第193話 冒険の準備はわちゃわちゃと

「御兄様お疲れ様でございます」

 コンラッド商会の専用部屋のなか、椅子に深々と腰掛けたアヴェラの背後にヤトノが立って、せっせと肩を撫でたり揉んだり労っている。

「つ、疲れた……」

 ニーソと話すなかで計算盤の使い難い点から、ついうっかりとソロバンの事を口にしてしまったのだ。それで後はもう、笑顔で目を輝かせたニーソに迫られ――実際ぐいぐいと接近され――根掘り葉掘りと尋ねられたのだ。

 ソロバンの何が琴線に触れたかは不明だが、ニーソは商会お抱えの木工職人に試作を依頼すると飛びだしていって、ようやく解放されたところであった。

「ああ、そこ。そこそこ、もう少し強くても」

「ふふふっ、ここですね。ええ、そうでしょうとも。わたくし、御兄様の弱いところは全部知っております。さあ、気持ち良くなってください」

「うっ、くうっ! ふぅ……」

 アヴェラは肩から背中まで弄ばれ啼かされた。ただしやりすぎて最後には軽く怒られるのだが、ヤトノは下を向いて反省したフリしながら舌を出している。

「そんで? こんど行くフィールドってのは、どこなんじゃって?」

 ようやく計算盤を手放した――飽きたとも言う――イクシマはどっかと座って足まで組んでいる。隣の席でちょこんと座り、重ねた手を膝上に置くノエルとは好対照だった。

「山のフィールドだな」

「ははぁ、前に行った山んとこか?」

「前は岩山だったが、それとは違って山の森と言えばいいのか……ああ、エルフの里みたいな山奥の、中途半端に未開で木ばかりあって人より獣が多いド田舎な――」

「お主は我の里になんぞ恨みでもあるんか?」

「他意はない。事実を言ったまでだ」

「余計に悪いわっ!」

 イクシマが足をバタバタさせると椅子が軋み、まあまあとノエルが宥めた。

「それで何だかケイレブ教官からの話みたいだけどさ。どういう事情なのかな」

「何でも行方不明が多いらしい、今のとこケイレブ教官の勘だが。あんま話を大きくしたくないんで、こっちに頼んできたってとこ」

「じゃあ、頑張らなくちゃだね。うん!」

「子供が産まれたばかりで、早く家に帰してあげたいし。問題が大きくなる前に、サクッと解決しておこう」

「そだよね。教官も早くお家に帰りたいもんね、協力したげないと」

 しかし家族の為と仕事に集中して帰っていなかったのが実態だ。それはアヴェラのアドバイスで改善され、待ち受けていた熟年離婚の運命は阻止され――仕事と家庭の両立というルナティックモードに突き落とされ――ている。


「でもさ、お披露目でみた赤ちゃん可愛かったよね」

 もちろん産まれたばかりなので、僅かな間しか見られなかった。しかし赤ん坊という存在は保護意欲をそそり、守ってやりたい気にさせられる。実際、集まった大勢が心から祝福していた。

 ちなみにヤトノも、ちょいちょいと頬を触って喜んでいたので健やかに育つのは間違いないだろう。厄神がマーキングした存在に近寄る変なモノは存在しないので。

「あ、ちなみにだけど。アヴェラ君って子供は好き? つまり自分の子供とか産まれたらどんな感じかなーって」

「どうだろう……?」

 前世では、意味不明な叫びをあげ走り回りバカな事をする子供に苛立ちを感じていたのは事実。ただし、そこには家族に縁がない事への恨みもあった。だから愛せるのか愛せないかも分からないし自信もない。

「よく分からない。分からないけど、教官の子供を見たときは可愛いと思えた。今はそれぐらいしか言えない」

「うん、いいんじゃないかな」

 ノエルは優しい笑みで頷いた。まるでアヴェラの悩みを理解しているような様子でもあった。

「そんなものじゃないかな。私だってそうだし。そういうのは、そうなった時じゃないと分かんないよね」

「うむ、ノエルは良い事を言う。まさしく、そういうもんじゃ。突き進んで行って、それから考えるぐらいよな! 今から先の事ばっか考えておってはよくない!」

「でもイクシマちゃんは、もうちょっと考えた方がいいかもだよ」

「ノ、ノエル!? わ、我のことをそう思っとったん!? うおおおんっ!」

 ノエルの言葉にイクシマは床に膝を突き項垂れた。

 その頭をアヴェラが小突いて笑う。

「分かったか、これが皆の共通認識ってもんだ。突撃特攻エルフめ。お前はノエルという外付け制御装置があるお陰だからな」

「やかましいいいっ! そう言うお主なんぞ、暴走ばっかじゃろが!」

「いつどこで誰が暴走した? いつだって冷静で緻密な計算でやってるぞ。なあ、そうだよなノエル」

 しかしノエルは手をパタパタさせた。

「ごめん、それ肯定できないかも」

「なん……だと……」

「だって、いろいろあったからさ。主に魔法とか魔法とか、魔法とか」

「いや魔法はいつだって完璧だったろ」

「あー、うん。そうなんだねアヴェラ君の考えでは」

 ノエルの言葉にアヴェラは床に膝を突き項垂れた。

 その頭をイクシマが小突いて笑う。

「分かったんか、お主の魔法ってのはそういうもんなんじゃって。まったく! 我がいつも言うて注意しとるとおりじゃろが。これからは我の言う事に従うのじゃぞ。よいな、我との約束じゃぞ」

「お前にだけは言われたくないんだよ。この蛮族エルフ!」

「はぁ? 誰が蛮族じゃ蛮族! 我はディードリが三の姫、イクシマなるぞ」

 子供みたいな喧嘩をする二人に、ノエルは小さく息を吐く。きっと子育てって大変だろうなーと想像していた。


 室内で座り直し湯気たつお茶を飲み、菓子を食べている。

「とりあえず、今後の予定をしっかりたてよう。さっきは駄エルフの邪魔がはいったけどな」

「誰が駄エルフじゃー!」

「煩い黙れ。とにかく予定だ、今後の予定」

 ちなみに最初に予定をたてだした時に話の邪魔をしたのはノエルなのだが、イクシマの印象が強すぎ全員すっかり忘れている。

「行方不明者が何人も出てケイレブ教官も嫌な予感がすると言ってる。ここは慎重に行こう」

「むっ、それは正論」

「とは言っても一番の問題はどこまで調べるかだ」

 フィールド範囲は広い。さらにダンジョンのような場所ではないので、隅から隅まで調べるなど不可能だ。

「何かの条件で問題が起きているなら、もっと調べにくい」

「ごめん、分かんない。条件で問題って?」

「たとえばだ、夜しか見えない洞窟があるとか。満月しか出現しないモンスターがいるとか。食い意地の張ったエルフがいないと発動しないトラップがあるとか」

 アヴェラの言葉にイクシマは片眉をあげた。しかし、自分は食い意地が張っていないのだから別エルフの話に違いないと我慢した。

「なるほど、そういうのもあるかもだよね」

 ノエルは頷いて胸の下で腕を組んだ。

「それにパーティーが全滅してるならさ、結構大変そうだものね。うーん、やっぱりさ。いろんなポーションを持ってくのがいいかも」

「多すぎると、どれを使うか迷うだろう。特にうちには、おっちょこちょいエルフがいるから間違えるに決まってる」

 アヴェラの言葉にイクシマは頬をひくつかせた。だが寛大なる心で堪えた。

「あと単純に荷物が多くなって動きにくくなる」

「まあ、そだね。私も身軽でないと困るから多すぎてもダメだね」

「方法としてはパワーだけはある馬車馬エルフに運ばせるという手もあるが、どうせ敵をみたら突っ込んでいくからな。ポーションが台無しになる可能性が高い」

 アヴェラの言葉にイクシマは長い耳の先を上下させた。けれども度量を示すべく大らかな心で――我慢できるはずもなかった。

「やかましいいいっ! って言うか、我になんぞ恨みでもあるんか!」

「いや別に。ただ、あれだ。お前も聞いた事がある理由だ」

「なんなん?」

「可愛いやつほど弄りたくなるって言うだろ」

「…………」

 イクシマは硬直したまま顔を赤らめだした。しかしアヴェラは気づかずからかうように頭を撫でてやる。

「よしよし可愛い奴だな」

 イクシマが俯いたまま小刻みに震えだした。しかしアヴェラは気づかず、様子を見て笑っている。

「そんなん、そんなん。はっ、破廉恥じゃああああっ!!」

 大声が辺りに響き建物の屋根にとまっていた鳥たちが驚き飛び去った。

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