第四幕 お客さん 6.稼ぎでは決まらない笑いの量

 浅賀たちが帰ってから、胸の中にずっしりと重たいなにかが痞えたままだった。不安があちこちから飛び出してきて、まったく整理がつかない。


「あのように言ったものの、正直この選択でいいのかまだまだ迷っている。決めるのが怖いのだ。世の中に数え切れないほどある飲食店の中に分け入って、本当に生き抜いていけるのか。飲食業の成功ってなんだ、店長になることか、独立することか、いや、そんな金はどこにもない。


どこかの店で勤め上げたらどうなる。たくさんの金が貯まるのか。もし稼げなかったら結婚できないのか。いや待てよ、誰と結婚するんだ。今の彼女か。お嬢さんだから飲食業の男なんて付き合いきれないだろうな。このまま進んでいくと仲間との距離がどんどん遠ざかっていくのではないか。空本や武田はどう思うだろう。やっぱり浅賀の言うように確実な仕事に就くべきではないのか。それが親孝行であり、彼女と一緒に生きていくための最善の道なんじゃないのか。いや、やっぱり我慢だけでは不幸を呼ぶだけだ。いったいどうしたらいいのやら」


 当時、飲食業なんてのは、不良あがりの者が就く仕事というイメージが世間にはあった。もちろん中には立派な方もいる。だがアウトローもかなりいたのも事実だ。まったく自信のないフラフラの自分自身が浮き彫りになってしまった。


 そんなときだ、パチンコ中毒の柳川さんたちが入ってきた。いつものように会社の部下二名をつれての来店である。重たい空気が瞬時に吹き飛んだ。


「今日はあかーん! いつも出てる六十四番台、二十九番台も出よらん。いったいどうなっとんねん!?」と柳川さんが声を張ると二人も続く。


「ほんま酷い店! どんだけつっこんどると思うとるんや。今月は負け続けっ!」


 そんなにむかつくなら行かなきゃいいのに。所詮、博打は最後に負けるようにできているのだから。


「おぃカワムラっ! はよ生ビールつがんかい!」


 こうしていつものように、ただ騒がしいだけの小さな宴が始まった。話題は決まってパチンコのこと。次回はどの台を何時に誰が抑えておくかとか、そろそろどの台が出るんじゃないかとか、新機種の攻略方法とか、釘は開き具合ではなく曲がり具合が重要だとか、余所の町で新装開店があればその情報など。


たまに競馬が加わり、夏になると高校野球の話題も混ざる。これらは今だから言えることだが、ちゃんと仕切り役が他にいた。つまりノミというやつである。


こちらは店なので柳川さんたちは大切なお客なわけだが、正直、よくもまぁそんなに賭け事の話題だけで毎日酒が飲めるものだと呆れてしまう。


 柳川さんたちが盛り上がっている様子を見てチーフがぽつり。


「ほんまあのおっさんらはアホやな。柳川さんも面倒見のええ人やわ。人間は何が幸せかはわからんなぁ」


「僕はあんな人らみたいな人生だけは歩みたくないですね。独身で寮生活で、自転車しかなくて、毎日パチンコ漬け。メシは会社の給食かその辺の大衆食堂か。そうこうしているうちに剥げてヅラになったらもう泣きますわ」


「ほんまやなぁ。あの人ら、パチンコだけが楽しぃて生きてるんやろうな。よう飽きもせんと、どうせ負けるのに」


 料理が一段落すると、チーフはいつものように勝手口に片足を乗せて、ロンピーに火をつける。僕もマイルドセブンで一服。


「まぁ浅賀君はほんまに大した男やわ。確かに出世頭やし頭もいいし何もかも凄い。たぶん彼の言うことの殆どは正しいねん。せやけど、わしはカワムラ君の思うようにしたらええと思うで。どうでもいいわけやない。見てみ、あのおっさんらのアホ丸出しの顔。笑ってるか怒ってるか、たまに困ってるか、子供みたいなもんや。金も家も車も嫁はんもなくても、ああやって飲んで言いたいこと言いあってるんが楽しいんやわ。浅賀君が無邪気に笑うことってあるんかいな。わし、まだ一回も見たことないで」


「そうなんですよ。彼は昔からクール、というか、表情がまったく変わらない。本音か嘘か知らんけど、本人もまたそれがコンプレックスみたいなこと言ってます。笑いの量だと、浅賀よりも柳川さんたちのほうが明らかに多いなぁ。あの人たちはなんであんなに楽しそうなんですかね」


「さて。やっぱりやりたいようにやってるからとちゃうか。稼ぎは食っていくだけの最低限あればいいって感じで。いい車に乗って豪邸に住むことよりも、自分が好きなことをやってるほうが楽しいんやで。まぁパチンコっていうのがどうかと思うけど。金より笑いが優先なんやろな」


「そうか、金よりも笑いか」


 浅賀が言うことはきっと正しい。でも、チーフが言うように笑いのある人生のほうが楽しい気もする。それら両方を得る生き方はできないのだろうか。お金が儲かれば楽しいのか。いや、楽しいことがなければ、心底から笑うことはできないだろう。では、楽しいことをしていればお金は儲かるのか。一般的にはそれはありえないような雰囲気になっているが、果たして本当にそうだろうか。もしかしたら自分がやりたいことをやって、楽しさを追い求めて、笑いのある仕事ってこの世にあるんじゃないか。ふとそんな考えが頭に浮かびあがっていた。


「自分にとって楽しい人生ってどんなんやろう。わかるようでわかりませんわ。それにしても、とりあえず飲食の道を進むとして、なんだか、あいつらと疎遠になりそうで。俺だけ道がはぐれていく感じがするんです」


「そんなことは関係ない。ほんまの友達というもんは、どれだけ違う道へ進んでもまた会えるもんや。わしと梅さんもそう。たまに会うとすぐに昔みたいに戻れる。昔からよう言うねん、友達同士で働くのはよくないって。親や兄弟もそうや。付き合いは腹七部、ちょっと疎遠なくらいがちょうどええんやで」


「僕らはずっと一緒に生きてきたから、なんか家族みたいな感覚で。この先、別々の道を進むのかと思うとちょっと寂しいなぁ」


「そうやな。でも、どの道も厳しいもんや。人生は自分のもんや。自分自身が悔いのないように生きていかなあかんで」


「ふむ、もし親父が生きていたなら同じことを言う気がします。バカでも貧乏でもいいから、とにかくやりたいことをやれ、元気で生きていけって」


「そうやで、わしもそう思うわ。金は大事やけど、自分の気持ちに素直に生きたらええのとちゃうかな。失敗してもええやん。なんかあってもカワムラ君やったらきっと乗り越えていくと思うわ」


 人生を直感で決めるのは実に怖いけど、でも、それがどうやら自分の正直な気持ちのようである。


次回最終回

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裏町の大衆中華 『新大蓮』のチーフ 河村 研二 @spicejournal

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