第四幕 お客さん 2.同じ味が二度とない手仕事 

 道山さんのようにどんどん没落していく人がいるかと思うと、いつ逢っても変わらずクールで格好いい常連客もいた。中井さんだ。年の頃は四〇代半ばか、もしかしたら五〇歳を越していたかもしれない。時間帯にかかわらず、決まって一人でやってきて、何品かを組み合わせて注文する。

 暖簾をくぐると必ずまずチーフの顔を見て、直後に僕のほうにもニコッと笑ってくれる。そして席につくやいなや壁の札をスピーディに端から端まで眺め「うぅんと、ニラレバと餃子二つとライス!」などと、はきはきと注文する。注文内容は毎回違う。肉団子の甘酢、うずらのうま煮、鶏の辛し炒め、エビのチリ煮など。夜遅く来られる時はキリンの瓶ビールを必ず注文し、叉焼や鶏天などをつまみにして、最後にワンタンとチャーハンとか、酢豚とラーメンなどと、とにかくバランス感がある。

 その後は店で唯一真面目な読み物、毎日新聞をテーブルの上に広げる。店は常に少年漫画一冊とエロ漫画三、四冊、新聞は毎日以外に、風俗か競馬か野球ばかりの下世話な新聞が二種類置いてある。中井さんはいつも声の張りや口調、姿勢が同じ。机に肘を突いて紙面に集中する。時折背筋を伸ばして指をぺろっとなめてページをめくり、また右上から目を丸くしてぐいぐいと読み込んでいくのだ。

 換気扇が「ぐゎぁぁぁぁあ」とマントラのように響く中、レバーを揚げる音が入り交ざる。その後はフライパンからニンニクと醤油の香ばしいにおいが湧き上がってくる。

 体系はやや太り気味で一七〇センチあるかないか。髪は短めでいつもぴちっとかためている。言葉は関東のアクセントで、とても品のある人だった。無駄なことは一切しゃべらないから謎が多い。わかっていることは、当時全国に名を轟かせていた某有名チェーン系寿司店本部のえらいさんだったことだ。

 なかなか隙のない中井さんに、ある夜、一杯飲んで食事を終えた瞬間に思い切って声をかけてみた。

「あのぅ、中井さんって確か○○寿司にお勤めなんですよね。持ち帰り専門なんてすごい発想ですね。凄い勢いで店が増えていて、どこもお客さんが一杯でびっくりです」

 当時、鮨屋といえば品書きはなく、暖簾だけが揺れているという店構えがお決まりで、いまのような回転寿司は大阪の街中にはあったが決してポピュラーな存在ではなかった。持ち帰り専門にいたっては中井さんが勤める店以外は見たことがない。

「一応その手軽さが売りなわけだけど、まだまだ問題だらけで大変だよ。せっかくお客は来てくれてるのに、店によっては一〇分以上も待たせちゃったりね」

「昔ながらの寿司屋ならもっと時間がかかるのに、なんだか不思議ですね。寿司は作りおきしておくんですか? それとも注文してから握るとか?」

「基本的には作りおき、と言いたいところだけど、実際にはすぐになくなっちゃうから追いかけて握っていかなきゃならない。各店に必ず一人は社員が入って、寿司は彼らが作るんだけどシャリを握ってるのはロボットなんだよ。こいつがいまいち遅くて仕事にならない。だからいまそれを改良してる最中なんだよね」

「へぇっ~ロボットが握ってるんですか。スターウォーズに出てくるようなロボットみたいな板前とか!?」

「そうじゃない、つまんない形をした機械だよ。一応シャリは出てくるって言うだけで、仕上げはやっぱり人間がやんなきゃならない」

「おもしろそうです」

「じゃあ一度見においでよ」

 というわけでさっそく数日後の白昼に中井さんの職場へ出かけた。そこは『新大蓮』から車で十五分ほどのところ。トラックなどが出入りするような大工場をイメージしていたのだがまったく違い、住宅街の片隅のわずか五坪ほどの小さな工場だった。普段は本部の大きな工場にいることが多いそうだが、最近は機械のテストやセッティングのために、こちらの小さな工場に来ているのだとか。

 中井さんは、顔だけが見える真っ白のレインウェアのような生地のつなぎ服を着ていた。台下冷蔵庫の上には餅つき機みたいな容器が上につき、下にはレコードくらいのサイズの、白いプラスティック製のテーブルがついた機械が一台置かれている。これが中井さんが言っていたシャリのロボットか。さっそくスイッチを入れてくれる。

 まず上の容器の中にすでに味をつけたシャリを放り込む。すぐさま「ウィ~ン」と機械音がしたかと思うと下のテーブルが回りだし、五、六センチの握り風の形をしたシャリがぼとっぽとっと落ちてくるのであった。それを今度は中井さんが手にとって上に刺身を載せて、寿司職人のように軽く握って別容器に入れていく。

「スピードの調整が出来るようになったのはいいけど、今度は握りの強さが一定しないんだよ。ほら、このつまみを回すと早くなるんだけど、シャリが崩れやすいだろ。握る強さも調整できるんだけど、これがなかなかいい頃合がわからなくって」

見るといくつかの操作つまみがあり、そこに「早い⇔遅い」とか「シャリ 柔らかさ 硬い⇔柔らかい」、「大きい⇔小さい」などと書かれている。

「まぁどっちにしても最終的には人間が、シャリの上に魚を置いて一度ぎゅっと握るわけだからちょっとは硬くなるんだけど、寿司ってのはある程度ふんわりとしているほうがおいしく感じるんだよ」

「そうなんですか、おかんのお結びではあかんのですね」

 シャリを触ってみると確かにふわっとしていて、がしっと掴むとすぐに解れてしまいそうだ。中井さんの手作業を見ていると、左手の平にシャリを持ってマグロやエビを載せてから右手の指をそえて軽く握っている。なんだかロボットは単なる助手で中井さんが板前みたいな印象である。

「ほら、カワムラ君もやってみなよ」と言って僕にも握らせてくれた。

 左手で軽く包むようにして、その上に好みでワサビを少しつけ、ネタをのせてぎゅっ。最初はどうしても硬く握ってしまいお結びになってしまう。かといってやさしすぎると置いた瞬間にネタがポロリと落ちる。やさしくも力を抜かずに。これは意外にも難しい。ロボットといえども、適量適度の硬さのシャリが出てくるだけのことであって、もちろん職人のレベルではないが、それなりに手仕事なんだなというのが実感。

「とにかくこれはご飯の量は間違えることがない、というだけのロボットなんですね」

「そうそう、結局は人の手がないと寿司にはならない。機械が勝手に握るわけじゃないから」

「それにしても、これを一日中やるとなるとごっつ退屈でしょうね」

「そりゃ退屈でたまんないよぉ。だからわざわざ『新大蓮』へいくんじゃない。『新大蓮』は色んなメニューがあるだろう。それに同じものを頼んでも毎回どこかが少し違うしね。同じものが二度とないってのが手仕事の魅力なんだと思うよ、そこがたまんなくてまた行っちゃうんだねぇ」

 一様のロボット的寿司に対して、チーフの多様な手造り料理。職人は毎回同じ味を出そうとして腕を練磨するけど、微妙なところで毎回必ずどこかが微妙に違う。あんなに小汚くて狭いところなのに、わざわざ中井さんが『新大蓮』に来る理由がよくわかったと同時に、そこで働いている自分がちょいとだけ誇らしく思えた。

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