第二幕 店 7.田上によって知ったチーフの意外性

 年が明けて少し経った頃、『新大蓮』に一人の新人がやってきた。名を田上という。二歳年下で高校を退学してやってきたのだと言う。色白でやや細身、角刈り頭で目は細くてつりあがっている。先輩として後輩に仕事を教えつつも、一応は僕はバイトの身分であるからして、従業員として入ってきた彼にどこか遠慮を感じていた。

 その上、田上が実に不器用というか、はっきり言って使えないものだから余計に疲れてしまう。キャベツのケン切りは太くて短く、ゴボウの笹掻きみたいになってしまう。左手の添え方や送り方、右親指と人差し指のバランス、刃を落とす角度やリズムもつかめない。ニンニクを包丁の腹で叩いて潰すとか、青ネギの小口切りなんて到底無理。餃子を包むなんてのはもってのほかである。

 ある時、チーフにこう漏らす。

「田上くんのことですけど、あれではあかんでしょ、ぜんぜん包丁ができへんし、酒をコップに注ぐことすらできません。この前なんて僕がお客に酒を入れて、すぐに厨房へ戻ってきて仕込みにまわって、ぜんぶ僕が一人でやってました。そのくせ、あの子は客とずっとしゃべってる。相手によってはごっつう偉そうな態度で。こう言うと何ですけど、あいつは何しにここへきとるんですか?」

 今まで何度もイラつく場面があり、そのたびに厳しい言葉も放っていたのでチーフは僕のストレスに気付いていたはずだ。しかし、チーフの口からは思わぬ言葉が返ってきた。

「あのなカワムラ君、仕事いうのんは出来るか出来ないかだけやないねん。あの子は一所懸命やっとると思うよ。まぁ大きな目で見たってくれへんか」

 期待していた言葉とはまったく逆で愕然としてしまった。苛立ちが限界に来ていた僕は言ってはならない言葉を吐いてしまう。

「なんであんなやつを雇ったったんですか? もう切るべきやと思います。『新大蓮』にあんなやつは要らない。口ばっかりで実際には何一つできへんのやから」

 するとチーフはこう返した。

「ええか、あの子はな、苛めが原因で学校を辞めたんや。えらいつらい思いをしたらしいねん。親は離婚してて血のつながってない男の人が一緒にいてるみたいで、家にも学校にも自分の居場所がないんやと。確かにこの仕事は向いてないかもしれんし、いつまで続くかわからん。けど、本人がここにいたいうちは面倒をみたろうと思うとるんや」

 ふと空本のことを思い出した。彼の場合は学校で酷い喧嘩をしたことで退学を余儀なくされたわけだが、いずれにしても落ちこぼれの十五、六歳のガキをチーフは拾ってやってるというわけだ。そういう意味では僕も同じようなものか。

 いやしかし、空本にはちゃんと自分の意思というものがあったし、自分の責任で行動していた。僕にしても高校卒業を目指し、自分の夢を実現しようと日々頑張っている。それなのに田上は自分の居場所がないからという理由で『新大蓮』に甘えているだけ。そんなやつに給料を払っているチーフの感覚が理解できない。僕は田上のフォローをするためにここに来ているわけではない。

 チーフは話を続けた。

「わしな、仕事いうもんは自由でええと思うんや。とりあえず、やれることをやったらええねん。それが自分に向いてるかどうかというのは二の次の話で。いや、実はわしも最初にした仕事は中華料理やのうて電気工事やったんや」

「はぁ、そんなこと初めて聞きました。町の電気屋さんですか?」

「ちゃう。建物の中の電気の配線をしたり、電柱にのぼってするやつや。道具をいっぱい腰につけて高いところや狭いところに入っていくあの姿が格好ええ思ってたんや」

 まさかまさかの展開である。それがなぜ中華料理へ変わっていったのか?

「電気の仕事をして少し経った頃、神戸の中華屋へ勤めにでていた先輩が“お前そんな仕事してたら一生会社人間で終わるぞ”と。料理の道へ進めば、いつか独立して自分の城をかまえることができる、って言うて誘われたんや。それで、その先輩が勤める店に転職したということや。その後、先輩はほんまに独立して自分の店を出しはった。よっしゃ、わしも続くぞと思って頑張って、ついに自分の城をかまえることができたというわけや。まぁこんなおんぼろの小さな店やけどな」

「好き嫌いでこの道に入ったわけやないんですね。本来目指した道ではなかったと」

「そういうこと。もちろん料理は嫌いやないで。でも、とにかく自分が生きていくためにやりだしたことや。まぁ店を持てるまでになれたということは、向いてないわけではなかったんやろうけどな。つまりわしが言いたいのんは、人生そんなに焦らんでもなんとかなる、っちゅうこっちゃ」

 当時の僕には、そんな沖縄式の「なんくるないさ」みたいな話はとても考えられなかった。一刻も早く「これだ!」というものを見つけ出し、一分一秒も無駄にせず突進していきたかった。今振り返ると、なぜそこまで生き急いでいたのかと自分でも思うが。やはり中学二年の時に親父が急逝してしまったことが大きかったのかもしれない。

 あの日のことは一生忘れることはできない。親父はとにかく忙しい人で僕らとはずっとすれ違いの生活リズム。だが、その夜は珍しく早く帰宅してきた。

 高校に入学したばかりの兄貴は二階の部屋にこもったまま。僕はめったと会えない親父のそばに少しでもいたくて一緒にテレビを観ていた。が、少ししてから親父は大きくため息をつきながら隣の部屋に敷いてあった布団の上にごろんとうつぶせになり「ケンジや、ちょっと背中をさすってくれないか」と言ったのだ。こんなしんどそうな姿を見るのも初めてだったが、「さすってくれ」などと言われたことも初めてなのでとても驚いた。

 お袋は風呂に入っていた。僕は緊張しながら親父のそばに座り、手を背中に載せるとこれがぱんぱんに脹れていて、いくら指を立てようともかちこちでどうにもならない

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます