第一幕 メインストリート「イナイチ」5.強盗を鶏がらスープで撃退

 ある日の昼下がり。仕込みをしていたら勝手口から空本が入ってきた。彼は時折こうして何かのついでに立ち寄るのだった。

「空本君、おはよう! なんか食うか!?」

 チーフは昼夜を問わずその日初めての挨拶はこの「おはよう」だ。

「いらんって。何でこんな時間にメシ食わなあかんねん!」

 愛想と突っ込みは大阪人のお天気会話みたいなものである。適当な会話をしているうち、何かの拍子に聞き流せない話題になった。いつぞやの事件である。空本が話す。

「いやな、俺がおる時にいっぺんチーフが刺されそうになったことがあるんや。カウンターでラーメンを食ってた変なチンピラがいきなりドス(短刀)を突きつけてきて”金出せ!”って叫びよった」

「なにそれ? 刺されそうってぜんぜんシャレにならん。シャブ中かなんか?」

「たぶんな。ずっと挙動が変やったよね、チーフ」

「そやな、あれは流れもんやで、この辺では見ん顔や」

 チーフは「流れもん」という言葉をよく使う。それほどこのあたりには、素性のわからない怪しいヤツが多かったのだ。それにしても白昼の中華屋でいきなりドスを出すなんてちょっとクレイジーな話である。

「そう、あれはほんまにイカレテた。実はその前に一度店にきたんよ。最初は真昼間や。灰色の着物を着ててな、カウンターに座りよった。俺が水を持っていくと胸と肘あたりから青い墨(今どきの格好いいのじゃなくてひたすらイカツイ入れ墨)が見えたんや。あぁこいつ堅気やないなとわかった。で、そのとき目がえらい踊ってて気色悪いやつやなと思ってたんやけど。でもまぁそのときは金を払って出て行った。またラーメンの食い方が汚くて、まるで犬が食ったみたいに散らばってたわ」

「で、その二時間後くらいにまた来て。今度はこの辺に座りやった」とチーフ。そこはカウンター中央よりやや右側で、目の前には並々と鶏がらスープのはいった直系七、八〇センチの寸胴鍋が置いてあるところだ。

「わし、なんかおかしいと思ったんや。昼間にラーメン食っといてから三時頃にまたラーメン頼むんやから。で、カウンター越しにラーメンを手渡そうと思ったそのときや。袖口からいきなりドスを突きつけてきて”金出せっ!”って叫びよった。他に二、三人の客がおったんやけどみんなびっくり仰天や」

「なにいうてんの! チーフかてびびってたやん。ラーメン落としそうになってたで」

「アホ! わしはとっさにそいつの手首を掴んでそのままスープの中に引きずり込もう思たんや。空本君こそ、わしに向かって警察やって叫んどったやないか。わしはヤク中の腕を掴んでて手が離されへんねん!」

 げらげらと笑いながら空本が言い返す。

「いや、ほんまチーフの顔めっちゃおもろかったわ。いつも以上に鶏に見えたわ」

「ちょっとちょっと、それ笑いごとやないでしょ。刺されててもおかしない話やで。シャブで頭がイカレテるんやから」

「まぁな、ほんまチーフも俺もびびった。警察から追われることあっても自分から呼んだことないし。どうしたらええかわからんもんやからバイクに乗って交番まで行こうと思った」

「ほんま空本君には参るわ。わしが必死で腕を引きずり込んでるのに、バイクのキーを探しとるんやで。わしは言うたんや。”一一〇番や!!”ってな。それでようやく電話をかけたという有様や」

「しょっちゅう人と殴り合いの喧嘩してるくせに空本もびびることがあるんやな」

「ま、そういうことや。でもな、一番慌ててたのはそのシャブ中や。まさかそこにスープがあるとは思ってなかったんやろな。チーフがスープの中にそいつの腕を突っ込んだ瞬間”ウギャッー”て叫んでもう必死やってたわ。で、振り払って物凄いスピードで外へ出て行った。ドス、寸胴鍋の中に落ちとったで」

「でな、何を考えたかそのシャブ中、歩道やのうてイナイチを横切って逃げよったんや」

 まさか、幅二〇メートルはあろうかという5車線の国道を、よくもトラックに轢かれなかったことだ。

「”キキッーーー”っていう急ブレーキの音がぎょうさん聞こえたわ。でもな、勝手口から見たら、これが轢かれそうで轢かれへん。おっとっとって感じで岡八郎かカンペイみたいに身体をくねらせながらなんとか向かいまで渡りきりよったんや。ほんま運のええヤツやで。そのままラジエーター工場の路地へと消えてしもた」

 イナイチの向こう側にはバス停とタバコ屋があり、その左五〇メートルほど先に大きな交差点があるのだが、その間に一本の細い路地があり奥に出前でお世話になるラジエーター工場があるのだ。その工場の奥は二〇〇メートルほど雑草が生えているような寂しい道となり、突き当りが川になっていて左の坂道を上ると堤防の道にでる。

「でな、問題は警察や。電話してから何分後に来たと思う? 十五分以上もかかったんやで。こっちはドスを目の前にして助けを呼んでるというのに。ラーメンの出前でも十五分かかったら延び延びや。しかも何があったのかと思うほどの台数できよった。たぶん四台は来てたと思う。すぐそこに交番があるのにやで。おそらく茨木の本署から束になって出てきよったんやろうな」

「ほんま使えへんやつらやで。警察もイカレタやつを相手にするのは怖いんやろうな。もしそれで俺ら刺されてたら出血多量で死んでるわ」

「空本君、それは確かやけど、あの交番はお客でもあるからあまり悪口は言うたらアカン。狭い町なんやからくれぐれも言い触らさんようにな」

 空本が勤める二輪ショップは店から歩いて一〇分かからないようなところにある。閉塞感満々の町なので、ちょっとでも刺激的な話は必ず掛け違いを起こして制御不能となる。

「結局その後はどうなったんですか? 犯人はつかまった?」

「そんなもんつかまるかいな。十五分もあれば楽に逃げられるって。それよりも現場検証のほうが大げさで。数え切れんほどの警察がきて何回も同じような質問をしてくるんやで。こっちは仕込みもせなあかん。おかげでその日の夜の営業は八時頃からになってしもた」

「ええっー? 店やったんですか?!」

「当たり前や。日銭商売やから暖簾を出してなんぼや」

「以来、そのシャブ中は来ないんですか?」

「ふん、見いひんな。一応ガッちゃんにも聞いてみたんやけど、そんなやつは知らん言うてた。どうせ、その辺をほっつき歩いてる流れもんやろって」

 ガッちゃんとはこのあたりを仕切る組の若頭である。年の頃はチーフよりも上であることは間違いないが、いかんせん色黒でアメリカソウル歌手のライオネル・リッチーにそっくりなので年齢は不詳である。

 片方の小指は第二関節までしかない。人と群れることは決してなく、昼の二時頃にやってきて、必ず瓶ビールと餃子、鶏の辛し炒めか炒飯を追加する。黙々と新聞を読み、交わす言葉は注文と「ごっそさん」だけ。アウトローではあるが、チーフもつい憧れてしまうような男気を感じる人だった。

 それにしても、いくら裏町の超ガラの悪い、いや、鶏ガラスープが自慢の大衆中華屋とはいえ、シャブ中の強盗まで来てもらっては困るのだ。

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