裏町の大衆中華 『新大蓮』のチーフ

河村 研二

第一幕 メインストリート「イナイチ」1.ロンピーと魔のバス停


 「うわぁ見てみ、白いシャツ着たあのおねーちゃん。えろうスタイルがええわぁ。髪の毛も長くて先っちょがくるっとカールしとる。今日一番の可愛さやなぁ」と、今日もまたチーフは気持ち悪いほどニヤニヤとしている。鼻の下がまさしく長い。勝手口にもたれるようにして腕を組み、好物のロングピースをくゆらせる。

 僕はひたすら大きな中華包丁を片手にキャベツをみじん切り。

「なぁカワムラ君も見てみって。どの子がええ? ん、どの子も興味ない? それはあかん、若いんやからもっと元気ださな」

 チーフとは料理長という意味であるが、この方は店主である。一番えらいはずなのになぜチーフなのかというと、それは若い女性を見ればすぐにオラウータンのようにふにゃふにゃのエロ顔になるのと、奥さんの尻に敷かれまくっているからである。よって奥さんのあだ名が「社長」。しかし、チーフは奥さんとは真逆で愛想がよくて人懐っこい性格なものだから、親しみを込めてそう呼ばれている部分もあった。

「あっそうか、カワムラ君には彼女ができたんやったな。あの子の太ももむっちむちやん。えろう可愛い子見つけたもんや。え、もうやったんか? むふふふふふ」

 昭和四十年生まれの僕はこのとき高校三年生になったばかり。仲良しの同級生たちはみんな早熟だったが僕はウブもいいところ。どうしていいのかわからず、とりあえず照れながらも勝手口に背中を向けてキャベツを切り続ける。

 チーフが眩しそうに眺めるのは、勝手口から十メートルほど先のバス停前に立つ五、六人の女性たちである。目じりは垂れ下がりドスケベ満開の表情だ。

 わずか五坪の狭苦しい店から見る勝手口の向う側はとても開放的な世界に思えた。白昼の午後二時半頃。初夏の生暖かい風にロンピーの香りが入り交ざる。そして、数秒の沈黙が続いた後、チーフが何かを思い出したかのように、いきなり野原のウサギのように首を立て、こう発した。

「あれっ! あの子よう見たらこの前も立ってた子やわ。絶対そうや。ほぅ、やっぱり縁があるのかもしれん。よっしゃ、わし、ちょっと行ってくるわっ」

 やっぱり始まった。まっすぐに伸ばした人差し指と中指の間にタバコを挟みなおし、ゴリラのように体を揺らしゴム長をかっぽかっぽと前進。店の前を走るのは片側二車線の国道一七一号線、通称イナイチだ。時間を問わずトレーラーや大型のトラックが多く、今日も煙たい排気ガスを撒き散らしながら延々と行き交っている。バスを待っていたのは老若の女性たち。当然のようにその中の最も若いであろう女性にチーフは近づいていく。時折、車の走る音で掻き消されながらもチーフの声がかすかに聞こえてくる。

「なぁ、このあいだもここのバス停におったんちゃう? あ、変なもんとちゃうよ。わし、そこで店やってんねん。ほら、中華、中華。今からどこへ行くのん?」

 恥ずかしい限りだ。こんなんで本当に引っかかるとでも思っているのだろうか。何を信じて声をかけるのか。瞬間的に恋愛に発展するとでも思っているのか。何度見ても僕には理解できない。なんとか手元のキャベツ切りに専念していたら、トラックの唸る騒音の隙間から耳を疑うような言葉が聞こえてきた。

「時間あんねんやろ? よかったら餃子でも食べて行かへん? 」

 僕は思わずぐいっとのけぞり勝手口からバス停のほうを覗いてしまった。すると女性は一歩後ずさり、下を向きつつ手でチーフが吐くロンピーの煙を払うようにして「いえ、けっこうです」と言ったかどうかはしらないが、そんな風に聞こえた気がした。

 ロンピーにまみれたチーフは満面オラウータンのような笑み。

「えぇってぇ、心配せんでも奢るでぇ、いやほんま。うちの餃子はうまい言うて評判やねんけどぉ、むふふふふ…」

「嫌です、もう勘弁してください」と再び心の叫びが聞こえた気がした。

 白昼のバス停での出来事。それ以上追うと本当の変態おじさんになってしまうことくらいはチーフでもわかっているようで、照れ臭そうな顔で「忙しいとこゴメンなぁ。すんませ~ん」と軽く会釈してからゆらゆらと退却してきた。

「くっー! あかんわ。きっとお腹すいてなかったんやな」

「いや、そうじゃないでしょ! いきなり見知らぬおっさんが餃子食べへん?では絶対に無理やと思いますわ。もう完全に変態中華料理店です!」

「なんや、ほな何て言うたらええねん? そんなふうに言うんやったら次はカワムラ君が行ってみ」

「いやいや、ゴム長に中華の格好してることじたいがもうアカン。こんな真昼間から白衣姿の男にひっかかる女がいるとは思えません」

「カワムラ君はまじめやなぁ。女心をわかってない。嫌よ嫌よも好きのうち言うてな。女っちゅうもんは時として、絶対にアカンことがごっつぅエエという時があるんやで」

 そう言ってあっけらかんとした表情でチーフは流しの横においてある一斗缶のごみ箱にロンピーを弾き捨て、客席にまわってスポーツ新聞をめくりだした。

 僕は終わることのないキャベツのみじん切りをやり続けながら一人で思う。鈍感な上、しばしば見当外れなことになってしまうところがチーフの魅力でもあるのだが、それにしても白昼のバス停に立つお姉さんをナンパするなんて。白衣にゴム長姿の男がいきなり近づいてきてロングピースで餃子なのだから怖いに決まってる。

 そもそもチーフは一つ間違えるとそのスジの人みたいに見た目がイカツイ。背は一七〇センチくらいだろうか。歳は僕より十三歳上で三十歳くらい。中肉中背で髪型は北島三郎のようなショートアイパー。これは昭和中期の強面の男たちの定番のヘアースタイルである。顔は近くで見ると猿か鶏にそっくりで、遠くからは痩せたゴリラに見える。この面構えでもって夏場は下着をつけずにブイネック型の白衣を着ている。やめときゃいいのに、たまにイケてる気分でゴールドのネックレスをつけることもある。

 そんなチーフの店に僕は自ら好んで働きにきているわけであるが、なぜ自分が『新大蓮』で働くようになったのか。実は今回で二度めのことで、最初は高校1年の後半から二年の半ばまで。別に料理人を目指して働きはじめたわけではない。一言で言うと、たまたまだ。いろんなことが重なって、いつのまにかそうなった。

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