第一幕 メインストリート「イナイチ」6.学校とおっぱいのせめぎあい

 夜の十一時過ぎ。今日は店を早仕舞いして常連客の三好さん夫妻が担う『スナック・マラカス』にやってきた。店は一応〇時までということだが、お客と店の気分次第でなんぼでもという緩いシステムだった。

 『新大蓮』からイナイチを五〇〇mほど北へ行った先の神社と池の隙間みたいなところに店は立っていた。5坪ほどの細長い店内にソファが並び、小さなテーブルがいくつか置いてある。

 三好さん夫妻がハイテンションで出迎えてくれた。

「ほぉっーーー兄ちゃんやっと来たか! 今日はとことん飲ましたるさかいなぁ」

「これっ、またそんなこと言う。お兄ちゃんは高校生なんやからカラオケだけ! お酒はアカンでっ!」

 お二人には僕よりも五歳年下のお子さんがいるらしく、ママさんはいつもオカンみたなことを言う。それにしてもお二人の雰囲気が『新大蓮』で見る時とは明らかに違う。元々お二人はハイテンションな上にスナックという商売なのだからそうなるのはわかるのだが、顔も服装もきらきらとしていてなんだか演芸場に立つ芸人みたいなのだ。

 マスターはメガネを取った横山やすしのような顔でいつも以上にぴっちりとオールバックが決まっている。そして、やや赤ら顔なので酒のせいかと思いきや、なんとファンデーションを頬に塗っているではないか。男で化粧するのはオカマだろ!?(当時はそういうことになっていた)

 オカマといえばここからさらに五〇〇mほど北へ行ったところに、いつもほっぺを桃色、唇を真っ赤に塗ったガリガリオヤジのバーがあったっけ。まさかそのオカマとマスターは同類か。いや、それは考えられない。やっぱり人々の機嫌を盛り上げるのだ、というプロ意識というか芸人気質みたいなのがそうさせているのに違いない。

 ママのほうは元々顔も服装も関西タレントの女傑、上沼恵美子にそっくりな派手系なのだが、この日は唇がいつもの倍くらいに膨らんでいて真っ赤っか。おまけに瞼は真っ黒け。限り無くオバケのQ太郎に近い漫才師今いくよくるよの太った方といった感じなのである。ちょっとでも気に障ることを言ったら一瞬にして飲み込まれるか魔術をかけられそうだ。

 我々が着いたときには二人の初老男たちが赤い顔でカラオケを歌っていた。その二人のぴかぴか頭に負けないくらい輝いているのが自慢の最新鋭カラオケである。ジュークボックスのようなケースの中に眩しいレーザーディスクがずらりと並び、ボタンを押すと自動的にディスクが取り出され、数秒後に音と専用のテレビモニターに画像が映しだされるという仕組み。もちろん歌詞も流れる。これまでのカラオケはカセットテープかビデオテープで、歌詞はぺらぺらと紙をめくっての分厚い冊子。もう指に唾をつけることも、使い込みすぎてページが破けてしまう心配もない。

 ママがテーブルでウイスキーにミネラルウォーターを注ぎ、それをニタニタと眺めてロンピーをふかすチーフがぽつりと言う。

「ママはん、僕は車やからサイダーね。その分今日はこの子に飲ましたって欲しいねん。カワムラ君は酒好きやから。見てみぃ、この風貌や。どこからどう見ても高校生やない」

 当時の僕には高校生の雰囲気はまったくなかった。髪型はパンチパーマで、タバコをすぱすぱ、気は小さいのに身体と声がでかくて図太い。こんなだから行く店によっては、学生服を着た子持ちのおっさん、などと冷やかされることもあった。

 先までのハイテンションはどこへやら、ママは途端に渋そうな表情になった。

「そんなんアカン。この子は未だ高校生なんやでぇ。みんなわかってんの!?」

「へぇもちろん。せやから今日はカワムラ君の激励会っちゅうことで。ちゃんと学校へ通ってもらおう思うてのことやわ」

 なんだかせっかくスナックへきたというのに説教されにきたのか、と思ったらいきなり隣のハゲオヤジどもが「うっぎゃー」とか「あっあっあぁぁぁ」などと騒ぎ出した。

 どうやらカラオケのモニターを見ながらはしゃいでいるようだ。二人が食い入っているそれを見ると、なんとそこには巨乳をひたすらゆっさゆっさと揺らしながら砂浜を駆けるおねーちゃんが映っているではないか。流れているのは当時大流行していた「あみん」という女性二人組みの「待つわ」。

「かわいい顔してあの子 わりとやるもんだねと 言われ続けたあのころ 生きるのがつらかった♪」

 歌と映像が合っているのか合っていないのか、いつ暴発してもわからない若き僕はもう冷静に理解することなんてできっこない。そのあまりにも切ないメロディと歌詞、そしておっぱいの斬新過ぎる組合せに脳がぐでんぐでんになっていく。すっかり思考回路を奪われてしまっていたら、マスターがいきなり僕の顔を両手で掴んで反対側に振り向かせた。

「こらこら、若い君には刺激がきつすぎたかいな。今な、お兄ちゃんの将来について話しとるんや。よう聞いとかなあかんでぇ」

 流れ行こうとする魂を、僕はなんとかテーブルを囲むチーフたちのほうへと戻す。

「もうほんま、あんたがチーフでよかったわ。しゃあない。お兄ちゃんがちゃんと学校へ行くって今ここで約束できるんやったら飲ましたる。どうやお兄ちゃん? 」とママが言っている。一呼吸置いて「はい、絶対に行きます。卒業するまで頑張ります!」と必死の二つ返事。

