第196話 怪しい場所は怪しいか
目の前に建物がある。
いかにも貴族の邸宅といった優美な造りに細かな装飾が施され、しっかりとした二階建てだ。手入れもされており、それなりの財を持った者の住居だと分かる。
ただし、ここは山中だ。
転送魔法陣で移動した先のモンスターが出現するフィールドである。しかも先程からゾンビのような存在を何度も倒している。
「これで怪しまない奴はいないよな――」
「よかったんじゃって! ちょっと休ませて貰おうぞ」
「イクシマ、お前なぁ」
「ん? なんじゃ」
「あれを見て何とも思わんのか!? あれを見て」
アヴェラはいろんな感情が突き抜けて、もはや哀しみと憐れみの気持ちに満たされながら金髪の小娘をみやった。
しかしイクシマは訝しげに眉を寄せ、むしろアヴェラの方を疑わしげに見てくる。
「いや別に屋敷でないか。何を言うておるん?」
「いいか、よーく聞いて考えてみるんだ。ここは何処だ?」
「フィールドに決まっておろうが」
「うんうん、そうだな。で、さっきから何が出て倒している?」
「まさか……」
ようやく分かってくれたらしい。
そう思ったアヴェラは己の認識がまだ甘いことを思い知らされる。
「お主まさか、そんな事も分からんくなったんか。ゾンビじゃろうが。ああ、安心するが良い。お主がどうなろうとな、我がしっかりと面倒見てやる。それが女の度量というものよ――痛っ! なんで、ぶつん!?」
アヴェラが無言無表情のままコツンと頭を一撃すれば、イクシマは信じられないと言った顔をした。
「お主なー! 酷いんじゃって」
「いや、こいつはこういう駄エルフなんだ。察しの悪く勘も鈍い野生では生きていけない憐れな生き物なんだ。文句を言っても仕方がないな」
「えっ、もしかして。それ我のことなん?」
「こういうのは諦めが肝心、ペットみたいなものだな。関わった以上は世話するしかないわけだ。拾った以上は最後まで面倒みろってやつだ」
「ちょっと聞けよー、無視すんなよー」
視界の斜め下辺りで飛び跳ねる金髪頭をアヴェラは鷲掴みにした。
「いいか、よく聞け」
「こやつ目がマジじゃ」
「こんな山の中で一軒家があってどうする? モンスターがいるのに防御施設も護衛もいない。食糧とか水とか日用品を揃えるのも大変な場所で誰が住む?」
「いや、我の里だと結構普通……」
「いいか、よく聞け。ここは蛮族の住んでる場所じゃない」
さらっとエルフを蛮族扱いするアヴェラだが、イクシマを見る限りはあながち間違っては居ないだろう。
辺りに日は照っているものの、濃緑色した葉が生い茂っているせいで陰気ささえある。得体の知れぬ鳥の羽音が響き、小虫が目の前を過ぎっていく。木々の向こうをゾンビがゆっくり徘徊する静かな環境だ。
後ろを歩いていたヤトノが肯きながら出て来た。
「まったく呆れた小娘ですね。頭に行く栄養が、こっちに来すぎたに違いないです」
横からイクシマの豊かな胸をぺしぺし叩いて揺らしている。
「やめんかっ! そういうの痛いんじゃぞ! 小姑には分からんじゃろが」
「……無駄な肉をもぎとって差し上げてもいいのですが。いずれ御兄様が味わうものという事で見逃して差し上げますよ。感謝なさい」
「味わう? 味わう、味って。は、破廉恥じゃあああっ!!」
イクシマの叫びで近くの梢から鳥たちが羽ばたきも煩く飛び去った。そして、近くを彷徨いていたらしいゾンビが集まってくる。
「また小娘ときたら」
「小娘言うな、我は悪くない! お主が破廉恥なことするからじゃろが!」
「この程度で破廉恥とは、はぁっ……」
「なにその溜息!」
顔を真っ赤にしたイクシマは狼狽しきっている。普段は戦いの心構えを説くわりには、まったくダメダメである。
アヴェラはゾンビを見やった。
「やはり音に反応するか、眼球は腐りやすいから当然というものだが鼓膜が健全とはな。死んでからも声だけは聞こえると言うからな……」
「ごめん、落ち着いてるけどゾンビ来てる」
「そうだな」
アヴェラは頷きゾンビたちに向け歩いて行き、ある程度の距離で左右に動いて惑わせてから接近。ヤスツナソードを軽く振ってバラバラに刻んでいく。斬れ味の凄まじさもだが、使いこなすだけの技量と度胸があるからの事だ。
「流石は御兄様です。素敵です格好いいです、最高なんです」
「はいはい、そういうのはいいからな」
「つれない態度。そういうところも素敵」
全肯定するヤトノにノエルは、見習うべきかどうか迷うところであった。
軽くヤスツナソードを振って血振りする。
実際には斬れ味が良すぎて刃の上に一滴の血も残らないのだが、気は心である。なにせ相手はゾンビだ、その腐汁が万一にも残っては嫌なのだ。
「とりあえず、あの屋敷に行くか」
「ちょっと待てい! さっき我が行く言うたら、ぶったではないか。それなのに行くとか、どういうことなん!」
「物見遊山や休憩でなくてな調査の為だ」
アヴェラがスタスタ歩き出せば、皆が後を追いかけてくる。ゾンビの残骸は既に消え失せているが、その辺りを踏まないようにするのも気は心みたいなものだろう。
「どう考えてもおかしい場所に、おかしいものがあれば調べるのが当然だろう」
「つまり我の意見は正しかったと」
「天と地ほども違う」
「そこまで言わんでもよかろが」
「煩いぞ、お前はペットだ。ちゃんと後ろをついてきて指示に従え」
「む、我がペットじゃと」
改めて言われてイクシマは黙り込んでしまった。
「まあまあ、イクシマちゃん。いいじゃないのさ、ペットだよペット。ちゃんと可愛がってお世話して貰えるって事だよ、うん」
「ノ、ノエル? お主何を言うておるん?」
「えへへー、私もペットかな」
「…………」
イクシマは困惑した顔でノエルを見やった。両手を頬にあて笑みを堪えている様子を見れば、この大切な友人の感性が理解出来ないと思ってしまった。
「そこのポチ、遅いですよ。御兄様の手を煩わせないで下さい」
「ポチというのは我か? 我なんか?」
「ああ、そう言えば犬をイクシマと呼ぶのでしたね。おいでなさい、イクシマ」
「このっ!」
ぐっ、と堪えてイクシマは足を速めた。ここで叫んではまたゾンビを呼び寄せてしまう。一応は学習できる――どうせ直ぐ忘れてしまうが――のである。
門や塀もなく、山の中にぽつんと屋敷がある。
「おかしいな」
「そうだよね、やっぱりなんでこんな場所に」
「いや、そうじゃない。普通は雑草とか木とかが繁茂して覆われるだろ」
「あ、そっちなんだ」
しかしノエルも田舎の村育ち。草取りなどの大変さは身に染みているためアヴェラの言う事にも直ぐ納得した。
植物というものは厄介だ。
放っておけば季節にもよるが十日で草が生えだし、二十日で丈が伸び、六十日もすれば藪が形成され、百日もすれば蔦が這い出す。だと言うのに、目の前の屋敷にそんな様子は少しもない。
「うん、確かにそうだね。草を取った形跡もないし、刈り込んだりした痕跡もない。誰かが手入れしている感じはないのに、ちゃんとしてるのはおかしいね」
「さらに言えば汚れもだな。見ろ、窓枠どころか窓も汚れていない」
「本当だね」
風によって土が舞い枯葉や小枝が飛んで、それらが微細な粒子となって建物に付着するのが普通だ。そうして全体の見た目が薄汚れてくすんでいくものだが、目の前の屋敷は綺麗で掃除が行き届いている。
しかしドアノッカーを打ちつけてみても反応がない。
ドアに手をかけたアヴェラは唸った。
「施錠されているか……しかたがない」
さっとヤスツナソードを抜き放って斬りつけた。普通の剣なら折れるか跳ね返されるところだが、あっさりと食い込む。この剣は意志らしきものがあるのか、アヴェラが斬りたいと思った対象を軽々と斬ってくれるのだ。
施錠箇所をススッと斬ってしまう。
「これぞ万能鍵だな」
「ちょっ、お主ー!?」
イクシマが声をあげるが、構わずドアを開けて中に足を踏み入れる。
「カビ臭くも埃臭くもない。しかし人の気配はないか」
「いくないぞ。こんなことしたら、いくないんじゃって」
「どうせ誰もいないからバレはしない」
「お主のそういう考え、よくないって思うぞ。誰かおったらどうするん?」
イクシマの言葉にアヴェラはヤスツナソードを振って見せた。もちろん冗談のつもりだが、直前の行動が行動であるため、ちっとも冗談には見えない。
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