第四幕 お客さん 5.変わり行く仲間との距離感

 ある夜、家族同然のように付き合ってきた浅賀夫妻とその兄貴が食べに来てくれた。浅賀は何度か『新大蓮』に来たことはあるが、それは殆どが僕を迎えにか、かつて二階で麻雀に明け暮れていた時のことで、客としては二、三度しか来たことがなかった。彼は男のけじめとして、中学三年の三学期から同棲してきた彼女と、ついこの間結婚式をあげたところである。同時に、大人顔負けの経営センスで独立起業も果たした。まったく何をさせてもキレ味の鋭い男である。


 いっぽうの兄貴というのは弟とはまったく逆で、いつ爆発するかわからないような危なっかしい人。僕らよりも三歳年上で、中学時代は喧嘩とバイクの暴走に明け暮れていた札付きのワルだ。でも、同時に類希なほどの純粋な心の持ち主でもあった。僕とは共にバイクレーサーを志した仲で、当時は整備やサーキット巡りなど、ずっと兄貴と共に行動してきた。僕が断念してからもしばらくレースを続けていたのだが、一年ほど経った頃に辞め、人には言えないようなややこしい仕事に手を出していたようである。


 浅賀は普段から僕に「あんな汚い『新大蓮』なんかに行く気は起こらない」と言っていたくせに今日やってきたのは、僕を心配してというか、まぁ口説きに来たのである。


「どうやカワムラ、店もええけどそろそろ目を覚ませ。俺らはもう二〇歳を越した。いい加減、仕事のことを真剣に考えろ」


 バイクの世界を目指していた時から彼は僕のことをいろんな意味で気にかけてくれていた。金がなくなるたびに一日一万円で雇ってくれたり、メシをご馳走してくれたり。同級生というよりも、まるで先輩か兄貴のように頼れる存在だった。そして、しばしば「いつか一緒に働こう」と声をかけてくれていたのである。


 内容も具体的だった。僕を側近として迎えいれ、社員を数十名まで増やし、鉄工の仕事を基盤にしながら各自が好きなことをやっていく、という今考えても実に大人な計画だ。浅賀のことはチーフにもよく話していた。これほどにたくましい男から声をかけてもらうのはとても光栄なことであった。が、僕は気が弱いくせに、人生は自分で決めて突き進んでいきたいという我がままな性格。バイクがダメなら今度は飲食店経営か、といった雰囲気になっていたのだ。


「武田ももう結婚したことやし、次はいよいよお前やろ。そのままでは女も食わせてやられへんぞ。はよ男になれ」


 浅賀の言うことにただ耳を傾けることしかできない僕。

「ふむ、そうやな・・・」


 武田もついこの間、十六歳の頃から付き合ってきた彼女とめでたく結婚した(僕の仲間はみんな早熟)。日産自動車の営業マンとして活躍し、ようやく平和な家庭を手に入れることができた。空本は二輪ショップですっかり落ち着き、同棲していた彼女といつ結婚してもおかしくない状況にあった。そんなだから正直焦らないわけではないが、いかんせん僕は三歳年下の彼女がようやくできた頃で、自分が結婚するなんて、とても考えることはできなかった。


 浅賀は僕を諭すように話す。

「ええか、お前の夢に向かってという生き方は確かに魅力的やと思う。でも現実を見てみろ。それで金がどれだけ入ってくるんや? 何が幸せかはわからんけども、好きな女と暮らしていくことが幸せというのなら、まずは金を稼ぐことが先決やないのか? 金で幸せは買えんけども、金がなければ不幸になるぞ」


 何度考えても浅賀の言うことは正しいし、それを十五、六歳で悟っていたことはやっぱり凄い。彼はこういう話をするときも表情ひとつ変えることなく、大げさに言葉に抑揚をつけることもない。


