第二幕 店 4.パチンコ店長夜逃げ事件


 九月のある祭日の昼下がり。僕は餃子用のキャベツのみじん切りに精を出し、チーフはロンピーをぷかぷかとしながら勝手口からいつものようにバス停方向を眺めている。

「うわぁぁ、あの子めっちゃくちゃ可愛いなぁ。長髪の毛がくるっとカールしてるわ。カワムラ君も見てみ。めちゃめちゃ可愛いから。ん? もしかしてあの子、前もおった子とちゃうか!」

 また始まった。僕は背を向けたまま包丁の手元に集中する。

「トントントントン…」

 そんなときである。常連客の柳川さんが自転車に乗ってものすごいスピードでやってきた。柳川さんというのは近くのピストン工場勤めの方で、平日は夕方五時半から、土日祝日は丸一日パチンコ店に浸っている熱狂的なパチンコ野郎である。こんな中途半端な時間にいったいどうしたというのか。

「おいおい、パチンコ屋の店長、売上持って飛んだらしいぞ!」

 チーフがウサギのように首をぐいっと立てて、自転車を止めて叫ぶ柳川さんを見る。

「なんやてっ、あの紳士の店長が? あの人だけは堅気に見えたんやけどなぁ」

僕は思わず振り向き、勝手口にたつ柳川さんに声を掛ける。

「飛んだってどういうことですか!?」

「お前はほんまにシアワセなヤツだな~。逃げた、ってことだよ。単独で夜逃げ。いま、パチンコしてたらいきなりパトカーがたくさん集まってきて、本日の営業を緊急停止しますって放送があって客は全員追い出された。今は黄色いテープ貼られて中に入られんようになっとる。なにやら五~六〇〇万円いかれたって噂だよ」

「ええ? そんなに売上あったんや。それって一日分やろう?やっぱりパチンコ屋はすごいな。なんかわしら小さな商売しててバカバカしくなってくるわ」

「チーフは自分で店やってるからまだいいよ。わしらなんて少ない給料のために毎日しょうもない機械を作って。どれだけあの店に投資したことかわからんて!」

 そんなことを言うなら行かなきゃいいのに、と思うがパチンコとはSMか何かの中毒症のようなもので、嫌な思い、つらい思いをするほどにその逆の喜びも大きく、その満足感と欠乏感の行ったり来たりが快楽的でまた行きたくなるものなのである。

 それにしても店長の夜逃げ事件であるが、金という紙切れのために、なぜ人はそこまでリスクを犯せるのか。どうせつかまることは目に見えているのに。

「いや、そんな簡単に捕まらんで。夜逃げをするような奴はそこいらじゅうにおる。たぶんこのあたりも流れもんが多いからそんなやつがたくさんおると思うで。よほど返しようのない多額な借金を持っているか、根っからの悪かのどっちかやろうな」

 そんなドラマや映画じゃあるまいし、今まで乱闘や下着泥棒、窃盗くらいなら身近に何度か見たことがあったが(これももしかしたらあまり見ないものかもしれない)、夜逃げ事件なんて信じられない。いや、しかし待てよ。そういえばいつだったか、チーフが誰かの保証人になって逃げられてしまったということがあったような記憶が。

「はぁ? しょうもないこと覚えとるな。あれはほんまに酷かった。信じてたのに」

「いったいどういう人からそんなことを頼まれてしまうんですか?」

「ふん、元同僚やわ。同じ店で勤めてたやつで自分で商売してやった。それで自分ところの従業員の給料が払えなくなって泣きついてきたんや。もう後がないって感じやった。わしが貸さんかったら飛んでたか身を投げてたかもしれん」

 すると暇さえあればパチンコばかりで金を持ってなさそうな柳川さんが言う。

「そんなもん貸したらだめにきまっとるやろうが。わしなんかなんぼ持ってても絶対に貸さないよ。貸すくらいだったらあげるから」

 しょうがない、という表情のチーフに僕はさらに質問する。

「そんな間柄やのに踏み倒されてしまうなんて悔しいですやん。逃げてしまったその人のこと追わないんですか?」

「それが店に電話しても通じへんのや。もしかしたらすでに店ごと飛んでしもてるかもしれん。もうしょうがないわ。今頃どうしとんのやろと思うけど。死んでなかったらええけどな」

 チーフはやっぱりやさしい。だから最初から騙そうと思ってない人でも、つい甘えて逃げてしまうのかもしれない。

「人は金がなくなったらどんなやつでも豹変するからのぅ。うちの会社の隣にある工場の社長もこないだ飛んだらしい。噂では自害してるとも。追い込まれた人間は心が壊れてしまう。そう考えるとパチンコ屋の店長は相当な食わせ者だったってことだな」

「しかしあの店長さん、元々堅気やなかったことは耳にしていたけど、ほんま誰よりもまっすぐな人に見えたんやけどな。ショックやわ。ほんまに人はわからんもんやなぁ」

「ところでチーフってどこかからお金借りたりするんですか? やっぱり銀行とか?」

「あぁ、借りたことあるよ。この店を出す時に信用金庫から。でも一〇年の返済予定を五年で全部返したわ。まぁ、兄弟子に看板代をいまだに払わせてるけど」

「何、その看板代って?」と柳川さんが顔をしかめる。

「わしらの世界ではよくあることなんやけど、僕の先輩が先に独立してて、その人の縄張りで店を開けさせてもらったから毎月看板代を払わなかんねん」

「ええっ、なんか嫌な感じですね」

「しゃあない、わしらのいた世界の暗黙のルールや」

「そんなもんチーフ、やくざの門松と一緒じゃないの。なんとか手は切れんの?」

「えっ、あの正月の大そうな門松のこと? あれ、組から買ってたんですか?」

「お前はほんまに世間知らずやのぅ。その付き合いがあるからなんかの時は店を助けてくれるんじゃないか。世の中はそういう風になってんの。よく覚えとけ!」

まったく脂でべったりのヘアースタイルのくせして、どうでもいいことばかり知ってるおっさんである。僕は依然質問をし続ける。

「ほな、あの若頭のガッちゃんも、実は付き合いで店に来てるんですか?」

「いやいや、ガッちゃんは関係ないよ。あの人は純粋にうちの餃子と鶏の辛し炒めが好きなだけや。買ってくれと言ってくるのは下の若い人ら。これでも最初の頃の半額にまで減ったんやで」

 値段を聞くと一〇万円とのこと。昔は二〇万円もしていたという。それでも破格なのだとか。まぁこの門松に関しては、時代や地域性が大きいだろうから、一概にどうこうとは言えないし、よくわからない。

 しかし、今回の店長夜逃げ事件にはちょっと驚いた。何百万円なんて中学時代の恐喝なんかのレベルじゃない。見た感じ誰よりも紳士的で、四〇代くらいの大人で、もっとも信頼の置ける店長が自らの店の売上をもって消えたのである。店の二階に住んでいたのだが、家財道具は丸ごとそのまま置いてあったという話。いったい何があったのか。変なことに投資していたとか、ヤバイ博打を打っていたとか。いや、単に癖だったりして。中学の時に万引き癖のある友達がいたが、ヤツの目的は単に刺激欲しさだった。そんなもんかもしれない。

 なんであれ、信頼という金では買えないものを、金を代償にして捨ててしまったわけだから、きっと他に何か大きな理由があったのだと思いたい。

 それにしても、この地域では空き巣や車上嵐なども含めて、他にも金のトラブルが多くあった。いったいどうなっているんだ。

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