第三幕 男になれるか 5.身体で覚える鶏の辛し炒め

 いくら修業と言っても料理させてもらえる機会はそう多くない。さすがにアバウトな性格のチーフでも鍋だけは簡単に譲ってはくれない。それは教えたくないという意味ではなく、お客さんに直接かかわる部分だけに、僕に責任を丸投げさせないという意味だ。それがわかっているから僕は「作らせてもらえますか」といちいち聞く。応えは大半が「ノー」だがたまに作らせてもらえる。相手が常連客だったり、友人知人の時などに。中でもまかないは大チャンス。とはいえ、ことごとくどんな料理も想像通りにはいかないので、もどかしいやら、悔しいやら、悲しいやら。

 鶏の辛し炒めという料理がある。これは鶏の天ぷらに豆板醤と醤油味のすっきりとしたスープがとろりと絡み、酒のつまみにもご飯のおかずにもなる最強の主菜である。鶏の天ぷらからエスカレートして、いつのまにか好物になったのだ。ちなみに同じ辛し炒めを豚肉でやってもすこぶるうまい。

 作り方はこうだ。まず鶏ムネ肉を四、五センチの大きさにスライスし、ササミ肉は筋を取ってやや厚めに斜め切りにする。それに塩少々、片栗粉、水、わずかな卵で衣付けして揚げる。次にピーマンやしいたけ、白菜を斜め切りにし、青ネギの白い部分は縦に半分に切ってから五センチ幅にカット。あらかじめボイルしておいたニンジンと水煮のヤングコーン二本も笊の中に入れ、最後にニンニク半分を包丁で潰す。

 で、ここからが早い。まず、フライパンを火にかけ、揚げ油を少しだけたらし、豆板醤をいれて「チュワッ」。これを菜箸で「チョンチョン」と油の中でほぐすようにして炒める。すぐさまニンニクを「チリチリ」と炒め、焦げないうちに野菜も「スチャッー」。

「カンカンッ、サッサッ」と数回フライパンを返しながら次は醤油を加えてまたすぐに「カンカンッ、サッサッ」。瞬く間に目の前に並ぶ調味料を入れていく。右から塩、コショウ、旨み調味料。秒単位で野菜が萎えてしまい、下手をすると焦げるから少しの迷いも禁物だ。すぐにスープを「ザッパー」と注ぎ、味を確認する。味見はおみくじみたいに一度だけ。 

 二度目を頼っている暇はない。何が足らなくて多いのか、瞬時に判断し修正をする力が不可欠だ。「エイヤッー」と決めたら今度は鶏の天ぷらを油から取り上げ、フライパンの中に加える。ひと煮たちしたら水どき片栗粉でとろみをつけ、火を切ってからごま油をたらす。一回かき混ぜて、皿によそって出来上がりだ。もちろんこれはチーフ直伝だし、切り盛りについては今まで何年もやってきたわけで。

「いっただきまぁーす!」とりあえず空腹に負けて食欲は誘われるが、気持ちのほうは滅入っている。お客がぱっと見たならば、きっと「チーフの完コピばっちりやん」と言うだろうが、僕にしてみれば今回も失敗であることが食べる前からわかってしまう。餡に滑らかさや艶がなく、透明感もない。上をなぞっただけの真似っこ料理だ。活きたメリハリを感じない。

 実際に食べてみるとやっぱりそうなのだ。白菜やピーマンに覇気がない。シイタケも旨みを出しただけ。天ぷらのジューシーさもよく伝わってこない。

 そもそも、やっぱり鶏の天ぷらがうまくできていない。あの細かくさくっとジューシーな美味しさに魅せられて、僕は十六歳の時『新大蓮』にやってきたというのに未だに何もわかってない。塩加減も片栗の量も揚げる感じもチーフと何も変わってないはず。

 でも、角がちょびっと硬かったり、中身のしっとり感が違ったり、衣の膨らみも足らないじゃないか。いったいこれはなんなんだ。何を食べさせたいのか、何を伝えたいのかがわからない料理になってしまっている。これじゃ単に心が暖まって終わりだ。

 もっとこう、パキッとしたものはパッキパキッに。シャキッとしたものはシャキーンと。ブルンとしたものはブルル~ンでなければ。素材のあれこれが渾然一体となった旨み、なんて言うんだったら鍋をやっとけって。ここでは鶏の辛し炒めを作りたいのである。主役の鶏に、豆板醤を格好良く着こなさなければ。図太い歯応えの白菜に、細いが弾力のある色鮮やかなネギ。しなやかで香ばしいヤングコーンなど。皿という舞台でお客の心に響いてくるものがなければ御代をいただく道理がない。あぁまったく、何度やっても素人料理になってしまう。悔しいなぁ。

 チーフはあれこれと細やかに説明はしない。これは隠しているわけでも、説明能力が足らないわけでもなく、言葉にならない世界だからである。そのことは理屈じゃなく肌でよくわかる。これはやらなければわかり得ない領域だ。大切なのは身体で覚えること。やってやってやりまくれ、ってやつだ。あれこれと考えている僕などまだまだ話にならない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます