第二幕 店 5.常連客の仲にも礼儀あり

 あれは確か日曜か祝日か、僕が1日通しで入っていた日のことだった。なんと常連ナンバーワンを争う柳川さん(前回に出てきたピストン工場勤めのパチンコ大好きなおじさん)からこともあろうに出前の注文が入ったのだ。

「おぅ、俺だ、柳川。ちょっと出前を頼みたいんだけど…」

「え? 嘘でしょ、なんで? パチンコは? あ、もしかしたら身体を悪くされたんですか?」

「いちいちうるさいやつだな。風邪を引いたんだ。焼きそばと餃子1人前たのんだぞ」

「風邪くらいで出前ですか、はぁ、わかりました。すぐお持ちします」

「いやいや、すぐでなくていいんだよ。三時頃に。それで必ず電話いれてほしいんだ。出るときに電話だぞ。わかったか? 電話」

「へぇわかりました。電話すればいいんですね。はいはい」

 時刻は昼を過ぎていた。電話しろだの、三時だのってやっぱり常連客は面倒くさい。そもそも僕はバイトの身だから三時からは休憩なのだ。柳川さんのまさかの電話をチーフに伝える。

「今まで何度か行ったことあるよ。家は確か安威川の向こう側やわ。時間が中途半端で悪いけど行ったって」

 いつもと同じようにルーティーンの仕事をこなす。土日は、平日のように行列ができるほどのことはないまでも、だらだらと客足が途切れることはなく、常に半分以上の席が埋まっている。

 時間が経ち、ようやく落ち着きを取り戻した頃、チーフが柳川さんの注文に取り掛かった。僕は釣銭とメモと出前号パッソルのエンジンを掛けておく。

「ブゥィ~ンブァンブァンッ!」

 店の中へ戻り、料理にラップをして岡持ちに収納してパッソルに載せる。

「カワムラ君っ、飛ばしたらアカンでぇ~!」

「は~い、わかってま~す」

 イナイチに出て、インターチェンジ方向へ走る。交番前を通り過ぎ、ラブホテル街の路地を左折し、突き当たりの堤防を左に曲がり、橋を渡って安威川を越える。岡持ちの門を地面に擦りながら猛スピードで懸けて行く。

 路地を曲がると、そこに柳川さんが住む社宅があった。ところどころに水垢が染み付いた古びた建物が四、五棟並ぶ。昼間なのに通路は暗く、子供の声も聞こえてこない。聞いていた棟を探し、バイクを止めて岡持ちを片手に足早に郵便受けを確認する。

「あったあった柳川さんの名だ。そうか、賑やかなパチンコ部長はこんな地味なところに住んでいたのか」と思いつつ部屋の前に到着。インターホンを押すがどうやら壊れているようである。

「コンッコンッ。コンッコンッ!」

 僕はやや強めにノックし、その直後にノブをひねると鍵が開いていた。

「ガチャ! あ、柳川さ~ん! タイレンですっ。カワムラで~す!!」

 中を覗くと手前が四畳半くらいの台所で奥にもう一部屋あり、そこに頭がつるっぱげのランニングシャツ姿の誰かが向こうをむいて胡坐をかいていた。あれ、部屋間違いかと思ったその瞬間に「こらぁっ! 電話しろっていっただろうがっ! はよぅ閉め!」と大きな声が飛び、僕はびびって慌ててドアを閉めた。

 ドアを閉めるその〇.五秒ほどの間に確かに見たのだ。そのランニングシャツ姿のお坊さんが鉢をかぶったかのようなアクションを。その直後、全身からゆっくりと血の気が下がっていくのがわかった。

「ま・さ・か・・・・・・柳川さん、ヅラ?」

 とても長い沈黙に感じた。数秒が経ち、扉が開いた。ランニングシャツ姿で微妙にずれた髪型の柳川さんは僕ではなく、手に持った焼きそばを見つめている。

「おぅ、なんであんだけ電話しろって言ったのにしないんだ?!」

 不機嫌そうに焼きそばと餃子を掴みとる。

「す、す、すみません…いつもの調子で出てしもたんでついうっかり…ほんますんません」

 柳川さんは何も言わずにお金を支払い、僕も気まずい感じでお釣りを渡す。

「ガッチャン…」

 重たい鉄の扉が閉じられた。うなだれるようにして僕はパッソルに向かう。

「そうか、柳川さんはヅラやったんや」

 いつもと違いゆっくりと道路を走り、裏道から抜けていく。

「生まれて初めてヅラの人を見た気がする…」

 イナイチの赤信号の間、茫然自失となる。柳川さんはいつも夕方五時半にこの道をパチンコ屋へ向かって猛スピードで駆けて行くのだが、そうか、乱れないわけだ。髪型が絶対に崩れない理由がようやくわかった。

 店に到着し、複雑な気持ちをチーフに伝える。

「あのぅ、柳川さんを怒らせてしまいました」

「なんやどうしたんや?」

「出る前に電話しろって言われてたんですけど忘れたんですよ」

「あのおっさん、それくらいで怒ったらあかんわ~」

「いや違うんですわ。柳川さん、ハゲやったんです。ツルッパゲ。髪の毛ゼロですわ」

「ええっ? そういえばあのおっさん、いつ見てもきっちりと七三分けになっとるな。髪型が変わったことないわ。むふっ…むふふふ…あっはっはっはっは・・・・!」

 チーフは大声を上げて笑い出した。と同時に僕もなんだか笑えてきた。

「えへ、あはは…あはははははは・・・・!」

 柳川さんに申し訳ないが笑いを堪えることができなかった。

「しかし、そんな本気で怒ることないのになぁ。ハゲでも堂々としてたらええのに」

「逆にヅラせんほうがええんとちゃいますかね」

「他のメンバーは知っとるんかな~」

「さぁてどうなんでしょう。しかし、ヅラをかぶる人を見たのは初めてです」

「聞くところによるとヅラもピンきりらしいで。ええやつは毎月どっかにいって散髪みたいなことをするらしいわ。そのままでは不自然やからやろな」

「へぇ、手間がかかるんですね」

「柳川さんももしかしたら何ヶ月かごとに調整とかしてるかもしれん。まぁ、ボーナスが入る頃やろう」

 もちろんこの一件は僕とチーフだけの秘密である。お客のプライバシーは絶対に口外してはならないことくらいは高校生の僕でもわかる。

 それにしても僕は大きな失敗をしてしまった。確かに柳川さんは念を押して「出る前に電話をくれ」と言っていたのにすっかり忘れていた。ドアを開けてしまった時のあの怒った口調は本気だった。とても申し訳ないことをしたと思う。

 パチンコばかりの柳川さんを甞めていたというか慣れきっていたというか。郷里から出てきてピストン工場で働き、つまらない生活だからこそパチンコの刺激でバランスをとっているのだ。柳川さんがどんな思いで日々を送っていたのかは当時の僕に理解する力はない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます