第192話 冒険の準備はいつもの通り
二階建てや三階建ての冒険者施設が集中する区画。
馬車を駐めるスペースと車道を挟み、芝生が広がる開放的な空間。そんな緑を貫く煉瓦敷きの小道には、凹凸もあれば小石や砂などもある。
しかしヤトノは素足でぺたぺた歩き、長い黒髪と白いリボンを揺らし上機嫌。
向かいから年齢を重ねた女性が小道をやって来るが、楽しげなヤトノは気にもせず道の真ん中を進んでいく。
だからアヴェラはヤトノを横に引っ張り、芝の上で足を止め軽く頭を下げた。
相手は微笑ましそうな顔をしていた。
ヤトノの見た目は幼さの残る少女なので、きっと冒険者の兄に引っ付いてじゃれている妹だと思ったに違いない。これが災厄を司る神の一部とは夢にも思わなかっただろう。
「御兄様、どうなさるのです?」
「どうするもこうするも、装備を整えて一度行ってみるしかないかな。とりあえず行方不明になっているパーティは三組か……」
「たったそれだけではないですか。あのケイレブめは、些か心配性なんです」
「そうでもない。分かっているだけで三組という事かもさ」
冒険者は自由気儘にフィールドに出かけてしまう。
もちろん戸籍どころか数の管理もされていない世界だ。冒険者にしても、設備のしっかりした寮に入れるほど稼げているのは一部のみ。大半はその日暮らしで安宿を転々とする住所不定だ。
これでは行方不明になっても誰も分からない。
判明している三組は、期間制限クエストを受注していた。期限を過ぎても戻らないため確認が入って分かったというだけだ。
しかも、冒険者組合ではこの三組についてクエスト失敗の違約金惜しさに逃げたと考えているそうで、真面目に心配をしているのはケイレブぐらいだった。
「ケイレブ教官の勘働きが正しければ、もっと大勢が行方不明になってるはずだ」
「正しくなかったら?」
「戻ってケイレブ教官を冷やかして終わりだな」
「それは面白そうですね。ふむ、それでは早いところ行って適当に調べて問題なしとしてケイレブめを冷やかしてやるとしましょう」
ヤトノは急に乗り気になった。アヴェラの手を引っ張り、大きく足を動かし小道を歩み出す。その姿は、兄にお菓子を買って貰えると分かって喜ぶ妹の如くだ。
「準備は万端にしてからだな」
しかしアヴェラは真面目な顔をする。
今回のことは上級冒険者ケイレブの勘働きだ。商品の良し悪しとボッタクリは見抜けず騙されてばかりだが、殊冒険的な直感だけは間違いない。しっかりと警戒した方が良いに決まっている。
◆◆◆
コンラッド商会に用意された部屋の中、エルフの少女は少し緊張気味に、ショートの髪をした少女を見つめている。
「よいか、落ち着いて聞くのじゃぞ。焦ることはない、お主にちっと話しがあるんじゃって。よいか?」
慎重な口ぶりで言葉を選んで続けていく。
「どうか落ち着くのじゃぞ、お主も知っておくべき事じゃでな。うむ、うむ、分かっておる。どんなことか気になろう、それはアヴェラの事なんじゃぞ」
「えぇっと?」
「あ奴な、実はな……アルストル大公家の血筋だったのじゃ」
「あ、そうなんだ」
「驚くのも分かるが我らも偶然で知った……ん、あんまり驚いとらんな」
イクシマは何度も瞬きをして、まじまじとニーソを見つめた。どこか訝しげで、相手が本当に理解しているのか疑ってさえいる様子だ。それぐらい反応が薄かった。
しかしニーソは軽く肩を竦めてみせた。
「だって私にとって騎士でも大公様でも、どっちも身分違いなのは変わらないの。ちょっと驚いたけど気にするほどでもないもの。私は私で側に居て支える事に変わらないもの」
「つ、強い……」
「それにアヴェラはアヴェラで変わらないでしょ。あっ、でも教えてくれてありがとなの。こういうのって、なかなか言うの難しいものね」
ふんわり笑うニーソ。その様子にイクシマは格上の気配を感じ取って、恐れ入ってしまった。
「えっとさ、側で支える事は変わらないんだ」
ノエルは呆れと驚きと共感が混じったような顔をしている。
「そうなのよ。だって私の人生はアヴェラが居なかったら、ずっと昔に終わってたものだもの。だからアヴェラの為に生きていくのは当然なの」
「あれぇ……もしかして思った以上に覚悟してるような」
「子供は欲しいかなって思ってるけど、他の事は弁えておくから大丈夫なの」
「はぁ、いろいろ言いたい事はあるけどさ。取りあえず言いたい事は、私も最悪のところ助けて貰った恩もあるし、人生捧げるって約束してるから。よろしくね」
「うん、よろしくなの」
ニーソとノエルは手を取り合った。
側で見ていたイクシマは激しく逡巡し、何度も躊躇った後にようやく口を開く。
「いや、我もな。アヴェラに助けて貰った恩もあるわけじゃし、父上との仲を良くしてもらったりとかもあるわけなんじゃ」
顔を真っ赤に染めて目を泳がせ、指先を突き合わせている。
「そういう意味で仕方なくはあるが、我とて奴と契りを結ぶのも――」
扉が開いた。
アヴェラが顔を出した。
「新しい依頼を貰ってきたぞ」
「ふんぎゃぁああああっ!!」
イクシマはかつてない程の叫びをあげた。これには流石のアヴェラも不意を突かれて心の底から驚き動転した。
「この小娘! 御兄様を殺す気ですか、いえその気なのですね。おのれ、この世で最も罪深きエルフめが」
ヤトノは目を怒らせている。なにせイクシマの叫びでアヴェラは、しばらく動悸を起こしてしまったのだ。
「喧しい! 我とて心の底から驚いたんじゃって! と言うかなー、ノックもせんで入ってくる方が悪い! 間違いない!」
「なんて無礼な! そこまで言うとは、疚しいことを考えていたのですね」
「や、疚しくなどはないんじゃ。我は、我は……」
「ふむ……?」
「疚しくなんぞないんじゃって、別に疚しくなんて!」
「まあいいでしょう、わたしくは寛大な心をもっております。今回は特別に許して差し上げるとしましょう。さあ感謝なさい」
ヤトノは何か感ずるところがあって許してやる事にした。
「やかましい! 別に小姑なんぞに許して貰う必要ないわい!」
「この小娘ときたら、何と言う無礼者でしょうか」
「小娘言うなぁ!」
「そっちこそ小姑だなんて失礼なんです!」
がー&しゃー、と威嚇しあっているヤトノとイクシマはさておき、コンラッド商会にある個室でアヴェラは冒険に出る準備の真っ最中だった。
もちろんニーソとノエルはお手伝いをしている。
「えっとね、こっちの青が回復用。こっちの緑が解毒用なの。効果は少し弱いけれど、中毒性がないのを選んだの。それから痒み止めに咳止めに、石化防止と血止めと疲労回復と――」
何があるか分からないという言葉に過剰反応し、店にあるポーション類を洗い浚い持って来た結果がこれである。
「あんまり数があってもなぁ……」
「それもそうね」
ポーションは目的に応じ幾つもあるが、中には用途を間違えると症状を悪化させるものだってあるのだ。そしてポーションを使用するのは緊急時、咄嗟に使用する事を考えれば種類を絞っておくべきであろう。
「ここは無難に、回復と解毒のポーションだけにしておこう」
「はいなの。それが人数分で、後は真水と塩と油に携帯食料っと……そうすると合計金額はこれぐらいね」
ニーソはさらさらと羊皮紙に金額をしたため、それを見たアヴェラは軽く眉を上げた。自分の思っていた金額よりも随分と安かったからだ。
そしてノエルとイクシマは別の意味で驚いている。それは金額どうこうではなく、計算する素振りもなく金額を話す様子を見てだった。
「もしかしてだけどさ、今のって暗算したの?」
「えっ、それ合っとるん? 疑うわけでないんじゃが……」
二人とも簡単な計算はできるが、数が増えてくると苦手だ。
「うんっ、ちゃんと合ってるのよ。でも、少し計算してみる?」
ニーソは棚から木製盤を持って来た。
表面に幾つかの溝が掘られ、そこにコインを並べ数を数えるアナログな計算機のようなものだ。
さっそく計算を始めた二人を横に、アヴェラはニーソを小突いた。
「これだと儲けが出るのか? 店の売値の七割じゃないか」
「儲けはなし。必要経費分だけなの」
「いいのか? 無理してないか」
「大丈夫よ。ちゃんとコンラッド会頭さんも承知の事だから」
「それならいいが無茶するなよ」
「はーい」
一方で計算盤を使うイクシマは、何度も計算をやり直している。
「ぬう、上手く計算が出来ぬのじゃって」
「イクシマちゃん、今の途中間違えてない?」
「これ使い難いんじゃって。ええい、もう一度じゃ」
「ゆっくりやってみようよ」
再び木盤の上でコインを動かし計算をやっている。二人にとっては、知的ゲームをしている感覚なのだろう。
「あいつらときたら」
「うーん、でもね。計算盤を使うのって難しいでしょ、それに地方によって物が違うから仕方ないのよね」
「確かにな」
そしてアヴェラとニーソは二人でゆっくり会話をして笑い合ったりして時間を過ごしたのであった。もちろんヤトノは邪魔しないように控えて、にこにこと見守っていた。
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