11 世界の、理。

 あれからすでに丸二日経って、今日は金曜日の放課後。

 

 結局、アヤナが去ってから大きく何かが変わったとか、何か特別な事件が起こったわけではなかった。

 ちょっと変わったことがあったとすれば、朝起きて食べた朝食が自分の好きな味付けだったこととか、妹がいつもより機嫌よさそうにあいさつしてくれたこととか、ふと立ち寄ったコンビニでとんでもなく美人な店員さんに会計をしてもらったこととか、だろうか。


 「幸せ」とは、思っていたよりも小さくて、温かなものなのかもしれない。

 何気ない日常という野原に咲く、一輪の花。そういうちょっとしたアクセントを、人は幸せと呼ぶのかもしれない。


 「光太くん」

 自分はアヤナに何を期待していたのだろうか。「特別なこと」が起こることを望んでいたのだろうか。――違う。彼女は自分の「本当の気持ち」を知っているのだ。自分自身すらわからない感情を。そしてそれは、きっと何気ないものなのだろう。朝食や妹の笑顔やバイトの店員で満たされる程度の。


 「ねえ、光太くん」

 世の中には僕よりも遥かに苦しんでいて、遥かに幸せになりたいと思っている人がごまんといるはずだ。いじめから解放されたい人もいるだろうし、お金が無くなって路頭に迷っている人も、戦禍から免れて難民となってなんとか今を生きている人もいる。彼らに比べれば、自分のなんと幸せなことか。

 そもそも自分に幸せを願う権利など、あるのだろうか。


 「光太くんってば!」

 「わっ!?アヤナ……いつの間に」

 「さっきからいたんだけど!もう、全然気づかないんだから……」


 左側にはいつの間に来たのだろう、アヤナが立っていた。不機嫌そうに僕を覗き込んでいる。

 「ごめんごめん。ちょっと考え事してて」

 「だから、何考えてるかぐらい、私には筒抜けなんだけどなぁ」


 ――そうだった。彼女相手に隠し事は通用しないのである。

 

 「……私、ちゃんとうまくやれてるのかな」

 「えっ?」

 「――あっ、う、ううん。何でもない」

 小さな声で何かを言いかけたみたいだけど、口をつぐんでしまった。何だか気まずい。お互い黙ってしまった。話題を探さないと……。


 「あ、あのさ……なんでアヤナって天使なのに羽が生えてないの?」

 

 「え?あ、そういうことね!あはははっ!」

 

 「どういうこと?」


 「そう言えば、光太くんにまだちゃんと説明してなかったよね。姿


 ……いや、さっぱり説明になってませんよ?


 「例えばね、向こうから歩いてくる冴えないおじさん。あの人には、私が黒髪ストレートの可愛い妹キャラに見えるの」

 なるほどね。ちょっとわかった気がする。……てか、あのおっさんの性癖暴露されても困るだけなんだが。

 

 「そうそう。つまりね、その人にとって理想の姿に、私は見えているってことなの。だから光太くんの理想の女性像は、銀髪碧眼の白人女性ってこと。ちなみに、見る人によっては、私が筋骨逞しい男にも見えるわけなのです」


 要するに、アヤナは自分の理想を映す鏡みたいな存在なのか?でも、僕はこんなアニメのキャラクターみたいな見た目の女性をタイプだと思ったことは無い気がする。いや、確かに美人だけどさ。


「美人だなんて……ま、まあ、そういうことなの。だから私のこの姿は、光太くん自身の好み通りの姿。自分自身でもわかってない、本当の好み通りの、ね」


「そういうことか」


「うん。だから、光太くんが羽の生えた人を好きなら、私には羽が生えているように見えるんだよ?」

そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。

ドキッとした。 

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