずはニュース番組。数日まで放送されていたあおり運転や台風の被害、隣国との外交問題やら、彼が見ていて楽しくないような内容は一切報道されていない。平和なようで何よりだ。

 次に民放。幾つかチャンネルを変えてみたが、時間帯もあってか、特に面白い番組はなかった。ただ、出演していた芸人たちは皆楽しそうだった。……職業上の演技かもしれないが。

 最後に衛星放送だが、これが凄かった。

 「うわっ!“COSMO WARS Season3”の一挙再放送だって!?僕としたことが……危なかった。予約、予約っと」

 「えっ!米酢剣師さんがニュージックステーションに出演だと!?――てかあの番組って今まで地上波だったような……」

 なんだこの番組表は。


 ……今、自分は何と思った?


 いや、まさか。いくらアヤナでも、テレビ番組の放送予定を改変する、なんてことはできないはず……。猛烈な違和感に襲われながらも、僕はそれを振り払って部屋に戻った。今度は勉強も驚くほど捗る。

 ――僕はだったから。

 

 数時間して家族全員が揃い、夕食をとった。メニューは僕の好きなメニュー、ハンバーグだ。いつもよりゆっくり、ジューシーな肉の旨みを噛み締めながら食べ終えると、ちょうどニュージックステーションが始まった。前半では、妹の好きなヤニーズ事務所のアイドルが何組か歌った。妹は「あ、私の推しだ!カワイイ〜」とか言いながら、悶絶。僕にはさっぱり理解できない思考回路である。そして後半が、ここ数年で国民的歌手となった米酢剣師さんの待ちに待った特別ステージ……。どれも素晴らしい曲だったが、特に「melon」を聞いた時は、兄妹そろって涙を堪えたほどだ。僕も妹もニワカだが、すでに彼の歌唱力と圧倒的な才能の虜になってしまっている。

 それからスマホゲームをしたり、勉強したりしながら時間を潰し、日付が変わる前に電気を消して、僕はベッドに仰向けになった。


 天使に初めて会った水曜日を思い出す。その銀髪碧眼美少女は、この世界を幸せにするために生まれたらしい。そしてアヤナと名付けた彼女に気に入られた僕は、なぜか人類代表に選ばれ、しかも観測者とかいうよく分からない役割を押しつけられてしまった。

 アヤナ曰く、彼女は万能だ。この宇宙のあらゆる事柄を自由自在に変えられる。しかし、僕の中ではある疑問がどんどん大きくなっていた。


――アヤナは万能ではないんじゃないか?―


 確かに今夜の番組表はアヤナの力で書き換えられたものだ。彼女には高度2万キロを飛ぶ人工衛星だって見えるし、別の空間にジャンプすることもできる。だが、本当に万能なら――いや、本当に人類を幸せにできるなら――


 そしてこの時、僕は気づいた。


 彼女は現実そのものを書き換えているわけじゃない。


 、と。


 それは同時に、こんなことを意味する。


 ――僕たちは、僕たち一人ひとりが望む通りの夢を、アヤナに見せられているのだ、ということ。


 人間が認知したあらゆる情報は脳に送られ、脳で処理される。例えば目の前のハンバーグが実はサラダだったとしても、脳に「ハンバーグを食べている」と思わせれば、僕の目には皿に乗ったハンバーグが映るし、口の中にはデミグラスソースの広がりを感じることができる。そしてこの時、向かい側に座った妹の目には、サラダを美味しそうに食べている兄の姿が映っている。つまりわけで、そこに物理の法則が介在する余地はない。


 ――僕たちがいるこの世界は、天使の夢世界とも言うべき世界なのだから。


 そんなことを考えながら、僕は夢の中のまどろみに落ちていった。

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