「どうや、チーフにもたくさん心配をかけたことやし、お袋さんにも恩返しをせなあかん。ここらでそろそろ大人になれ」


 浅賀の話というものは聞けば聞くほど頷かされる。安心感があって心地よくなってくるのだ。彼は昔から頭が良くて怖いほど冷静な男だった。さすが中学時代は同級生から番長として推挙されていただけのことはある。そんな頭脳明晰、冷静沈着な浅賀がいつになく何度も声をかけてくるというのは、周囲からすると羨ましがられるほどのことである。


「ほんまに浅賀からそんな風に言われるのは嬉しいと思ってる。俺らは何をするのもいつも一緒やった。これからもずっと一緒、と思ってる。確かに俺はお金も地位もないから人の何倍も頑張らなあかん。でも、自分でもよくわからんのやけど、どうしても飲食業で生きていきたいって思うねん。何とかこの道で成功できへんかなって」


「アホやのぅ。こんなことをチーフの前で言うのもなんやけど、例えばこの餃子一人前でどれだけの利益になるんや。八個入りで三〇〇円か。そこにどれだけの手間隙がかかってる? 年商はいくらや。計算したらわかることやろ。チーフは職人気質やし、ちゃんと腕があるからなんとかなってんねん。そら、今からでも職人になろうと思えば遅くはないかもしれん。でも、お前みたいに人懐っこい遊び人は職人向きやない。みんなで一緒に生きていこう。夢というものは見るためにあるもんで本気で追ったらあかんねん。そのことをバイクレースで痛いほど知ったはずや」


 同じく夢一杯で生きてきた兄貴の目が一瞬ぎょろっとなったが、さすがに弟の説得力のある言葉には刃が立たず、すぐに手元の漫画に視線を戻した。チーフは腕を組みながらロンピーをふかして、聞こえないふりして勝手口から外を眺めている。


 浅賀の包容力と正しい指摘は何度聞いても心が揺れる。二〇歳を過ぎた直後あたりで、すでに上場企業の孫受け企業となり、年商一億ほどの売上を実現。人を見る目も鋭く、相手が誰であろうと利益になる者とそうでない者とを容赦なく取捨選択し采配していく。僕については絵心があるということで、彼の会社のロゴマークを作らせてもらった。でも、いくら浅賀に目をかけてもらおうとも、僕の頭の中には彼と違う生き方が浮かび上がってしまうのである。これは理屈じゃない。なぜかそうなってしまうのだ。


「自分でもよくわからず、いつにまにか飲食業の道に入ってしもた。前のような熱い感覚はないけど、不思議とやり甲斐を感じるんや。でも、鉄工所や他の仕事にはそれを感じない。もしかしたら失敗するかもしれん。けど、俺はこの道でやっていくような気がしてる」


 当時の僕はあえて飲食の道を心に硬く決めたわけではなく、ただ流れるまま感覚だけで生きていた。だから理論的にはっきりと言えないのがもどかしかった。


 浅賀はタバコに火をつけて大きく一服してから口を開く。

「ふぅむ…お前はやっぱり現実っちゅうもんをわかってない。まぁそれがお前の面白さでもあるんやけど。俺は今までお前みたいに夢をもったことがない。そのワクワクしてくる感覚ってどんなんやろうと思う。いっぺんでええからその感じを味わってみたいもんや」


 これは浅賀特有の上からの言い回しにも聞こえるし、本気でそう思っているようにも思える。晴れて正式に奥さんとなった彼女は、いつものように浅賀の隣できょとんとした表情でタバコをふかしている。ただ、そばにいるだけで空気が和むところが彼女の魅力だ。


「まぁ、そう言ってもらえるのは有り難いことやけど、俺は俺で頑張るわ。もし、どうしようもなくなったらそのときは頼む。いっぺん俺の思うように生きさせてくれ」


「そうやな、誰にもタイミングというものがあるはずや。でも、もう一度だけお前のために言うといたる。金は冷たいものやけど嘘はつかん。好きなバイクや車も買える。女も食わせてやれる。稼ぐやつの気持ち次第で金の意味はいつでも変わるんやぞ」


 浅賀の言葉はその辺の大人よりもはるかに重たかった。今聞いてもしびれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます