第194話 倒せるが倒したくない敵もいる
昼時の少し前、アヴェラは山を登りながら隣を歩くノエルに視線を向ける。
「疲れてないか?」
「うん、大丈夫なんだよ」
細剣を帯びチェインメイルを身に付け、荷物の詰まったバックパックも背負っている。軽く息を弾ませてはいるが、ノエルはまだまだ平気そうだ。
「これぐらい大丈夫だから、うん。そんなに気にしなくっても大丈夫」
「重くて辛くなったら直ぐに言ってくれ」
「ありがと」
嬉しそうといった感じで、笑顔でノエルは礼を言った。それに対しアヴェラは軽く後ろを振り向く。
「イクシマ、遅れてるが大丈夫か?」
その先にいるイクシマは実際少し遅れていた。
重たげな戦槌を肩に担ぎ、たっぷり荷物の詰まったバックパックを背負い、さらにまだ食糧の入った袋も運んでいる。もちろんイクシマ一人の分だけでなく、皆の分も込みだ。
これだけ一人で持たされているのも理由があった。
まずはパーティ内で一番力があるため任されたことと、そしてもう一つが――。
「御兄様、こんなのを心配する必要なんてないんです。一度ならずも二度までも! しかも二度目はすぐ側で大声を出して御兄様を驚かせたのです! これぐらい運んで当然ってものです!」
ヤトノは両手を腰に当てつつ声を張りあげる。風に揺れる黒く長い髪の間から、紅い瞳を不機嫌に細め光らせていた。
つまりイクシマが重い荷を背負わされているのは罰である。
コンラッド商会の一室で至近距離でアヴェラに大声を――何割かはアヴェラにも悪いところもあったが――浴びせた事が原因だ。
もちろんイクシマも反省して自ら荷運びを引き受けている。
「やかましいいっ! 我はアヴェラに悪いと思ったからこそ、こうして運んでおるんじゃ! それを小姑にとやかく言われる筋合いはないんじゃって!」
「わたくしは常に御兄様の為を思っております。ですから、わたくしの言葉は御兄様のお気持ちそのものなんですー。さあ、御兄様を待たせるのではありません!」
「文句言うんなら、ちっとは自分でも持ったらどうじゃ」
ヤトノは何一つ荷物を持っていない。
白い神官着のような衣装をひらひらさせて気軽に歩くばかりだ。
「いいですよ持ちますよ。ただし、わたくしが長時間持っておりますと品物がどうなるかは知りませんけど」
「使えん奴……」
「んまっ! 言うに事欠いて、なんて失礼な小娘でしょうか!」
「小娘言うな! 小姑が!」
顔を付き合わせんばかりに言い合う様子は、いつもの調子である。そちらを見やったアヴェラは軽く肩を竦めて呆れ顔だ。
「とりあえず、あっちは大丈夫そうだな」
「あはははっ……」
乾いた笑いをあげるノエルを促し、前を向いて山を登りだす。
「今のところ何もなさげだよね」
ノエルは手をひさしのようにして辺りを見回す。
行方不明者が出ている山は、転送魔法陣の祠を出てから一本道が続く。道以外にも進めないこともないが、そこは鬱蒼として棘のある草が密集しているとなれば、普通はどう考えても道を行くだろう。
「もっとこう、何か恐いモンスターとかがいるかと思ったけど良かった」
「……なるほど。こういうのをフラグと言うのか」
「え?」
「モンスターが来たぞ」
アヴェラは素早くバックパックを降ろすと、腰元のヤスツナソードを抜き放った。それに倣ってノエルも自分の荷を降ろす。
「今のフラグって何か分かんないけど、分かんないけどさ。アヴェラ君が言ってる感じからすると、もしかして私が悪いって感じだったり!?」
「まあ気にするな」
「つまり悪いって事だよね!」
そう話している間に接近して来たモンスターは人型なのだが、もちろん人ではない。ただし強いて言うなら元は人といった部類である。
その身体は腐っていた。
「アンデッド系統でゾンビって奴か」
「えーっと、なんだか私の武器と相性悪そうな感じがそこはかとなく」
「相性悪いな」
ゾンビなので痛覚はないため、軽く斬ったり突いたりでは怯ませる事もできない。しかもノエルのような細剣で突いても、殆んど点のような状態のためダメージにもならない。さらに深く斬るには剣が軽すぎる。
「ううっ、まさかの役立たず。私ってばどうしてこう……」
「武器の相性ってものがあるんだ、別の時に頑張ればいいだろう」
「ありがとう。はぁ……」
ノエルは深々と息を吐いた。
前方からはノタノタとした足取りでゾンビが二体歩いてくる。
「素晴らしい。実にゾンビらしいゾンビだ」
「いや、それ分かんないから。ゾンビらしいゾンビって、なに?」
言っている間に、遂にイクシマが戦槌を手に駆け付けた。大荷物を降ろして戦闘準備をするのに手間取っていたのである。
しかしイクシマの戦槌はゾンビ相手には最適だろう。
「はっはぁ! ここは! 我の! 出番じゃぁ!」
「おおそうか、やる気か。イクシマ」
「別に我が倒してしまっても構わんじゃろって」
「ああ、がつんとやってくれイクシマ」
「そうか。ならば期待に応えてやろうぞ! ひゃぁっ戦闘じゃぁああっ!」
イクシマは戦槌を手に飛びだした。
ゾンビの手前で急停止しつつ、戦槌を横殴りに振り回す。グシャッともブシャッともつかぬ嫌な音が響いて、先頭のゾンビの胴体が弾けて吹っ飛ぶ。さらに旋回した戦槌が次のゾンビを顔面から打ち砕いた。
「勝利ぞ! どうじゃ、見たか!」
「見た見た、あんまり近づくなよ。荷物も注意して持てよ」
「なんでじゃ?」
「おい戦槌を縦に持つな。垂れるぞ」
「え?」
思わず戦槌を見上げたイクシマの顔に、ゾンビ汁が滴り落ちた。
「みっぎゃああああっ!!」
山中にエルフの悲鳴が木霊した。
今回は予想していたアヴェラは上手く耳を塞ぐことが出来た。
意気消沈したイクシマの先の尖った細耳は心なしか下を向いている。やはりゾンビ汁の直撃は相当堪えたらしい。
とことことヤトノが近寄った。
「流石のわたくしも憐れに思いますよ。さあ惨めで愚かなエルフに水袋の水をかけ綺麗にしてあげましょう」
「…………」
「おや感謝のあまり声も出ませんか、殊勝な心がけです。褒めて差し上げますよ」
「……やかましい」
「はい? なんですか、折角小汚いエルフを綺麗にしてあげているというのに。何やら失礼な言葉が聞こえたような気がします」
「やまかしいぃ! 我は! 今! とっても! 気分が滅入っておるんじゃ!」
「なんて失礼なんでしょうか。あんな愚かな事でゾンビ汁を浴びた愚かなエルフを憐れんで差し上げたと言いますのに」
そしてまたもヤトノとイクシマは言い合いを始めている。
「……あいつら仲良いよな」
「あはははっ、実は私も少し思ったりするかもだよ」
「だな」
アヴェラとノエルは呆れつつ辺りを見回した。他にゾンビがいないかと警戒しているのだ。倒せない相手ではないが、あんまり戦いたい相手ではない。
「ゾンビは強敵ではないが、別の意味で強敵だな。愚かなエルフのような攻撃をすれば、酷い目に遭ってしまうからな」
そんな言葉を地獄耳のエルフイヤーは聞き逃さない。
「がーっ! なんて事を言うん? 我は皆の為にと頑張っとったのに!」
「大喜びで突撃してただろ、戦いたかっただけだろ?」
「そーいう気持ちも、ちょっとはある」
「まあ、それは良いとして。ゾンビの強さはそれ程でもない。これで行方不明者が出たとは考えがたい。まあ、大量のゾンビに襲われた可能性もあるが」
「ふん、どれぐらいいようと……いや、やっぱし沢山おると嫌じゃな」
イクシマは先程の惨劇を思い出し身震いした。
「とりあえず、このまま進んでみるしかないな。気を引き締めていこう。さっきみたいに余裕かました後で酷い目に遭うエルフもいるのだから」
「やかましいわ!」
戦闘が終わってからの休憩も込みで体力は十分に回復している。それぞれが、それぞれの荷物を持って再び歩き出す。
気づけば山の上りは終わって、そこからは平坦に近い道のりとなっていた。
そして道は奥へと続いている。
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