 こうしてなんとかウィスキーの水割りにありつくことができたのであるが、僕は歌が終わらないうち一秒でも早く先ほどの揺れる大きなおっぱいを見たい。当時は女性の身体なんてエロ本くらいでしか見ることはできない。しかもそれは、夜中しか表紙が見ることができない特殊なフィルムが貼られた自動販売機か、狭苦しい個人経営の書店くらいしか入手ルートがない。また当時の書店店主なんてのは頑固者が多くて、未成年であることがばれたら叱られ倒すことは間違いない。

 友達のみんなで拾い集めたエロ本を、橋の下や教室の天井裏などに格納して大人の図書室を作っていたくらいだ。裏ビデオは存在していたが、それはあまりにも特殊で、一般人が観るのはなかなか難しい状況であった。まぁチーフなどは闇の業者から裏ビデオを仕入れていていたわけだが。

 とにかく、とにかく動くおっぱいは、あまりにもお宝映像なのであった。生命力がほとばしる十八歳の僕の鼓動は意識とは裏腹にどんどん急上昇していくばかり。

 しかし、悪いことは連鎖するもので、ママの手前か、この後もチーフが珍しく頭のよさそうな堅い話を続けてしまう。隣からは「うわぁ大きいな~。エエ乳やなぁ。顔を埋めてみたいわ~!」などと丸裸の言葉が聞こえてきてたまらない。

「カワムラ君、悪いことは言わん、ほんまに高校はちゃんと行っといたほうがええ。ママの言うことは正しいで。わしを見てみ。中卒やから漢字もあんまり読めんし書かれへん。そんなんやからあんなぼろい店しかできへんかった。もっと勉強したかったなってずっと思っとる」

 ウウ、苦しいところだ。当時の僕は確かに高校へはあまり行っていなかった。出席回数が少なく、このままでは留年する可能性があったが、でもまぁなんとかなるだろうと高を括っていたのだった。

「う~ん、そうですね。でも、一年も二年も留年寸前であぶなかったんですけど、何とかここまで来れましたから。たぶん、この先も大丈夫やと思います…」と、なんだかわかったようなわかってないような返答。

 後頭部付近にある魂の扉は全開だ。羞恥心を脱ぎ捨てたハゲオヤジの歌声と喘ぎがぎんぎんと響いてきて仕方がない。

「悲しいくらいに私 いつもあなたの前ではおどけて見せる道化師~♪ ふんがぁ! 」

 よろめく僕にまったく気が付いていないチーフは真面目な顔をして話を続ける。

「せやけどカワムラ君、辞めてしもたらお母さんが悲しむわ。お父さん死んでしもて、それ以来振り返ることなく働き尽くめや。とにかく最後まで行くのが親孝行や」

 と、さすがに親父の話をされると血の気が少し冷めていく。親父の死についてはまだまだ整理がついていなかった(実府は僕が中2の時に他界)。しばらく間をおいてこう応える。

「オカンはね、僕に大学へ行けない家の子、と思う必要はないって言うんですよ。行きたかったらその道を選んでもいい、という意味やと思います」

「凄いやないか! カワムラ君は幸せや、いいお母さんでよかったで」

「うん、そう思ってます。でもね、兄貴がアカンのです。聞いたこともない大学でクソ高い私立に。でも、1年も経たんうちにヘヴィメタのミュージシャンになる言うて辞めてしもたんですわ。オカンが血の滲むような思いで用意した金を全部ドブに捨てよった。もう家にも帰ってこーへんしどこに行ってしもたかわからんのです。中学時代は親父の代わりや言うて散々俺を殴っていたくせに。それこそオカンが可哀相で」

「そうか。でも、きっと本人が一番苦しんでるわ。プレッシャーがあったんやで」

「ふんっ、自分は大学へ行けたのに、それで十分やのに」

「そんな風に思ったらあかん。浅賀君のお兄ちゃんを見てみ。あの子は暴走族の頭をやったまではよかったけど、スジの人も手がつけられんほど暴れるもんやから挙句の果てにムショへもはいってしもた。カワムラ君のお兄ちゃんはヘビかロックかわからんけど、そんなんとは違うやん。今は分かっとらんでもええからとにかく最後まで学校へ行っとき。バイクの世界を目指すやんたっらそれでもええから」

 浅賀というのは空本など僕らの仲間の一人である。中学3年ですでに彼女と同棲をはじめ、高校受験をすることなく鉄工所で働き出し、特殊な溶接技術を身につけて十八歳にして独立を実現したかなりのやり手だった。中学時代は周囲から番長と崇められていたが本人は悪ぶる様子は一切なく、どうやって財を成すかだけを考えているような冷静なやつだった。そいつの三つ年上の兄貴がこの町どころか大阪でもちょっと名の知れた凶暴な人だったのである。

「よう学び、よう働き、よう遊べ、や! 若いうちはなんでもやったらええんやし、どんどん失敗もしたらええ。学校を出たら、そのとき大きく羽ばたいていったらええねん。ほな、これからも頑張って学校へ行くように!」

 チーフが話しきって、ようやくこの場が収束する感じになった。と、その瞬間僕は我にかえった。あ、いけない。揺れるおっぱいはどこだ!? 僕はすぐさまハゲオヤジ越しにモニターのほうへと振り向いた。

「たとえあなたが振り向いてくれなくても 待つわ いつまでも待つわ せめてあなたを見つめていられるのなら~♪」と言いながら無情にも画像は消えていった。

 不思議なものであれから何十年も経つのに、『スナック・マラカス』で観た映像は今でも鮮明に覚えている。どうでもいいようなことばかりが脳裏に刻み込まれている。

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